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⛪️澤田美喜記念館 大磯ツアー②


エリザベス・サンダースホーム…

私がその名前を知ったのは多分、中学1年生の夏だったと思います。
「黒い十字架のアガサ」を牧師先生に勧められて読んだ時でした。

久しぶりに記念館の本棚で再会しました

今、振り返ってみて、私は内容の1割も理解していませんでした。

テレビで「サインはV」が流行った時、ジュン・サンダースという少女を知りました。
彼女がエリザベス・サンダースホーム出身という設定だったことを、ずっと後になって知りました。

「エリザベス・サンダースホーム」というからには、サンダースさんが創立したと思われるでしょう。
ところが、ここは澤田美喜さんという日本の女性が作りあげました。

澤田美喜さんは三菱財閥の創始者岩崎弥太郎さんのお孫さんで、この大磯の地にはもともと岩崎家の別荘がありました。

キリシタン二十六聖人に因んだ十字架

三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。
4人の子に恵まれる。
第二次世界大戦敗戦後、主として在日米軍将兵を相手にした日本人街娼などが出産した混血児(GIベビー)たちの中で、両親に捨てられた東京周辺にいるGIベビー孤児約2000人を、神奈川県中郡大磯町に建設した児童養護施設・エリザベス・サンダースホームに収容して保護・育成した。

Wikiより


Wikipediaの概要には、さらりとまとめて書かれています。

澤田美喜さんの略歴

1901年 9月19日生まれ。
1916年 東京女子高等師範学校附属女学校(現在のお茶の水女子大附属中学・高校)を中退。津田梅子らの家庭教師に学ぶ。

1922年7月 クリスチャンの外交官・澤田廉三と結婚。
澤田廉三は鳥居坂教会で村岡花子に会う。花子の初恋の人だった。

1923年 廉三のアルゼンチン・ブエノスアイレスへの転任に伴い同行。長男・信一誕生。

1924年 廉三の中国・北京転任に伴い同行。次男・久雄誕生。

1925年 三男・晃誕生

1927年 帰国

1928年 長女・恵美子誕生

1931年 廉三の英国・ロンドンへの転任に伴い同行。

1933年 廉三のフランス・パリへの転任に伴い同行。
マリー・ローランサンに弟子入り。

1935年 廉三の米国・ニューヨーク転任に伴い同行。 
パール・バックと出会う。

1936年 米国より帰国

1945年 三男・晃 戦死。
終戦後、旧岩崎邸本館はGHQに接収される。

1947年2月 列車内で死亡した混血児の母親と間違われたことをきっかけに、混血児救済を決意する。

1948年2月 孤児院エリザベス・サンダース・ホーム設立。
進駐軍・日本政府からの迫害を受け、経営は貧窮を極めた。

1949年 ホームの寄付金を募るためアメリカで講演会を行う。 グレース・ケリーがよき理解者となる。

1953年 学校法人聖ステパノ学園を創立。ステパノは戦死した晃の洗礼名。

1962年 ブラジル・アマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。

1970年12月8日 澤田廉三死去

1980年5月12日 スペイン・マヨルカ島にて心臓発作のため客死。
享年78歳。


岩崎家の系図
愛用したルイ・ヴィトンのトランク
澤田夫妻の華麗な外交官生活
世界を回って集めたロザリオ
作家パール・バックは
宣教師だった父の赴任先中国で育ちました。
「大地の子」が大ベストセラーになりました。
澤田美喜記念館のあゆみ
師匠はマリー・ローランサン
澤田家三姉妹の絵による屏風
菊 長女 美喜さん
牡丹 次女 澄子さん
百合 三女 綾子さん


キリシタン記念館 一致教会道場

澤田美喜さんはエリザベス・サンダースホームの運営をしながら、キリシタン記念館建設を夢見ていました。

以下の文はスペインに旅立つ前に書かれたもので、遺言となりました。


すばらしい日本キリシタンの殉教者達と私の出会いは、サンフランシスコ横浜間の船の上でした。白山丸の図書館で読んだ本で、ローマの殉教者達のそれにもまして美しい殉教が日本にもあったことを初めて知りました。
 それから四十年、私がキリシタンに魅せられて、九州の島々を巡り歩いて集めた遺物の数は千点をこえました。これらの、殉教者の子孫が大切に守ってきた品々に私は強い信仰の息吹を感じます。そしてこの数十年間、子供たちを守り育てる仕事の中で、私は幾度これらの遺物の前で祈り、力づけられたか分かりません。これらの遺物を納めたチャペルは私の
かけこみ寺」でもありました。失望と悲嘆と涙と怒りの時、このかけこみ寺は私に光と希望と、そして忍耐を与えてくれました。
 私はこの得難い経験を私有することをやめて世の多くの方々の為に魂の療養所を建設し、キリシタン遺物のすべてをお献げしたいと思います。そしてキリストを信じる、宗派を超えた信徒が一つになって、この世にもまれな、誇るべき私共の先祖の宝を守っていきたいのです。
この建物を「一致教会道場」と名付け、平和を愛する信仰を守り立てて参りたいと存じます。御協力をお願い致します。 
                                  1980年4月

澤田美喜記念館パンフレットより




隠れ切支丹魔鏡

魔鏡というと何やら怪しげな響きがありますが、光を当てると「十字架に磔にされたキリストの像」が映るというものなんです。聖鏡の方が良いような気もしますが・・・・
その一つがここにあるのです。
残念ながら、写真を撮り忘れてしまいました。


これらの貴重な隠れキリシタンの遺物がひっそりと展示されています。

澤田美喜さんの「遺言」を心して聞いた方々がいます。


遠藤周作 〜この遺物の意味するもの〜   

かくれキリシタンの遺物は、どれもごく小さい品が多い。したがって散逸しがちだが、それを1000点以上も、沢田さん独りに手で集め、保存されているということは天晴れというより他ない。
 その秘密のコレクションが、一般に公開されるという計画をきいて大変うれしい。というのは、これらの遺物はすべて16、7世紀の貴重な資料であって一般キリスト教徒といわず、歴史に興味をもつ人たちにとって、その研究に興味を加えるものだといえよう。
 またそればかりでなく現代の人たちに「生きる」姿勢は如何にあるべきかを見つけさせる手がかりとなり、指針ともなる。その道しるべとして高く掲げられた灯でもあるといえる。多くの若者たちに、特に見てもらいたい。

澤田美喜記念館パンフレットより


三浦朱門・曽野綾子 〜沢田さんのコレクション〜
 禁教時代のキリシタンの歴史は、一面において、西欧的・キリスト教の流れとしてとらえる載ができるが、それ以上に、日本人の精神構造・精神史を知る上に極めて興味深い。
 その歴史は遠い過去のことではない。今日の私たちの日常において、「キリストの像ではない踏絵」を、踏むか踏まないかという問題は常におこっている。そして公けの席で踏んだものの、心の中では踏みたくなかった人々は一体どうしたのだろうか。
 キリシタンの遺物は、体制と対決した日本人の血と涙のしみこんだ物である。遠い昔のコットウ品としてでなく、今日をいかに生きるかに悩む人々、未来の原型を過去に見出す能力を持つ人々、殊に若い人々に、このコレクションを見てほしいと思う。

澤田美喜記念館パンフレットより


武藤富男  
 戦争が生んだ罪悪の一つ、それは捨てられた混血児でした。ひとりづつこれを拾い上げ、30年間に2000名を守り育て、世に送り出された方は澤田美喜先生であります。
 この尊い事業は、今の世における、キリスト贖罪愛の実践でありました。
 エリザベスサンダースホーム。それは大磯のちにあって、もとは富豪岩崎家の別荘であり、同家の息女であった先生が、幼児はじめて聖書のみことばを聴かれた処であります。
 戦後の混乱時、混血児養育の仕事は並大抵のことではありませんでした。愛の人、先生は雄々しくこの困難と闘われましたが、時にくずれおれ、嘆き、憤り、絶望されることがありました。
 その間にあって、先生の霊感を呼び起こしたもの、それは先生が戦前から40年をかけて蒐集した1000点の日本キリシタンの遺物、殉教の証しでした。厳しい禁制のもと、過酷な迫害に屈せず、信仰に殉じた主キリストの証人たちは、先生を励まし、力づけ、愛のわざの完遂を助けてくれたのでした。
 この度、先生はこの遺物を世に献げ、多くの方々が教派を超えて、この地につどい、祖先の信仰と殉教とを偲び、上よりの霊感を受けますようにと、「一致教会道場」の建設を発起されました。

澤田美喜記念館パンフレットより

武藤富雄 明治37年2月20日生まれ。昭和4年東京地裁判事のとき受洗。9年から満州国の司法部刑事科長,国務院弘報処長を歴任。21年「キリスト新聞」を創刊,社説で憲法擁護を主張した。34年教文館社長。のち明治学院院長,東京神学大理事長。平成10年2月7日死去。93歳。静岡県出身。東京帝大卒。著作に「社説三十年」「私と満州国」など。

コトバンクより

志を持って生きる


私はプロテスタント バプテスト派の信者ですが、高校時代に遠藤周作「沈黙」を読んで以来、ずっと隠れキリシタンのことが気になっていました。
今、私は踏み絵を必ず踏んでしまうと思うちっぽけな人間です。
ここに並ぶ日本のキリスト者の遺物を見て、心が震えました。

本を読んだり、ネットで見たりするのとは大違いです。

生きる道を失った時、
生きる価値がないと思い込んだ時、
生きることに疲れた時、

この静かな部屋にならぶ 殉教者の遺物を見てほしいと思いました。


聖ステパノ学園 礼拝堂


この礼拝堂は現在一般開放されていませんが、祈ることを赦されてはいることができました。

十字架の上に天上からの光が差し込み、その中で祈り、勇気をいただきました。

窓から見えるのは湘南の海です。

ここはまさしく魂の療養所です。

今もなお、生きて働く主イエスの愛を感じました。

澤田美喜さんのような大きな事業をすることはできませんが、同じ志を持って生きたいと思いました。

案内してくださった武井さんと




澤田美喜記念館特別企画キリスト教と茶の湯トークイベント

素晴らしい企画ですね。YouTubeで見ることができてうれしいです。


ぜひ一度お出かけください!


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#大磯
#エリザベスサンダースホーム

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