貴田倫大
写真と共に私の考えている事などを綴ったものです。
フィルム写真関連のnoteをまとめました。 フィルムカメラ、モノクロフィルム、自家現像、暗室関連などなど。
自宅暗室にて手焼きしたプリント作品をエッセイと共に記したシリーズです。
LUMIX S5とSIGMAレンズで撮った写真をまとめたものです。
カメラというより、写真について考えた事などをまとめたものです。
先月8月20日に誕生日を迎えた。 30歳である。 人間として脂が乗ってくる時期だと思うので、30代に突入したのは嬉しく思っている。 そんな8月。 昨年もそうだったのだが、この時期になると扁桃炎で熱を出す。 昨年は誕生日を過ぎた月末頃に高熱で一週間程寝込んだのだが、今年は誕生日の前から熱を出しそのまま当日も寝込んでいた。 うどんを啜って栄養ドリンクを飲んで過ごす30歳誕生日。 何とも侘しいものだった。 侘しいなりに寝転がりながらいろいろ考える。 何を学びたいか、何を考えたい
人生の中で、「あ〜変化の時が来てるな」と感じながら過ごすタイミングがある。 人間関係だったり、仕事だったり、住む場所だったり、何か一つだけでなくあらゆる事がいっぺんに変わる時。 今の私はまさにそんな感じだ。 それに対する疲れやしんどさみたいなのはなく、「いいんじゃない、これからどうなるんだろうね、楽しみだね」という感じ。 とりあえず、職場が変わった。 会社が変わった訳ではないので働く内容は今までと変わらないのだが、これまで徒歩圏内だった職場から、公共交通機関で片道1時間半
Carl Zeiss カール・ツァイス 光学の分野では有名なブランド。 カメラレンズだけでなく顕微鏡だったりメガネだったり様々な場所で名前を聞ける。「ツァイスといえば良いもの」というイメージを私も持っていて、カメラレンズにおいてもツァイスブランドのものは何だか特別に感じる。 今現在、一番の相棒となるレンズをしばらく模索している。 結局フィルムだったり現像液だったりで仕上がりも変わってしまうのだが、写真においてはやはりレンズによる所が一番大きい。(最近はフィルムにおける趣向
他にもいろいろ書きかけの投稿があったのだが、ちょっと思ったことがあったので中断して内容を変えている。 あまり深い意味はない内容なのだが、しかし何だか書きたくなってしまったので仕方がない。 とりあえず何があったかを簡単に言えば「そうする必要もないのに他人にわざわざつっかかる人ってどんな人なんだろう」と気になった話。 私がnoteをフォローしている方に、毎回示唆に富む素晴らしい内容を投稿されている方がいて、ある投稿もソクラテス的対話のような、哲学的な要素も含む個人的にはとても面
ある日、一緒に食事をしていた人と文章の話になって、「そういえば俺, noteってので文章書いてるよ」とこのnoteを紹介する流れになった。 その人はnoteの存在自体も知らないようだったので、どんなプラットフォームなのかを簡単に説明し、私自身はどんな事を投稿しているかを伝える。 興味を持ってくれたようで 「読んでみたいんですけどいいですか?」と聞いてくれる。 「勿論」 「今後書きづらくなったりしないですか?」 「全然」 スマホを渡し、目の前で読まれるのがちょっと気恥ずか
プラトンの『メノン』の中で、ソクラテスは人間は「学習」ではなく「想起」しているのだと述べている。 人間とは何度も生まれ変わっているもので、その過程で魂はあらゆる事を見聞きして来ているが、新たな誕生と共に忘れ、そして今生きている私はそれらを思い出しているだけなのだと。 ソクラテスはある少年に幾何学の問題を提示する。少年は初めは解がわからなかった。しかしソクラテスが質問を重ねていく事で、その解を少年の知識の中から引き出していった。そんな知識は持っていないと思われていたものが、見
人間は生き物の死んだ後をコントロールする。 花だったらドライフラワーにしたり、昆虫や動物は剥製にしたり。 ドライフラワーは人間がその姿を見て癒される為にそうするし、剥製は鑑賞や学術的な用途の為に作製される。用途は様々だが、しかし死んだ後をコントロールしているというのは同じだと思う。 そもそも生き物が生を終えた後の姿というのは、本来は埋葬したり火葬したりしてその姿を長く晒すという事はないのだと思う。 人間が食用や商用などの為に生を終えさせたのなら別として、生き物が生を終えた後
私はフレームの中に鳥を入れるのが好きだ。 鳥と言っても、野鳥撮影のそれとは違う。 私は景色の中にポツンと写っている鳥が好きなのだ。 レンズで引き寄せもせず50mmでそのままを撮るので、鳥は距離として遠い存在だ。しかし写真として上がったのを見てみると、その鳥はちゃんと写真の中で近しい存在となってくれている。 写真をまとめていたある日、いつものように鳥が入っているものを見ていると「私にとって鳥は生死の象徴なのかもしれない」とふと思った。 空を飛ぶ様は生を謳歌しているようにも感
少し前に、友人と一緒に広島平和資料館に訪れた。小学生の頃や大人になってからも訪れたことのある場所だったが、2019年にリニューアルしてからは初めてだった。展示内容なども新しくなっているらしく、中がどうなっているのか、そして今一度原爆について知る良い機会だろうと訪れた。 平和公園はよく通るのだがここ2年ぐらいは海外の人がかなり多く、訪れた際も資料館の列は海外の方がほとんどだった。おそらく様々な国から訪れているのだろう人々に混ざりながら、友人と一緒に入場を待つ。 資料館の中は、
ここ最近はこれまでの写真をひたすらまとめる作業をしている。 新年の記事に書いたのだが、今年で30歳になるのを機にこれまでに撮った作品などをまとめたポートフォリオサイトを作るのと写真集を出そうと考えている為だ。 ポートフォリオサイトを作る事で大枠の整理が出来るので、そこからさらに編集して写真集を作る予定なのだが、ポートフォリオサイトの完成も未だ終わらない。 もともとカメラの連写機能を使わないし、普段のスナップでもセレクトを必ず行っていらないものは消すようにしているので、ストッ
フィルムで写真を撮るようになり、自分で現像やプリントを前提としている事からモノクロフィルムで撮るのが当たり前となっていた。 フィルムやるならモノクロだろう、と。 だが、カラーフィルムはそれはそれで良いと思っていて、フィルム写真家のカラーネガで撮られた作例を見るのは好きだし、過去にカラーネガで撮った写真を見てみると「あぁいいなぁ」となる。なので頭の片隅で「いつかカラーも撮ろうかな」みたいな事は考えていた。 実際、世間的にフィルムカメラが密かに人気だ、と言われてはいるが、それは
二日目。 雨が少し降っている。元々予報でも二日目は雨だったのだが、荷物が増えるのを嫌って傘は持っていなかった。幸い小雨なのと、多少の雨なら普段から傘は差さないので気にせず外に出る。それに、この程度の雨ならライカも大丈夫だろうと思っている。 朝食はホテルで摂るという選択肢もあったが、折角なら地元のご飯をと思いおすすめされていた鍋焼きうどんの「ことり」に向かう。愛媛で鍋焼きうどんが有名なのは知らなかった。いりこ出汁のあっさりした味らしく、私の好みにも合う。 時間によっては並ぶ
旅がしたい。 そう思っていたらいつの間にかフェリーに乗って海を眺めていた。 しばらく遠出をしていないな、そろそろどこかに行きたいな、と思いながらもなかなか連休を取る予定も立てられず過ごしていた私に、ふいな休みが現れた。もともと予定があって休みにしていた1日にくっ付けてくれた感じで2連休になっていたのだが、その予定が急遽なくなってしまったので何の予定もない2連休に変わったのだ。 8月までに写真集を出すために過去の写真の編集、それに合わせてポートフォリオサイトの作成、物販サイ
Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical VM 購入の経緯 ライカを買うとなった時、レンズはどうしようかと思った。 財布からポンとウン十万円を出せる人なら悩む事はないのかもしれないが、貧乏人の私は購入できる範囲の中で最善なものは何なのかを必死に考えないといけない。この時の買い物でカメラとレンズだけでなく引き伸ばし機などの暗室用品も揃えたのもあって予算は潤沢ではない。 焦点距離は50mmで決まっていた。これま
子供の頃、田舎に住んでいた私は近所の田んぼや畔道で生き物と触れ合うことが多かった。田んぼにいるオタマジャクシやヤゴを観察したり、蝶やトンボを獲ったり。 子供の頃は昆虫などの小さな生き物と触れ合う機会が多かったが、大人になってからめっきり減ってしまった。そういった仕事に従事するかアウトドアの趣味でもないと大抵の人はそうだろうとは思うが。 ある日、山道を歩いていると柵の上にカマキリがいるのを見つける。久しぶりに昆虫を見るとつい観察したくなる。 近寄ってみると目が合う。しかしカマ
LEICA M2が手元に来てから5ヶ月程が経った。 フィルムでの写真制作は楽しく、とんでもない失敗をする事もなく(今の所)順調にプリントの数を重ねられている。 そしてだいぶ手に馴染んで来たのもあって「ライカの事も書くか」と思い、愛機について今回は書いてみようと思う。レビューなどではないが、使った感じをお伝えできれば。 LEICA M2のファインダー まずは、肝心なレンジファインダーについて。 ライカを使う事の意味としては私はこれが大きい。カメラを本格的に始めてからフジフイ