わたしの料理はわたしのもの、グルメな夫の料理もわたしのもの
ガムラン演奏のために日曜日丸一日出かけて帰ってきたら、グルメな夫がテンペ・バッチャムとタフ・バッチャムをつくってくれていた。
「お疲れさま~。おいしいものあるよ~。」
グルメな夫が一日かけてコトコト煮込んでしっかり味がしみこんだおいしいテンペ・バッチャムとタフ・バッチャム。嬉しくてホイホイ食べた。
グルメな夫といえど、毎日仕事と料理をしていたら、仕事と家事の両方をこなす日本の女性と同じように「日曜日くらいキッチンを休みたい・・・」と思うだろうに、料理してくれる。しかし、彼の苦労はこれにとどまらない。
グルメな夫が仕事でいないときは、彼が食べられないものを自分で作って食べる。今日はベジマイトとアボカドのサンドイッチ。もちろん、グルメな夫が作り置きしてくれているおいしい料理も食べる。グルメな夫が帰ってくる頃にはそのおいしい料理がなくなっているか、なくなりかけているかのどちらかである。
結局自分で作ったものもグルメな夫がつくったものもわたしが食べる。つまり、
「妻のものは妻のもの、夫のものも妻のもの。」
これが我が家のリアルだが、夫に家族の扶養義務があるイスラム社会の理想でもある。
イスラムの偉大なところは、女性が人間らしく扱われていなかった時代に女性の財産を認めたことだ、と私は思っている。結婚後も妻の財産は妻のものであり、夫が勝手に手を付けることは許されない。夫は妻の財産や稼ぎに手を付けることなく家族を扶養しなければならないので、夫は結婚するとき、「今後自分が稼いだものはすべて妻と家族のためにささげる」と誓約する。少なくともダンナサマはそうした。だから、我が家では「わたしものはわたしのもの、ダンナサマのものもわたしのもの」である。
というわけで、グルメな夫のありがたさは筆舌に尽くしがたい。結婚したら妻の財産や稼ぎを自分のものにしてしまう(あるいは、そういうことがあってもオカシイと思わない)日本の夫たちとは大違いなのである。
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