支配層は人の依存心を利用してコントロールする
前回は明治維新より、すっかり日本人は洗脳され、その支配体制は現在もずっと続いているというお話をしました。明治維新から、またかつての戦国時代のような戦い、争いに明け暮れることになったわけです。そして現在はどうでしょうか?わたしはどうも歴史は繰り返すではないですが、また日本も戦い、争いに巻き込まれていくのではないかと思えてならないのです。ヤマト魂の復活とか、天皇崇拝とか、最近さかんに言われてますが、これどうでしょうかね。日本が戦争に進んで行った時も、天皇中心に国家神道としてそういう流れをあえて作っていったわけですよね。明治維新もそうでしたね。そうやって洗脳されて戦争に突っ走っていったのではないでしょうかね。567を利用して愛国心を煽り、すべて外国勢力のせいだと洗脳し、へたすると戦争に引っ張りこまれますよ。こういうことを言うと、お前は左翼かと批判する人もいますが、ちなみに私は右でも左でもないのであしからず。そして別に国家を愛しているわけでもないのです。宗教もそうですが、人は何かに依存したい傾向があり、それを支配者はうまく利用して、何かに依存させるよう仕向けるわけです。そして人はその依存したものを絶対だと洗脳され、それを否定するものを批判し始めます。ではなぜ批判するのか。それは、その思考が自分自身の内なる声から出た物ではないために、潜在意識下で葛藤が起こるからです。そこに気づかないといつまでも対立軸はなくなりません。多くの日本人は子供のころより制限された愛情を与える教育をずっと行ってきたために、自分のためではなく、人に評価されたいがために行動を起こすようになります。人に評価されるために頑張るようになります。また人は恐怖心を与え続けられると、それを解決してくれるヒーローを探すようになります。そして、そのヒーローに傾倒しその人の価値観を植え付けられます。そしてその価値観が絶対だと信じるわけです。これはまぎれもなく宗教がとってきた信者を増やす手法です。その根底には、私たちの依存心が存在するわけです。この依存心をうまく利用しているわけです。教育、マスコミ、この洗脳システムにより、私たちは誰かのために生きることを強いられます。それは、国であったり、会社であったり、何かの団体組織であったり、そしてとりわけこの世界を支配している存在のために生きることになるわけです。私たちは誰かのために生きてるわけではありませんよね。いかなる教育や情報から自由になりましょう。私たちが本当にやりたいことは何なのか。人に評価されるために生きていないか。人によく思われたいために必要でないものを買い漁っていないか。自己承認欲求を満たすために生きていないか。人が作った大義のために生きていないか。
自由というのは外側にはないのではないのかと最近思うわけです。外側に自由を求めても、求めても見つからない。むしろ不自由になっていく。その根底にはやはり依存心があるからではないでしょうか。そんなことを考えています。間違ってたらすみません。
よくよく気をつけていないと大衆のムードに流されていきます。でも多くの人は気づかないので、このままだと知らぬ間に自由が奪われて超管理社会に移行していきそうです。
思考は現実化するという法則を考えると、自分はそのような現実を創造したくないと感じたら、ハッキリとnoと宇宙に宣言しましょう。
前おきが長くなりました。では、本題に入りましょう。
輪廻と転生は違うというお話です。
これは今回のテーマ、支配層は人の依存心を利用してコントロールするというテーマと実は関係します。宗教を例にとってみましょう。宗教は依存心を利用して人を支配すると考えると、宗教の教えというのは、実は私たちが肉体を離れてもずっと続くということなのです。たとえば、宗教観の中に天国や地獄といった考え方があります。その概念をもったまま肉体を離れた時に何が起こるのかということなのですが、思考が現実を作るという観点から考えると、まさに思っていることがあちらの次元でも体験するということなのです。たとえば、天国や地獄があると思っていた魂は、肉体を離れてもその現実を作り続けます。むしろ肉体を離れたことでよりいっそう思考が現実化しやすくなるわけです。肉体界、三次元は思考が現実化するのに少し時間がかかるのですが、意識の世界はすぐに思考が現実化するようです。本来は天国も地獄もないのですが、あると教えられてきた魂はその世界に現実をつくるようです。これが、幽界という世界観です。そして、魂は幽界と地上界を行ったり来たりするようにシステム化されていたわけです。これが輪廻という概念です。シャカが説いた輪廻の輪から解脱するという教えは、このイリュージョンから抜けるということではないでしょうか。人は何度も輪廻を繰り返しているうちに、自分がどこから来て、どこに帰るのかわからなくなってしまったということなのではないでしょうか。
一方、転生は魂の故郷である星に帰り、また違った意識として役割をもって転生するということで、自分がどこから来て、この地上で何をして、どこに帰るのか知っている魂ということになります。
いかがでしょうか。次回はもう少し詳しくお話しようと思います。
ではまたお会いしましょう。