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📕わたしになる📕




旧友から誕生日のお祝いにいただいた一冊の本。
青春時代から親しんだレモンちゃんこと落合恵子さんの
最新作「わたしたち」の帯に書かれた言葉に惹かれ、
台風一過の日に一気に読みました。

あらすじ


1958年13才で、中高一貫教育の女子校・希美学園で出会った4人の少女たち、
美由紀、容子、晶子、佐智子が主人公です。
希美学園(のぞみがくえん)は女性の自立を目指した時代を先取りした気風に満ち、お嬢様学校とは一味違った校風を持っていました。
美由紀は父親がアメリカ人で、「あいのこ」と呼ばれていました。
容子と晶子は父親がいない婚外子でした。
佐智子は優秀な姉に劣等感を持ち、常に目立たないように生きていました。

それぞれ事情を抱えた4人の少女は、中学1年生の夏、
臨海学校で外房の海に行ったことをきっかけに、友情を結んでいきます。
希美学園の副校長で留学経験のある鈴木美智子先生が少女たちの魂の成長を支えていきます。

物語は1958年から、最終ステージを迎える2021年までの、一人ひとりの人生を描いています。

美智子先生のことば


「ようございますか、覚えておいてください。あなたがた若き女性たちは何にでもなれるのです。そう望めば、何にでも。そうと決めれば、何にでも、です。そしてその理想や希望や夢に向かって、あなたが弛みない努力を続ければ、あなたの夢は実現します。たとえ実現しなくても、夢に向かって突進した記憶は、その後の人生を照らしてくれます。それがなんであれ、あなたがそれを不可能だと決めたとき、あなたの内側から不可能は生まれるのです。しかし、あなたにとって、最も大事なことは、何になるかではなく、どう生きるかであり、よりあなた自身になっていくことです。なぜならば、あなたがあなたであること以上に、プレシャスなことはありません。」
  (P24 3行目〜10行目)

「誰かの妻になろうと努力する人生よりも、大事なことは、そうと望めば、女性でも大統領や首相を目指せる社会であることだとわたくしは考えます。努力と研鑽を積めば、ですが。医者と結婚して医者の妻になるより、あなたが医者になることのほうが素敵です。弁護士の妻になるより、他でもないあなた自身が人権意識の高い弁護士になることのほうがはるかに素晴らしいのではありませんか。
それがわたしからの、あなたがら若き女性たちへのメッセージです」
 (P39 6行目〜11行目)


「自分自身でありなさい。
 Always be yourself」

「わたしはできる、と信じることです。自分を信じましょう。
 Believe in yourself 」

「若き、女性たちよ、大志を抱け。
Girls,be ambitious」

「おそれることはありません。
 Don’t be afraid]

「限界を決めてはいけません。
 Don’t set limited 」

「失敗したっていいのです。
 Failure is acceptable 」
P39 14行目〜P40 1行目)


美智子先生の講和が本当に面白いです。

卒業後、4人はそれぞれの道を歩みます。
何になるかお楽しみ!


レモンちゃん


1956年生まれのわたしにとっては1945年生まれの落合恵子さんは、人生の大先輩です。

文化放送「セイ!ヤング」のパーソナリティ「レモンちゃん」のファンはわたしの周囲にもたくさんいました。

ちなみにニッポン放送「オールナイトニッポン」 TBS「パックインミュージック」と深夜放送最盛期だったと思います。

わたしは林美雄さん、北山修さん、吉田拓郎さん、そして野沢那智、白石冬美さんのパックインミュージックをよく聞いていたので、レモンちゃんを聴きに行くときは、ちょっと「浮気」をしているような気持ちがしたことを覚えています。

当時ラジオ局の女子は30才定年でした。
レモンちゃんは30才を目の前にして退社。
作家活動に入り、1976年に「クレヨンハウス」をオープンしました。
児童書専門店のクレヨンハウスは大好きでよく遊びに行きました。


わたしの憧れの落合恵子さん、
あなたたちの世代は主義主張があって、
いつもとっても眩しかったです。

「スプーン一杯の幸せ」夢中になって読みました。


映画にもなりました。
主演は桜田純子さん。


愛について語る落合恵子さんにどれだけ影響を受けたことでしょう。





わたしになる

だいじなのは 何になるかでなく、
わたしがわたしになっていくこと



わたし自身、母に「医者の妻か、牧師の妻に」と期待されました。
母の期待に応えるべく中学時代のわたしは
医学生の家庭教師について、
結構真剣に勉強していました。

母は卒中で倒れ、半身不随となり
自分の身体への不安から
「医者」か「牧師」にそばにいて欲しかったのでしょう。

その母の期待を知りながら、

医者の妻になるより医者になる。
牧師の妻になるより牧師になる。

わたしは母に支配させない
わたしはわたしの人生を生きる

と、

1972年7月27日にいわき市の水石山の頂上で
満点の星空の下で決断しました。

明確に覚えています。

そして母は
「わたしがわたしになる」こと見ることもなく
1972年11月26日に
天国へと旅立ちました。

あまりに早い母との別れでした。




結果的にわたしは社長の妻になり、
社長以上に仕事を頑張ってきました。

60才でキッパリ定年退職をしてから
ようやくわたしは
わたしの人生を支配できるようになり、
社長の妻の座も降りて、
いっきに人生の主役になりました。


好きなことができるわたし

楽しいことをできるわたし

すぐに怒らないわたし

好きな人と生きるわたし

嫌いなことを嫌いと言えるわたし

使命を果たせるわたし

などなど

そう!

どんな職業につくか
どんな肩書きを得るかは
問題ではなかったのです。

わたしがわたしになっていくこと
これがだいじなことでした。

わたしの「わたしたち」


小学校1年生にときに出会った友達
中学1年生のときに出会った友達
高校1年生のときに出会った友達
大学で出会った友達
子どものママ友

わたしにも人生を共に生きてきた
大切な友達がいます。


わたしたちはもはや戦後ではないと言われた昭和の時代に生まれ育ちました。
小学時代に東京オリンピック、
中学時代に万博を経験しました。
全て右肩上がり。
21世紀はどんなになっているか
希望と夢に満ち溢れていました。

続く高校時代は三無主義世代と言われ、
団塊世代の下で おとなしく、
分相応に楽しんできたと思うのです。



あなたにも「わたしたち」がいらっしゃると思います。
「わたしたち」を思い出してみてください。


そして、
どうぞ、どうぞ、
自分の人生の主人公になってください。
自分の人生の脚本を書くのは
あなた自身ですから


今が一番幸せ。
そして明日はもっと幸せになる。

先日のお誕生日に心からそう思いました。

この本に出会えてよかった。

ありがとうございました💕




#落合恵子
#レモンちゃん
#わたしたち

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