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知ることで恋が終わった話


やっと彼に本当のお別れができた

洋服をまとめて、比較的きれいな紙袋に入れた。いつかボロボロのキーケースを持っていた彼に「お揃いのキーケース買おうよ」と言ったときに思い浮かべていた、お気に入りの革製品ブランドの袋だった。

秋の風は涼しく、すぐ冬が来る。
時刻は休日の昼前で、わたしは日頃の激務に疲れ果てていてあえて朝寝坊をしたため、朝ごはんをたべる余裕もなかったから、
道中の飲食店を眺めながらゆっくりと駅に向かった。
このあと会ったら、天気も良いしちょうどお昼だし、なにか食べてから解散する?と話しかけたら、きっと彼は素直についてくるだろう、なんておかしなことが頭をよぎった。

時間通り(遅くも早くもなく)に着いたけど、彼はいなかった。次の電車まで時間がありそうだったので、駅前のスーパーに入ると、安い小松菜を見つけて「あとでこれ買おう」なんて思った。

そのうち多くの人が改札階におりてきたのが見えたので、わたしは定位置に戻って、すぐに彼を見つけた。前回会ったのはだいぶ前で、服装が秋のものに変わったなと思った。
彼と付き合いはじめたのはちょうど1年前の秋だった。

彼はわたしが間近にいるのにきょろきょろと周囲を見渡し、気付く気配もない。

「おつかれ」
絞り出した声は掠れて、低かった。
元からかわいこぶれるような持ち物はないけれど、それにしてもひどい声だった気がする。
昨夜大泣きしたとか、そんなわけでもない。悲しみより疲れが勝ってしまって、すでに涙は枯れていたから。

「おぉ、びっくりした」

本当はわたしの存在に気づいていたのかもしれないけど、愛嬌たっぷりに、ひょうきんに驚いてみせた彼はいつもの彼だった。
彼はいつもその愛嬌で多方面から愛されていた。

こんなときでさえバツが悪そうな顔のひとつもできない彼の逃げ癖、今思えば付き合っていたときから片鱗を見ていた気がする。
そこで先ほど浮かんでいた「昼ごはんでも一緒に」という思いは不思議と掻き消えた。

わたしは紙袋を差し出し、彼に渡した。

彼は小さな紙袋(わたしが貸した本が入っている)をショルダーバッグの紐に引っ掛けて持ってきていて、それを取り上げるのに実際よりもはるかに難しいことのように身体をひねっていたが、そのうち紙袋はわたしに差し出された。

これで全部もとに戻った。
彼とわたしの間には、長い長い距離が生まれたようだった。


わたしは無表情のまま彼の顔を真っ直ぐ見た。
片手を半端に上げ、「じゃあ」と言った。
また掠れ声だった。
息が止まった。

それに対して、彼はいつもの調子で、
「うん、じゃあね」と言った。
彼の返事を聞くが早いか、
わたしはふいっと踵を返して改札前の空間を出た。

一気に横断歩道を渡り、渡り終えたところでやっと歩道の端によって立ち止まって「ふう…」と息をついた。

振り返ると、彼は最初からいなかったみたいにもうそこにはいなかった。

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そのままわたしはふらふらと、商店街に入って歩いていた。
並んでまで食べるほどでもない(普段そう言っている)ラーメン屋には列ができていて、一瞬列に並びかけたが、ふと我に返って駅前のスーパーで小松菜を買おうと思ったのに忘れていたことに気づいた。
貯金はしなきゃいけないから、やけ食いしている場合ではない。

スーパーに行くため、わたしは先ほど彼と向き合って立っていたはずの場所まで戻る羽目になった。

駅前は休日らしくほどよく家族連れや友達連れでざわめいて、皆お互いをしばりしばられながらも、思い思いに生きている。

もうあまりさみしくはないのだ。


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「じゃあ」と別れを告げたあのとき。

「ごめんね」と言えるほどには、彼がわたしによって傷つけられたとは思えなかった。
「ありがとう」と言えるほどには、わたしは彼といて幸せではなかった。

本当は言いたいことがずっとたくさんあった。
あなたの無関心に傷つけられて悲しかった。あの時あなたが言ったこと嘘だって知ってたよ…なんて。
しかし、そんな話はこの先に未来があるからこそ必要で、あれ以上のやり取りはたしかに必要なかった。

彼はこの関係をハッピーエンドにしたかったと思う。
そして実際、彼はわたしが無表情を浮かべた顔をさっとそらして立ち去ったことをすぐに忘れて、あくまでも自らがひょうきんに構えてこの人生における小さな物語を終えたことで、ハッピーエンドをむすんだきもちになって帰ったはずだ。
彼はわたしのことを忘れないといつか言っていた。忘れないで反芻できるのは、彼がこの関係によって傷つかなかったからだと、わたしはずっと思っている。

わたしは彼の存在によって傷だらけになった。
だからそれは彼をちゃんと愛することができたという証で、自分を恥じることもないし、内心で彼を何度なじったかわからない自分を嫌いになることだってない。

彼は、わたしが横断歩道の前、どんな顔をして息をついたか知らない。どんな足取りでラーメン屋まで歩いたかを知らない。
遡ればずっとそうだった。
わたしがどんな思いで毎日泣いてたかも知らない。

でもわたしは彼のついた嘘を知っている。
そしてまた、彼がこの物語を丁寧に本棚におさめるためにハッピーエンドをむすぼうとして、優しい声色で別れを告げたことも知っている。

彼は常に自らの物語を「大丈夫なもの」にしたくて動いていたけど、わたしは大丈夫じゃなくたって、彼のことしか好きじゃなかった。
だらしなくてわたしのことを一番にしてくれなくても、彼のことだけが好きだった。


ちゃんとすべてを知ってるから、もう泣かなくていいのだ。

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