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『8時間の恐怖』(1957年・鈴木清太郎)

 『8時間の恐怖』は、鈴木清順監督としては五作目。まだ鈴木清太郎名義で演出したサスペンスの佳作。この映画が作られた1957(昭和32)年、鈴木監督は、春日八郎の同名ヒット曲をフィーチャーしたアクション『浮草の宿』(1月29日)、そして本作(3月8日)、水島道太郎と白木マリの暗黒街もの『裸女と拳銃』(12月7日)の三作品を演出している。

 この『8時間の恐怖』は、様々な事情を持つ登場人物たちが、事故で運行がストップしてしまった汽車の代行としてチャーターされたバスに同乗するという、いわゆる「グランドホテル形式」で展開していくミステリー・サスペンス。ハリウッドではオールスター映画の常套として、『グランドホテル』(1932年)や『予期せぬ出来事』(1963年)などから、70年代に流行したパニック映画など、このスタイルは一つのジャンルをなしている。この『8時間の恐怖』で、原案としてクレジットされているのが、日活のスチールマン時代の斎藤耕一。

 オープニング。山間の小駅で足止めをされている蒸気機関車C58。駅長に詰め寄るのは、左翼運動の女子学生(香月美奈子)と、学生・青木(二谷英明)、翌日の株主総会に出席しなければならない社長・中山(深見泰三)とその夫人(三鈴恵以子)、軽薄なセールスマン花島正吉(柳谷寛)などなど、それぞれ事情を抱えている乗客たち。訳ありな二号さんの阿久津澄江(志摩桂子)と若い燕の高田富夫(中原啓七)のカップル、自殺願望の強い赤ん坊を抱えた母親・村上時枝(南寿美子)、モダンな洋装で活動的な米兵のオンリーさんの志村夏子(利根はる恵)、撮影所のニューフェース試験を受験する田舎娘・吉岡ハル(福田文子)、農夫の老夫婦・柳川義太郎(永井柳太郎)としづ(原ひさ子)たちが、臨時バスに乗り込む。

 そこへ、銀行襲撃犯が逃走中であるとのニュースが入る。さらに、その見知らぬ乗客たちのなかに、妻を殺して逮捕され護送中の元軍医・森公作(金子信雄)と刑事の浅野敬吉(成田裕)が同乗することになり、スリルとサスペンスを波瀾で、バスは深夜の山道を出発する。バスの中で展開される、それぞれのドラマ。見知らぬ人物たちのエゴイズムの衝突。このあたり、日活映画で活躍していた専属俳優や、フリーの俳優たちの演技合戦が楽しめる。サスペンスの盛り上げ方も、さまざまな技巧を凝らし、怪談映画のような演出から、金子信雄扮する元軍医の犯した妻殺しを報道する古新聞の見せ方など、娯楽映画ではおなじみの、あの手この手が凝らされている。

 崩壊寸前の古橋を渡るサスペンスは、フランス映画『恐怖の報酬』(1953年)を意識したものだろう。何より、それぞれの登場人物たちの描き分けが、実に鮮やか。嬰児を抱えて自殺を図ろうとする母親を救出する男たち。それをシニカルにみつめる金子信雄の殺人犯。二谷英明の学生が、ずぶ濡れになっての顛末は映画を見てのお楽しみ。ひとつひとつのエピソードを通じて、それまで無関係だった乗客たちに生まれる絆。赤ん坊が高熱を出し仮死状態となり、元軍医の金子信雄が必死の治療にあたる。ドライな状況とヒューマニズム。

 バスのなかで、二谷英明と香月美奈子が「唄でも歌いましょう!」と歌いだす曲は、この頃、労働者や学生たちの愛唱歌として親しまれていた、ロシア民謡「黒い瞳」(矢沢保訳詩)。すると、資本家である深見泰三が「やめろ! 君たちはアカなのか?」。それに対し二谷は「ロシア民謡です」と答え、深見が「ソビエトの唄ならアカじゃないか」という応酬が繰り広げられる。資本家と学生の対立。静かに、金子信雄が口笛で「黒い瞳の」のメロディを吹き始めると、やがてバス中が合唱の渦となる、秀逸な音楽シーンが展開される。

 唄で乗客たちが一つになった事を見せたところで、いよいよ銀行ギャングたちがバスに乗り込んで来る。ギャングのボス・大井大介には植村謙二郎、その相棒の冷血漢・君塚三郎には近藤宏。ここからドラマの緊張感が一気に増していく。この植村謙二郎と近藤宏のギャングの性格設定もかなり冷酷で、それまでの日本映画のステレオタイプの悪役とは一線を画す。近藤宏が福田文子を押さえつけて、キスを強要するなどワイルドな描写が続く。

 緊張と緩和がもたらすカタルシス。この作品が、60年の時を経ても新鮮なのは、ドラマとサスペンスの按配。娯楽映画の話法をきちっとふまえた、確かな演出に支えられているからだろう。ロケーションは、東京からほど近い伊豆を中心に撮影が行われている。撮影は、戦前の日活大将軍時代からの重鎮、永塚一栄。清順作品のキャメラアイとして、弟子の峰重義とともに、数多くの作品に参加。クローズアップの多用、そしてサスペンスフルな構図など、永塚の自在なキャメラが最大の効果を上げている。

 ベテランから新人まで、さまざまなタイプの俳優たちのコラボレーションを、自在に操る清順演出。なかでも近藤宏の狂気、金子信雄の抑制された演技。日活バイプレイヤーたちの個性を最大限に引き出し、初期清順作品のなかでも際立ったものになっている。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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