『ローラ殺人事件』(1944年10月11日米公開・1947年7月8日日本公開・FOX・オットー・プレミンジャー)
デビット・ラクシン作曲のテーマ曲で知られる、『ローラ殺人事件』(1944年10月11日米公開・1947年7月8日日本公開・FOX・オットー・プレミンジャー)をアマプラからスクリーン投影。というのも、ここのところ、仕事や日常のBGMに往年のハリウッド映画の音楽をかけていて、あまりにも美しく流麗な「ローラ(Laura)」がずうっと頭の中に流れていたので、それこそ30年近くぶりに堪能した。
1940年代、ハリウッドのフィルムノワールがいかに芳醇だったか。この映画で一目瞭然。オットー・プレミンジャー監督といえば、ぼくが最初にその名を知ったのが、日曜洋画劇場で観た『帰らざる河』(1954年)での淀川長治先生の解説だった。その後、ビリー・ワイルダーの『第17捕虜収容所』での看守役、後になって気づいたのが、テレビ「バットマン」でなんとミスター・フリーズを演じていた。つまり役者としてのイメージも大きかった。
さて『ローラ殺人事件』だが、ダリル・F・ザナック製作、ルーベン・マムリーアン監督作としてクランクイン。プレミンジャーは、当初は脚本担当だったが、監督志望で野心家のプレミンジャーは、ベテランとはいえマムリーアンの演出に疑問を抱いていた。そこでザナックに監督交代を直談判、ザナックもマムリーアンのラッシュが気に入らなかったので、マムリーアンは降板。プレミンジャーの初監督作品となった。
キャストも見事で、タイトル・ロールのローラには、美しきクール・ビューティ、ジーン・ティアニーが堂々たる芝居を見せてくれる。フリッツ・ラングの『地獄への逆襲』(1940年)、ジョン・フォードの『タバコロード』(1941年)やエルンスト・ルビッチの『天国は待ってくれる』(1943年)などフォックスの看板女優の一人。ローラにゾッコンとなる、プライドが高く、いささか俗物のコラムニスト、ウォルド・ライデッカーにクリフトン・ウェッブ、ローラの若き婚約者でこれまた俗物青年、シェルビー・カーペンターにビンセント・プライス。そして殺人事件の捜査をする、これまた癖のある刑事、マーク・マクファーソンにダナ・アンドリュース。この三人の男が、ヒロインのローラの美しさ、奔放さを愛でながら、運命の糸に翻弄されていく。
映画のサイズとしては、ほとんどがセット撮影、主要登場人物が五人なのだが、プレミンジャーのシナリオが緻密に計算されていて、人物の出し入れ、ちょっとした会話に、それぞれのキャラクターの内面まで描いているのはさすが。初見の時は、中盤の展開で「あッ!」と驚き、クライマックスに真犯人が明らかになるまで、ドキドキした。改めて見直しても、フィルムノワールとしても、人間ドラマとしても、ミステリーとしてもよく出来ている。
若くて美貌の持ち主、ローラ・ハント(ジーン・ティアニー)は広告会社のコピーライター。抜群のアイデアで、そのキャリアは安泰。ある日、ローラは自宅で、散弾銃で頭を吹き飛ばされ、惨殺死体で発見される。殺人課の刑事・マクファーソン(ダナ・アンドリュース)は、ローラを一流のコピーライターに仕立てた著名コラムニスト、ライデッカー(クリフトン・ウェッブ)や、ローラの婚約者で女癖の良くないカーペンター(ヴィンセント・プライス)に事情聴取。生前のローラの姿が浮き彫りとなっていく。
ヒロインがすでに亡くなり、ローラがどんな女性だったかを、それぞれの証言による回想シーンで描いていく。主がいなくなったローラの部屋に飾ってある肖像画が、マクファーソン刑事にとってローラの縁となっていく前半。ヒッチコックの『レベッカ』(1940年)的でもあり、回想によってヒロインが浮き彫りになっていく構成は、のちの作品だが、ジョセフ・L・マンキーウィッツの『裸足の伯爵夫人』(1954年)でもリフレインされる。
誰が犯人なのか? 観客もそれぞれの登場人物に疑いをかけながら観ていくと、中盤にあっと驚く展開となる。ミステリなので、未見の方もおられると思うので、ネタバレは避けるが、とにかくジーン・ティアニーが美しく、そしてローラというヒロインの複雑さを、巧みに演じている。後半の「あれよあれよ」の展開、落語のサゲのような鮮やかなラスト。前編に流れる、デビッド・ラクシンの音楽の美しさ。だからハリウッド黄金時代の映画を観るのはやめられない!