パラダイムについて考える
今日はパラダイムについて考えていきます。
私は20歳の時にこの「パラダイム」をいう言葉を知り、とても大きな影響を受けました。それからこの「パラダイム」というものを極力意識して過ごしてきました。
「パラダイム」とは誤解を恐れずに、ものすごく簡単にいうと「ものの見方」のことです。
ことあるごとに自分にも周囲にも「パラダイム=ものの見方」がとにかく大切なのだと言ってきました。
言ってきたのですが、言ったほどに伝わった手応えはいつも感じられずにもどかしさを感じています。
なぜ伝わりにくいのか?
それは「パラダイム=ものの見方」とは自分にとってあまりにも当たり前のことであり、存在そのものを意識することがないからだと思います。
よくパラダイムが眼鏡に例えられることがあります。
しかし、あまりにも当たり前に存在しているものという意味では、
眼そのものではないでしょうか。
昆虫の眼は複眼ということは多くの人が知っていることだと思います。
色を識別できる眼を持っているのは、霊長類、鳥類、魚類、昆虫だけだそうです。
他の動物たちが見ている世界は白黒なのです。
そして、人間の眼が3原色(赤・青・緑)なのに対して、
昆虫の眼は紫外線などを含む5原色の世界を見ているようなのです。
白黒で見ている動物や5原色で見ている昆虫になったことがない私は、
本当の意味ではそのものの見方の世界は分かりませんが、
同じものを見ていたとしても違ったものが見えるということを、この話を知って腑に落ちることができました。
まずそのくらい「パラダイム」というものは自分にとって自然で当たり前な存在であるということです。
ではなぜこの「パラダイム=ものの見方」が大切なのか。
それは、ボタンのかけ違いの理屈と一緒です。
最初のボタンをかけ違うとその後のバタンは全て掛け違います。
私たちが何かを成功させよう、上手くいかせようと思うとき、どんな行動よりも、態度よりも、まずこの「パラダイム」が一番最初にきます。
最初のボタンにあたるものがこの「パラダイム」なのです。
「パラダイム=ものの見方」を変えることなく行動や態度や考え方をいくら変えても、それは無駄に終わってしまいます。
だから私たちは、当たり前の存在である「パラダイム」を常日頃意識し、ボタンの掛け違いが起きていないかをチェックする習慣を身につける必要があります。
私の好きな言葉の一つにアインシュタインの
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」
というものがあります。
これは「パラダイム」のことを言っているのだと私は捉えています。
誰にとっても共通の「常識」などというものは幻想で、
それぞれの「パラダイム=ものの見方」に基づいた偏見が存在するだけ。
ものの見方とは、とどのつまり自分が生きる世界そのものと考えることができます。
どうせこの世には偏見しかないのなら、
自分が好きな偏見=生きる世界をコレクションするべきだ
そうアインシュタインは言いたかったのではないかと思えて仕方がありません。
私はアインシュタイの言葉を勝手にそのように解釈し、
自分の生きる世界を自分でコレクションしていきたいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
私と同様に自分のキャリアを自分でデザインし実践していきたいという思いを持った仲間で、社会人の学習コミュニティを運営しています。
現在は、コアメンバー5名(コミュニティは20名程度)と小規模ですが、コツコツ確実にステップアップを目指しています。
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