サウナ
ということを知ってから、それを見つけるたび「あ、ユンスルだ」と思うようになった。
そしてわたしはそれがとてもすきだ。
そんなユンスルに、まるで全身で潜り込んだかのような、言葉にするのが勿体ないくらいに良い空間があって、今日とても久しぶりにそこを訪れた。
そこはわたしが今現在この世でいちばんにすきなカフェのトイレで、実はトイレに入るのもすごくすごく、すごくたのしみで行ってる。営業日が少なめな上に予約制なのでなかなか足を運べないのだけど、いつ訪れても心の底からうっとりする。
そこはお一人様のご案内のみで、写真を撮ってはいけなくて、みんなが〝のんびり〟をしに来るところ。
殆どのひとがデザートが運ばれてくるまで本を読んでいるか、窓の外を眺めるか、ぼけっとしている。
わたしは専らぼけっとする派で、店主さんがコーヒーを淹れているのを眺めたり、そこから上がった湯気がライトの下で立ちこめるのを眺めている。今日は目の前にお香が焚かれていたので、その煙の流れを目で追ったり、目を閉じて花の匂いに深く酔いしれながら煙といっしょに意識を遠くに飛ばしたりもしていた。
コーヒーが運ばれて来るすこしまえにお香の火が消えて、今度はコーヒーの匂いに集中した。ときどき視界の端でゆらゆら揺れる白い布に呼吸を重ねて、店内に漂う空気に全身が浸かったまま、続いて運ばれた栗たっぷりのデザートを一口食べてコーヒーを啜る。うっとりする。一口食べて啜る。うっとりする。繰り返す。
わたしを含めた7人が同時にそれをしていて、それがまたすごく良い。みんなでいっしょに、ではなくて、みんながそれぞれ、ただただのんびりにうっとりしている。
サウナで整ったことはないけれど、たぶんサウナで整う感じに似てる。わかんない。
でも〝のんびりにうっとり〟することは偉大で、日々無意識に感じている緊張から完全に一線を引くことが出来る。お店の敷居を跨いだ瞬間に。
人生において、そういう時間を持つことは大切にしたいこと第一位で、いまのわたしの目標は自分でそういう場所をつくることだ。
そこではだれも心を痛めなくて、
そこではだれも緊張していない。
デザートを食べ終わって、すこし残しておいたコーヒーをぐっと飲み込んだ。ハーブティーのおかわりをもらって、その湯気のなかで深呼吸をしていたらうっとりがうとうとに変わって、うとうと目を閉じて時々聞こえる小さな物音にうとうと耳をすましていた。
物音がどんどん小さくなっていった頃に、は、と目を開けて、ユンスル、ユンスル、と頭のなかでうとうと唱えながらトイレに向かい、寝ぼけ眼でキラキラゆらゆらとしたそこに足を踏み入れた。
ああ、今日もここは最高だ。と思う。
ユンスルだ、と思う。
水面の穏やかな湖のなかみたいで、真っ暗闇でうとうとと眺める星空みたいで、静かな夜の海に月の明かりがとどいた、まさにユンスルみたいで、うっとりする。
多分この世でいちばん好きなトイレも、ここだ。人生で最後に行きたいトイレをもし聞かれたら、すぐに答えられる。
トイレトイレ言った後にあれではあるけれど、ユンスルという単語はしばしば人の名前としても選ばれるらしい。なんて綺麗なんだろうね。
逆に木漏れ日は日本語にしかないらしいけれど、木漏れ日ちゃん、木漏れ日くん、木漏れ日さんには出会ったことがない。木漏れ日さんにも、ユンスルさんにも、もし出会ったら何回も呼んで、呼んで何回もあなたの名前は素敵だと伝えたい。
記憶、こころの一句。
「三日月が絵に描くときより傾いて掬った夜の星のちいさな」