No.19
私が信用してる占いの人(アメ村のラピスのおばちゃんとか、グラストンベリーのタロットの女性)たちから言われていたこと。
「あんたはお金に興味がない。会社員は絶対に無理で、ひとつのこと続けるのも無理。自分が思うように好きにやるしかない。親や兄弟に理解してもらえなくて大丈夫。家族にとって、あなたがやりたいことを理解することは難しいし、できない。決してお金持ちにはならない。でもやりたいことに必要なだけのお金は稼ぐ人や」
自分ではそんな風に思ってなかった。むしろ仕事が好きで、組織で働くのが好きで、お金を稼ぐことにも興味はある。だけどホロスコープを勉強すればするほど、年をとればとるほど、彼女たちの言葉がしっくりくる。かわちゃんにも同じことを言われる。9ハウスにほとんどの星があること。一生地に足がつかないこと。私たちの中では、私の金遣いの荒さというか適当さと、貯金のなさと、いろいろが定番のギャグみたいになってしまった。かわちゃんからしたら、嫁の猪突猛進な行為のひとつひとつに、ギャグにしなければやってられなかったのかもしれない。
確かにお金を稼ぐことへの不安もないし、興味もたぶん少ない。貯金もできたことがない。だけどなぜか無形商材を売る人たちや、ビジネス系の動画を見るのは好きで、そこがかわちゃんには理解できないらしい。嫁が隣でホリエモンとか見てるのが嫌なのはわかる(笑)、だけどかわちゃんが料理動画や、ネジを作る動画とか、海外の屋台のとかばっかり見てるのと何が違うねん。
現代の神は金になったとホドロフスキーが言っていた。キリスト、ブッダ、アラー(やったっけ?)がいるように、お金にも円、ドル、ポンド、いろんな神がいる。
ほんとにそうかもしれない。you tube に出てくる稼ぐ才能のある人たちは、全員口がうまい。まるで宗教家のようだ。たとえば電車の中や外を歩きながら、イヤホン越しに、彼らのしゃべりを聞き続けていると気持ちが悪くなった。ほんとに吐きそうになって、ドリス・レッシングのインタビューを聞いたり、座っていたならヴァージニア・ウルフの日記を読んだり、最近はギャルソンのHPにROMAN SIGNERが特集されてて、それを見て深呼吸した。口がうまい人たちの放つものには、私が持っている性質かつ拒否してる何かがあるんだろうと思う。受け入れて許すべき何かが。
コメントなどを見ていると、これこそがファンビジネスかと思って、うんざり途方にくれる。
私がルイーズでやりたいことと何が違うのかわからなくて、今の時代にタロットをやれば、こういうことになってしまうのかと嫌になる。
“結局のところ、ただ「月」のみが「太陽」と対等な地位にある。そして逆も然りである”
「タロットの宇宙」by アレハンドロ・ホドロフスキー
タロットのコアな哲学は「18番の月」と「19番の太陽」のペアに凝縮されている。
その人の悩みや相談がなんであれ、自分の男性性と女性性を統合していく道の途中にいるのなら大丈夫なのだ。
私たちは、自分の中の男性性と女性性を統合できた時に初めて精神的に成熟する。大人になれる。そしてやっと、養うべき自分の価値を見つけることができる。
言葉では分かるが、それまでの私が抱えていた精神的に成熟した人のイメージが、タロットをやり出してから日々崩壊しているので、自分の価値については余計にてんでわからない。
例えば1日のうち、朝と夜でその認識が変わる。
自分の価値を掴んだと思ったその日の夜には、自分になんの価値もないことに気づき不安になる。
太陽の物質的成功への移行期と言えばダイエット。48から49だった体重が、禁煙してから確実に増えていき、54とか55になってしまった。どれだけ食べても太らなかったのはニコチンのおかげだったのだ。
欲望のまま食べるだけ食べ、肉がつき、腰に負担がかかった。今年に入って、人生初のぎっくり腰を2回やる。今も一発触発の気配。鈍い痛みと一緒にいる。30代のころ、体を鍛えようとジムに入会しては即退会を繰り返していた頃。最初のカウンセリングの時に言われたのは、「河村さんは筋肉が80代の女性並みなので、痩せてるからもってるだけです。これ以上少しでも太ったら腰への負担がやばいです」80代並の筋肉ってほんまか。
若い男のスタッフとするストレッチがエロすぎて、その日以降行かずにフェードアウトしてしまった。
この9ヶ月間は、とにかくニコチンを断つことが目標だったから。代わりになるチョコやアイスはどれだけ与えてもいいにするしかできなかった。常に食べていたので内臓が休めていない。しんどいって体の声が聞こえているのにやめられなかった。いつも朝から顔が疲れていた。疲れた顔で、冷蔵庫を開けて、お菓子を食べ続けていた。
you tubeで超胡散臭い薄い色のメガネをかけたロン毛の熱血ビジネス社長が、その弟子たちに喝をいれるためあえて怒鳴り散らす番組があって見ていたら、急に背中を押す感じがあった。今ならできる!(笑)
その日から3日間の断食。と言っても完全ではないやつだけど、やることができた。その奇跡の後、かわちゃんが作りおきしてたキムチチゲがどうしても食べたくて、回復食にした。たらふく食べたら下痢になり、50.8キロになった。あかん気がする。
体重よりも、三日間食べないことで内臓が休めたのか、顔がすっきりしてて嬉しい。
1週間のうち3日間はパン、パスタ、ごはんをやめる。どうしても食べたいなら朝に食べる。甘いお菓子、みたらし団子、大好きなチーカマもやめる。夜はもずくポン酢か納豆豆腐。以上。これ、1ヶ月くらいやってみようと思います。
自分の価値がわかっている人の特徴として、深刻さがないことが言えると思う。
偽物の明るさでは決してない、自然で、落ち着いた感じ。
何につけ深刻になってしまう人には、本人は絶対に気付けない無意識の敵意がある。それは女性性と男性性、月と太陽のバランスが崩れている証拠だ。たとえば食器を洗った後に、何度も指の間をタオルで拭くみたいな感じの深刻さとか、玄関の鍵をかけたかどうか何度も気になってしまう時の深刻さ。夜の月が太陽を飲みこむとき、私たちはいとも簡単に深刻になってしまう。月の闇や無気力感が、世界に対する敵意になるのだ。
ふいに岡本かの子の「夏の夜の夢」を思い出す。あれを読んでいる間の、なんとも気持ちのよかったことと共に。夢のような夏の夜の、結婚前の、知らない男の人との、くすぐったい話。私にもまったく同じ経験があったみたいな錯覚に陥る不思議な小説だった。
岡本かの子が自分の夫を愛することができず、年下の恋人を家に連れ込んで同居していたとか、泣き叫ぶ小さな岡本太郎を柱に縛りつけてでも小説を書いたとか、芸術家の強烈なイメージがあったけれど、彼女が長女を産んでから心を病み、精神科に入院したことなどを知ると、私がこの人生で実現したい無条件の愛がそこにあった気がしてくる。岡本かの子も、一平も、若い愛人の男の子たちも、そして岡本太郎の言葉を思い出してその奇跡のすべてにキュンとなる。
結局、「タルコフスキー日記」は読めなくて延長したが全然読めなかった。
また読みたくなったら、買う。「ある作家の日記」は図書館で借りるのが二度目だったので、メルカリで買った。やっとゆっくり読める!