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なんかモヤモヤしてることを短文でいっぱい書いてみる

【初めに】僕は基本的に政治のこととかオリンピックのことはSNSとか公の場で語らない。友人とか仕事仲間と話すことはあるがそれは世間話程度だ。ただ経営者なのもあってそのへんの情報は普通の人よりはみているのかなぁとは思う。SNS上なり、なんなりで自分的に賢い思われる方々の意見も見てる。コロナに関しては経営者なのもありそれなりにだけど毎日いろんな記事、ニュースなどをなるべく偏りがないように把握するようにしている。まあ僕はもともと自分の見えるところまでが世界で、自分の周りが幸せであればいい。(他人が不幸になってまでとは思わない)自分の周りが幸せであればいいを全人類が思えば大丈夫っしょ!みたいなかんじで生きている。それが少し変わってきた気がする

【資本主義と自分】僕は資本主義にある程度魂を売ってしまった。それによって理解できないことも増えてきた。

【作品を作っていくだけでいいのか?】作品を作っていくしかないのか?それもまた違う気がする。でもそれしかできない気がするっていうのは逃げなのか?人間のキャパの問題なのか?自分の見える範囲以外との関わり方の変動の時なのかもしれない。

【わからんもやもやとした気持ち】政治とかオリンピックのことを発言するのはなんかダサいんじゃないか?っていう謎の気持ちは何なのか?

【マシになったのかはわからない】前よりは政治のこととか世界のことに興味を持つようになった気がする。

【世代とかあんまり考えたくはないが】若い世代(20代前半くらい)の言ってることが理解できないはなるべくなりたくないんだけどそれをやりすぎると全肯定になる。それもよくない。理解しよう、および理解し続けるのはいつまでできるんだろうか?

【一方通行なのかもしれんね】強い愛は強い肯定と強い否定と表裏一体でそれの否定しあいが今の炎上の世界観なんだろうと勝手に予測している。一方通行の愛は危険だなと思う。

【もはや部族とか村に近い】渋家を10年以上やってきてそこで生まれた友人でもないけど血のつながった家族でもないものはとても大切だなと思う。きっとそれによって感じなくなったさみしさや辛さがある。

【渋家を次の世代へ投げてわかったこと】コミュニティにおいてのただの仲良しが作れるという部分がとても重要だった。それと同時にコミュニティはほかのコミュニティを否定するものでもあるということがわかった。(何もしなければ)それは戦争にしかならないからなくなるような思想をもっとテキストとかにできるようにならないといけないんだろうな。

【肯定と否定】否定するのは簡単で肯定する方が難しいから基本は肯定していくくらいの気持ちでいたい。ただそれは自分が認めている人、またはまだ評価がついてない人に限る。

【資本主義と自分2】自分がどんどん資本主義になっていってそれに適応できない人を否定したくなるような気持ちが膨れ上がっているのはわかる。どうしたもんか。

【今は大変なんだから】天災は村とか部族とか家族(っていう意識)でお互いを支えていくのがいい。

【マネジメントという仕事】マネジメントは恋人になることと似ているなって思う。そもそも相性がある。でもそれとは別でダメな男、ダメな女がいるようにダメなマネジメントもダメなアーティスト、クリエイターも存在している。そしてそこにさらにビジネスが入るから揉める。考え方が根本的に違う両者とどうやってうまくやっていくのかを考えていかないといけない。ただモテるやつがいるように最高のアーティストも最高のマネジメントも存在している。見分けつきにくいけど。

【20年~21年】コロナになってよかったなんて言ってはいけないが、コロナになってからいろんな権力のズルが見えるようになったのは良かったんだろうと思う。すべての権力がズルとはもちろん言わないが。一部の権力者が無意識レベルになっていたズルがそれなり放出されたのはよかったんだろう。少なくとも僕はこれでいろんな部分で今まで見ていなかったものを見るようになった。ただ同時に「勘弁してくれ」とも思う。自分は会社で経営者をやってるから権力者側に部類されるのでその一部のズルをした人たちのせいでどれだけの手続き、異常な気をつかうことになったか。まあでも気遣いは大事だからこれからもする。ただこれから逆の暴力というか攻撃の時代になるんだろうと思う。権力者への攻撃がこれからさらに増えていく。いろいろ炎上している中で同情する案件もたまにある。ただ内情がわからないものも多いから具体的には何も言えないが。

【20代と30代】20代は何も考えずにではなくなるべくいっぱい考えるかなるべくいっぱい経験した方がいい。30代は自分の思想は信じつつも人の思想を否定しない方がいい。でもダメなものはちゃんとダメと話したほうがいい。

【物語みたいな】意図せず終わっていった物語と意図して終わっていった物語がある。どちらも同じ終わりだが僕は終わりは意図したものがいいなと思う。それはきっと演劇をやっていたのもあってどこまでもフィクションが好きで、でもフィクションじゃ物足りない。だから今の業界にいるんだろうな。

【終わりに】別に鬱とかめっちゃ悩んでるとかではない。なんかモヤモヤしてることを発散しないとそれこそ悩んじゃうから。今までは人と話すことでそれを発散してきたけど立場も出てきてできない面も出てきたからこうしてテキストに起こしてみた。語ることが恥ずかしいと思うのはもうやめたほうがいいのかもしれない。もしこれを読んでなにか参考になる人が出てきたらそれはそれでうれしいし、年も重ねてきたので次の世代へおせっかいにならない程度の何かになったらうれしい。でも基本的には発散。自己完結。それはそれで恋人がほしいです。

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