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小さな趣味:勝手に地名や通り名を付ける

〇導入:是非読んでいってほしい!


今回は近頃自分がハマっていた小さな趣味、地名や通り名の創出という事について考えてみようと思う。皆さんは、街や通りに独自のオリジナルな地名を付けた事があるだろうか?恐らく、あるという人は少ないと思う。しかし地名や固有名詞とまではいかずとも、例えば素敵なイタリアンのお店がある通り、景色が綺麗な通り、キャッチが多い交差点、或いは歩いていて落ち着く通り、故郷を思い出す町並みなどという様に、認識(記憶や感覚を含む)と場所を紐づけて認知している、そんな認知を仙台の至る所に持っている様な人は、それなりに居るのではないだろうか。そんな人ならばきっと、この幼奇な趣味の一端を理解してくれるものと期待している。そしてそうでない人や何言ってんだこいつ頭おかしいんじゃねぇのかと思った人も、世の中にはこんな妙な事を考えている人もいるのかと見物していく積りで、是非最後まで読んでいって欲しい。

また、不慣れゆえに、図を入れたら読みにくくなってしまった事と、ノリノリで書いてみたは良いものの今までのとしけんブログとは大分性質の違うものになってしまった事、書くのもこれきりだろうからとやたらと長くなってしまった事を、始めにここにお詫びしておきたい。それと◇の部分は本題とほとんど関係が無いので、読み飛ばしていただいて構わない。

〇例示:イメージを掴む為に


まずこれが一体どんなものなのか、イメージが掴めない人も多いだろうから、試しに「想楼てん」と「輝日廊」を例に挙げて、説明していく。
まずは「想楼てん」についてである。想楼てんは南町通の東端部、愛宕上杉通との交差点の南北方向の横断歩道周辺を指している。

赤丸部分

名前の由来は、此処から見た景色である。ご存じの方も多いと思うが、仙台駅前の青葉通りの両側では、近年下の様な大規模な再開発が構想されている。此処からはその一帯がよく見えるのである。そして自分は都市開発の妄想が好きな性分なので、仙台駅前のこの区画についても、色々と妄想をしていた。下に示したのは、自分が以前描いた駅前再開発の妄想図である。

PPIH仙台駅前再開発計画
仙台駅前再開発の妄想落書き

自分はこの様に妄想をしている訳だが、この地点は角度的・距離的に、その妄想図に描いた3本の高層ビルが現実に聳え立っているさまを最も綺麗にイメージしやすい場所なのである。そんな訳で、自分はここを通る度に北東方向を望んで、自分の望んだ再開発後の姿を空想せずにはいられない。以上の事から、楼(高い建物の意)を想うから取った「想楼」に、何となくいいと思った「てん」を歩く場所の意として付け、「想楼てん」と名付けた次第である。


次に「輝日廊」についてである。輝日廊は青葉通の、青葉通一番町駅から東二番丁通りとの交差点までの区間を指す。

赤で囲った部分

この由来は、明け方にマクドナルド青葉通一番町店から見える景色にある。自分はしょーもない話なのだが、たまに勉強が予定通りいかなかった時などに徹夜をすることがある。その際、性分として家では集中できないので、よく夜通しここのマックを使わせてもらっていたのである(色々な意味でおすすめはしない)。
そしてここの窓際席からは青葉通が見えるのだが、季節や気象条件にも拠るだろうが、明け方この通りに朝日が差し込むと、(もうどんな風に見えたか忘れてしまったが)朝日が差しこんで輝いて見えたのである。これが直接的な由来である。そう見えるのは、ここのケヤキがまだ若い事と無関係ではないだろうし、そんな見え方が楽しめるのは、誰でも安価で24h利用できる便利なマクドナルドがここにあるからこそであり、その意味では「現在、この場所」に限られた景観に由来した名付けといえる。また、この区画では藤崎百貨店が建て替えを行う構想があり、そのイメージ図を見ると青葉通のこの区間は、沿道の建物がガラス張りの、(行った事ないが)表参道の様なシャレた通りを目指す様に思われる。それにあやかった名前でもある。そんな訳で「輝日廊」と名付けたのである。ラーメン屋みたいな名前だなどと言ってはいけない。
しかし、この記事を書くまではそんな訳で結構気に入っていたのだが、こうして記事を書いてみると、そもそもそう見えるのは夏期だけの様だし、何よりも由来が生活の乱れを称揚する様で教育に悪く、気持ちが良くないので、別の名前を考えた方が良い気がしている。生活の乱れは普通に良くない。荒川沿いの団地の一室でTVを見ながら安酒を飲む26才のOLに美を見出して称揚する様な真似はするべきではないのである。

「輝日廊」(朝)
「輝日廊」(夜)


〇意義・動機:何でこんな事を…


ここまで読んで、「勝手に地名や通り名を付ける」というのがどんな具合で為されるのか、何となく分かってくれたのではないだろうか。次に、こんな事をする意義について考えてみたい。ここで引っ掛かる人がいるかもしれない。お前は趣味でやっているんだろう、何で意義なんて説明する必要があるのか、と。その答えは、これが記事だからである。別にこの章は無くてもいいっちゃ良いのだが、自分だったらこんな訳の分からない話を滔々と続けられても最後まで読むことは出来ない。そんな訳で、ここで一発意義に注目する事で、読む価値を見出だしてもらうなり興味を持ってもらうなりしたいという訳である。(書いてみたら寧ろこっちが本旨みたいになってしまったが)

・動機


意義について考える時に、一旦動機に立ち戻って考える事は有用である。そこでまずここで、こんな営みを始めた動機・切っ掛けについて述べておきたい。ただここで前もって書いておくが、自分は時間と活力の利用に於いて大変貧困である。その事を踏まえて読んで欲しい。
さて動機は、一つは表現欲の表出である。自分は「東方」というシリーズの楽曲が好きでよく聴いている。自分は音楽には全然詳しくないので説得力が無いがこの楽曲の表現力は大したもので、聴きながらその情景や風情の類が浮かび、想像力が掻き立てられる。そんな曲に感銘を受ける中で、自分の憧憬や仙台の街並みを、曲や絵にしたいと思うようになった。しかし自分には作曲や描画の能力も無ければ、それらを養う時間も無い。次に表現の手法として浮かぶのは文章にしたり詩を作ったりという事だが、詩の素養は無いし文章にするのも気が乗らなかった。そんな訳で、地名を付けるという所に落ち着いた(?)のが実相である。

次に第二の動機を述べる。近年本市では過去を振り返り重んじよう、都市の時間的な重層性を発見し、大事にしようという動きが活発である様に思われる。書店に行けば、過去の仙台を扱った写真集なんかが大人気だという。市役所も、辻標の設置以降、「歴史的町名等活用推進事業」として江戸時代以降の地名の保存と利活用を称揚し、行動してきた。それ自体は大変素晴らしく意義深いものだと思うのだが、正直な話少し物悲しさと反発心を覚える事も多い。称揚されている地名は、町割りの時から存在するものもあるが、江戸時代以来生き物の様に変化してきたものもある。「虎屋横丁」「森徳横丁」なんかは顕著な例だろう。「虎屋横丁」は曲がり角にあった、店頭に虎の置物を置いて虎屋と名乗った医局がもとであり、「森徳横丁」(そう呼んでいる人を見た事が無いが)に至っては、元「化物横丁」と呼ばれていたのが、そこに建てられた芝居小屋「森徳座」に由来して名付けられ、その後「裁判所横丁」「憲兵横丁」と、時代を反映して通名が移り変わっていったという。
そうやって、地名は町の変化に合わせて再生産され続けてきたのである。しかし現在の施策はそうしたものまで固定しようとしている様に見える。現在の地名の趨勢はどうだろうか。ここ数十年都心部に、新しい地名は自然に生まれただろうか?自分には、かつては都市の変化に合わせて生きて変化し、生活に溶け込んでいた筈の地名が、歴史の中の切り取られた何気ない一場面を綴じ込めたまま、その中で膠直し、再生産されなくなっているように見える。生活の中で生まれてきたミクロな地名に価値を見出すならば、我々には後代の為にそれを受け継ぎ残しながらも、再生産し続ける義務の様なものがあると思う。別にここまで考えて始めた訳ではないが、心の中の漠然としたものを言語化すると、こういう事になると思う。よって以上が第二の動機である。

辻標
歴史的町名を道路の通称として活用する路線の全体地図。当然名前を付ける範囲がここに限定される謂れは無い。

・意義


地名を付ける事の意義にはまず、覚えやすくなる・把握しやすくなるという事が挙げられる。そもそも人間がなぜものに名前を付けるかといえば、そのものを他と区別して把握する為であると言われている。つまり、街や通りに名前を付ける事でその街や通りを認識・把握しやすくなるし、その街や通りに含まれる要素についても記憶しやすくなるものと思われるのである。

また愛着を持ちやすくなるという事が挙げられる。この街に住む人は其々様々な事情があって住んでいるものと思うが、誰しも、自分の住む街を乾いた眼で見つめながら住むよりは、愛着を持って住めた方が幸せといえるだろう。そういう意味で、名前を付けるという行為は愛着の増進に寄与する筈だ。なお好きになれるかどうかはまた別問題であり、こうして愛着を持とうとしても好きになれないという事も普通にあり、その場合は普通に苦しいので、注意が必要である。

また街を歩く楽しみが増す、という効果も期待できる。地名を付ける様になると、街を歩いている時その様相を視覚・聴覚・嗅覚で感じながら、地名を考えて歩く様になる (別に常にそんな事を考えている訳ではないが)。つまり、周囲への好奇心がいつもよりも大きくなる他、考える事が出来て、何の変哲もない単なる移動が、少し楽しくなる可能性を秘めているのである。(そういう意味では暇人の遊びといえるかもしれない)

また都心部を豊かにする、という効果も挙げられるだろう。仙台は現在、人口のダムとして機能し、東京と競合して、都会を目指す若者の目的地となっている。勿論東京と同じ土俵で追っ付け追っ越せというのは中々厳しいかもしれないが、都市としての重層性や多様性は当然求められる所だろう。勿論寄与の量は微々たるものだろうが、地名を付け称揚する事は、歴史や物的・精神的存在を顕在化させ、仙台の都市としての重層性・多様性の向上に寄与する筈である。

また土地に関する記憶を残すことが出来るという事も挙げられる。諸々の地名を見ても分かる通り、地名はその土地の歴史やそこでの生活といった記憶を綴じ込め、保存し、またそれらへアクセスする為の仲介物・媒体となるものである。そんな訳で、地名を通じて、過去や現在の記憶を未来へ継受していく事が期待できる。

また、地名を通じて民間社会の公共性に着目し、それを引き出せるという側面もあるだろう。例えば虎屋横丁は店を公共に開いて虎子を置いたことによるし、電話横丁も公共施設である電話交換局が日夜業務を行っていた事に由来する。江戸時代の地名にその気配は無いが、近代に付けられた「三越裏」や「森徳横丁」などは民間の施設、それも概ね大衆に開かれていた民間施設から付けられている。土地の用途が職能集団に限定されなくなった近代以来の通称地名は、公共に開かれたものから付けられたものが多いと言えそうなのである。そんな訳で、通称地名は民間社会の公共性を背後から援護しているといえ、新たな地名を付ける事には、民間社会が公共へ開き、参加するのを手助けする機能があると言えそうである。

「電話横丁」の辻標と、由来となった電話局の後身企業の看板

付記しておくべき事として、何も現在通用している名前を蔑ろにしようという訳ではない。町割りの時から存在し、またはその後の歴史の流れの中で生じてきた、先祖伝来の諸地名は、それ自体とても貴重で価値ある物であり、今後永代に渡って残していくべきものも多いだろう。但し上述した理由から、それでは不十分に思えるという話である。

〇手順:どうやってやるの?


次に、定型化したやり方について述べていく。あくまで一例・参考事例であり、このように行われる必要性は特段ない。この過程は主に二段階からなる。航空写真や地図を見て、都市全体の中での位置づけや沿線施設を含めて考える事と、実際に歩いてみて感覚や感想、印象の類を得る事だ。かつて通った事があるのならば、その記憶を辿ってみても良い。別にどれか一つだけでも良いが、地図や航空写真だけで考えるのはオススメしない。地図や航空写真から得られる印象というのは吃驚するくらいあてにならず、実際に訪れてみてそのギャップに驚愕する事は多いのである。

街を歩く際にどこを見て地名にするか、地名を付けるにあたって何を重視しどの様に地名に落とし込むか、という事は、自由にすればいいとは思うが、過去の地名等を参照すると良いだろう。仙台市役所などで売っている『辻標』(500円)には、旧地名・旧通り名に関する由来などが書いてある。また全国にある○○銀座といった通称や、施設・通りの名前なども参考になる筈だ。そうして、言うまでもなく地名というのはその土地を識別する為のものなので、その土地に固有のものに関連したものを名前を付けると良いだろう。その材料は様々なものに見出だすことが出来る筈だ。店、雰囲気、景観、気風、歴史、その土地が目指したもの、大事にしているもの、シンボル、使われ方…、そうしたものの中から、自分が通称に使いたいと思うものを選んだり組み合わせたりして、語調を整えて、そうやって自由に付ければ良いのである。ただ自分は、実際に歩いてみて、自分なりにしっくりくる名前(後述するが、主に[漢熟語?]+[通り]の形)を考えて付けている。

また付け加えると、商業性も考慮すると面白いかもしれない。例えば商業的繁栄を極める名掛丁にあやかって、東口の通りに「時掛丁」と名付けてみたり、或いは同じく東口の「孝勝寺通り」について、孝勝寺がかつて「全勝寺」と呼ばれていた事にかこつけて、近くに座する駿台予備校などとも絡めて、「全勝だるまキーホルダー」なんかを受験生や験担ぎ向けに売ってみたらどうだろうなどと考えてみたり、といった具合である。

・実用に関する付記


とはいえ、他人との会話の中で使う事を前提にしていないとはいえ、公共の意義を強調するのならば実用との関係は切っても切り離せない。しかしながら、いきなり「○○通が~」などと使えば困惑されることは必至である。その為、地名化の要素を含む緩衝的な言い回しが有用と思われる。諸地名の歴史的な経緯を参照すると、目立った建物やそこにいる人などが由来となっている。したがって、具体的には「○○の辺り」や「○○の裏の通り」などといった言い回しが使えるだろう。しかしこの方法は個人の感性の入り込む余地が乏しい。したがって、特段に公共性の高い、今まで書いてきたものとは独立した地名生成行為であると見做し、オリジナルの地名はあくまで自分の内心に仕舞っておき、地図などの形で別途公表するのが無難かもしれない。
因みに自分には学が無く、その様ないきなり使うと不自然さを避けられない地名なるものが歴史的にどういう経緯で今の形で慣行的に生じてきたのか分からないのだが、恐らくは行政行為や軍事行動に関わる地図作成の時に、必要に迫られて区画を区切って画定する段階で決まったのだろう。

〇本題:実際にやってみた


さて、それではいよいよ、自分がこれまでに付けてきた自作町名・通り名・施設名等を一覧化して示してみようと思う。元々これを載せる積りでここまで書いてきたのである。
Googleマップ上に示したものが以下のリンクである。これでは総覧性が確保できないが、表にする時間と技術が無いのでこれで勘弁して頂きたい。それと、これまで長々と書いてきてからのあまりのしょーもなさに驚かないでほしい。生憎自分にはセンスが無いのである。自分の心の中で思っている分には楽しいのだが、これを他人の前で読み上げられたら発狂してしまう。
それと、力及ばず現存する地名との関係性を上手く整理できなかった事により、オリジナルではない地名と錯綜した地図になっているので、ご了承願いたい。さらに時間と能力の関係上、それぞれの通りなどに対する説明文の記載を省かざるを得なかったのはとても残念だし申し訳ない。
因みに、写真があったものについては、写真と通り名をマップへのリンクの下に並べて載せている。皆さんも是非、自分だったらどういう名前を付けるか考えながら見ていって欲しい。


見方:黒線と赤ピンがオリジナルの地名などです。
   緑線は既に存在する通称の中で、書いた方が良いと思ったものを適当
   に入れているだけなので気にしないで下さい。

勝手地名地図 - Google マップ

・「曜日通り」(南町通の東側辺り)


・「大都会通り」


・「青つ国通り」

・「孝勝寺通り」

・「緋落天通り(時掛丁)」

・「斉目天通り」

・「東京通り」

・「深緑通り」

・「色合わせ通り」

・「出城往来」

・「至尊通り」

・「民繡通り」

・「優森通り」

・「陽春通り」

・「行灯小路」

・「狭秀渓通り」

・「鐘楼広場」

・「遊園広場」

・「風持閣」

・「青斜閣」

・「哲学広場」

・「八幡牡丹桜路」

・「虫音坂」

・「清風トラック通り」

・「廃城坂」or「博士坂」

・「西海岸通り」
 [ no image ]

・「東小街」

・「執楼てん」

あまりにも低劣幼稚な在り方とは言え、こんな形でも自らの普段の感想や美的感覚を、地図や普段暮らしている街に込められるというのは、正直中々楽しいものがある。
ただ、街は刻一刻と表情を変える他、細かく見て知れば知るほど無限の要素を秘めている。突き詰めていけば最早一言やそこらの印象で語れなくなり、「中央二丁目」の様な、いわば(元来)「無色」な地名で表さざるを得なくなるかもしれない。しかしそうであるとしても其処に至るまでの過程には意味がきっとあると信じているし、そもそもの話どうせ生活を反映した通称地名に過ぎず、別に公式の地名もあるのだから、妥当なところで割り切るべきだともいえる。
それと書いていて思ったのだが、この文に◇の、漢熟語についての付記を入れようと思った理由が分かった。自分の手法は、街の様子を新しい漢熟語の形に綴じ入れ、その街を包括的に表す固有の漢熟語を作ろうとするものだと近似して言えるからである。
(後から考えてみたら、「絵に名前を付ける様に、景観に名前を付けようとする行為」といった方が近い気はするが)

◇関連する付記 (暇な人以外は飛ばしてください):語彙と諺の創出について


ここまで新たな地名の創出という事について書いてきたが、関連して普段思っている事についてもここで述べておきたい。
明治以来、福沢諭吉を始めとする偉人たちは海外の新概念を翻訳し、漢熟語の形にして世に流通させた。それが社会に与えたインパクトの大きさと偉大さは計り知れない。事実として、それらの漢熟語は、日本文化の形式を守りながら、日本人が把握・取扱いがしやすい形で、外来の「強力な」概念を国内に普及させ、今に至るまで日本社会に必要不可欠なものとしてその繁栄を支えてきた。またそれらの多くは漢字の祖である大陸や台湾にも取り入れられ、通用するにも至っているのである。また、近代政府の成立以前から民間社会は諺や四字熟語といった形で、知識や知恵を蓄え、継受してきた。それらは真理ではないにしろ、多くの価値を現在まで伝え残しているといえる。

しかし昨今の様相を見るとどうだろうか。
まず外来の言語はそのまま輸入され、巷にはカタカナ語があふれかえり、様々な混乱や意思の不疎通を生じている。漢熟語への翻訳は、遅々として進んでいない。

勿論、カタカナ語の使用を全く否定したい訳ではない。思うにケーキを切り出すかのように、世界から意味を分断して取り出す性質である漢字の組み合わせである漢熟語は、通用の中で諸文脈をその中に含むとはいえ、或いはその文脈の蓄積ゆえに、意味や用法・文脈の類が限定されがちである。対して外来語は(その多くがラテン語に由来するという)、漠然抽象とした感覚的概念を、全体としてそのまま伝達できる効能がある様に感じられる。例えば、「ハーモニー」と「調和」は、単なる翻訳関係ともいえるが、自分には意味がかなり違って聞こえる。もちろんこれらは傾向的かつ主観的な話であるが、少なくとも自分にはその様に感じられる。そうした意味で、カタカナ語を安易に漢熟語に言い換えろというのは失当だろうと思う。(またそういう意味で、漢字に外来語や古来のひらがな語を当てて読んでみるのは、相互の欠点を補いあう合理的な手法であるといえなくもないかもしれない)

また、外来語とて全てが残るわけではない。使われなくなったもの、即ち不要であるものは自然と消えていくし、残ったものについては取扱いしやすいように漢熟語に変換する動きもある。後者の例としては近年「センシティブ」を「機微」と訳して使っている例が挙げられる。民間社会や個人が気軽に外来語概念を国内に移入して、特に有意義なものについては、政府や新聞が主導して漢熟語に変換する。これはある意味健全な形といえるかもしれない。外来語を規制すれば、そうした概念の移入には支障が生じるであろう。

※外来語の規制という意味で、フランスは注目するに値する。深入りはしないが、フランスで施行されているツーボン法は、外来語の使用を規制する言語文化保護制度であり、言語統制政策の代表例といえる。そのせいで一つの語彙に沢山の意味が含まれている、即ち多義語が多いのだと小耳に挟んだ事がある。幼少期の頃から親しんでいればまた違うのかもしれないが、その様な言語世界は想像もつかない程大変そうに見えてしまう。その意味では、一つの単語に過剰に意味が集中せず、多種多様な想像力を受け入れる柔軟な日本の言語表現の世界は、世界一ともいえる日本の創作文化を下支えしている側面もあるかもしれない。(それでもまだ足りていないと思うが)

また、漢熟語への翻訳が進んでいないからといって、言語の創出が滞っているというのは失当であるという指摘もあるだろう。確かに近年、「地雷」だの「陰/陽キャ」だの「映え」だの「アツい」だの「ワンチャン」だの「詰んだ」だの、インターネットを媒介して様々な言葉が生まれているのも事実である。

三省堂2021
三省堂2015
ユーキャン2021


以上の事から、外来語の自由な流通がもたらす実用上の意義は大いに認めるところであるし、まさか何も日本語が滅びかけているなどと言いたい訳ではない。

しかしながら、外来語のまま無くてはならない言葉として通用している言葉は大量にあり、上述した様な明治期以来燦然と輝いていた筈の意義が損なわれている事もまた事実だろうと思う。
例えば、グーグルで「新語辞典」と画像検索すると出て来るのはカタカナ語・外来語の新語辞典と、中国語の新語辞典ばかりである。ユーキャン新語流行語大賞や三省堂新語大賞など、(何かと論争の的となる)メディアによる新語への着目という営みは続けられてはいるが、出てきた殆どの単語は速攻で死語になっている気がする(そもそもの位置づけが世相の観測・反映であろうから、当然と言えば当然かもしれないが)。これらの事、つまり造語、特に漢熟語の生成と利用が国内に於いて滞っている事は、普段の肌感覚にも合致するものとして同意してもらえるのではないだろうか。

検索結果①
検索結果②

また諺にかかる昨今の様相は絶望的な様に見える。皆さんはここ数十年で生まれた諺を何かご存じだろうか?諺というのは要はたとえ話の定型句なわけだから、明確に諺と名の付いている必要は無いのだが、そういうものを何かご存じだろうか。自分には思いつかない。過去数百年に渡って続けられてきた営み、それも現代でもその有用性が認められて成果が使用されている様な営みが、ここ数十年すっかり停滞してしまっているとしたら、それは憂慮すべき事だろうと思う。自分はたとえ話が苦手なので、そういうたとえ話の共有がほとんど整理して残されていない事が、生活の中でかなり気になってしまうのである。

以上の事から、もっと定型句や熟語、或いはそれら的なものを作って欲しいと、自分は常々社会に対して思っているのである。国語を守るために何も外来語を規制する必要は無い。日本語が十分な戦闘力を持てば良いのである。そしてそれは集権的に政府がやるのには性質的にそぐわない。ひとりひとりが、日々の実践の中で積み上げていくべきものだと思う。

また特に現代は容赦のない事に、沈黙の中に守られてきた公共財であっても、顕在化している論理によっていとも容易く淘汰の対象とされてしまう。言語化する事によって失われてしまう大切な物が幾つもあると思う一方で、価値を取りこぼしておめおめと喪わせてしまう事は人文社会系の恥であるとも思う。その為やむにやまれず、直接的にしろ間接的にしろ、守りたいものにしろ攻撃したいものにしろ、言語化する必要がある時、使える概念が乏しかったり、漠然とした馴染みづらい語しかなかったりすると苦労する筈だ。そうした意味でも、普段から諸概念を扱いやすく馴染みやすい形にしておくことは有用だろうと愚考する。


〇終わりに:今後への願い


仙台中心街と共にあった東北大学の学部施設が、学生運動と狭隘化を経て、川内・青葉山に順次移転してから、約50年が経った。学生街の雰囲気は相当程度失われながらも部分的には残ったが、かつては存在していたという開かれた学生文化は恐らく払底しつつある。それでも学祭や部活・サークル単位で文化や知識は受け継がれてきたが、2年間のコロナ禍に伴ってそれらも恐らくは大打撃を被る事となった。良いお店や良い市街、リフレッシュに最適な緑地や寺社、遠方のおすすめスポット、そういったものを開かれた形で、それも時を超えて共有するのに、地名を付ける(或いは言葉にする)という手法は効果的だろうと思う。願わくばそうした情報が学内に通底し、諸学生を包括的に支える事となってくれれば幸福だと思う。(文責:S.T)

川内北キャンパス


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