『ひとり狼』(1968年4月20日・大映京都・池広一夫)
昨夜のカツライスはてんこ盛り。まず一本目は、我がベスト・オブ・雷蔵の一本、市川雷蔵&池広一夫監督による『沓掛時次郎』(1961年)『中山七里』(1962年)に続く「股旅三部作」の最終作。『ひとり狼』(1968年4月20日・大映京都)は、市川雷蔵が最も信頼を寄せていた池広一夫監督との、最後の股旅映画となった。
前2作は、長谷川伸作の極め付けの「股旅もの」戯曲の傑作の何度目かの映画化で、みなさんご存知の物語だったが、今回は「次郎長三国志」の村上元三が昭和31(1956)年に発表した原作を直居欽哉が脚色。各社から映画化の申し入れがあったが、村上元三が「従来の股旅映画にしてほしくない」と、なかなかOKが出なかった。松本幸四郎主演の舞台版、テレビ版(1959年8月30日・K R)でも、村上元三自らがシナリオを執筆。なので、直居欽哉は五回も推敲して、ようやく原作者が納得したという。
また大映としても、内容が従来の長谷川伸もののような「大衆向け」ではなく、ストイックな孤高の主人公の「暗い話」であるとして、なかなか映画化に手をつけなかったが、市川雷蔵のたっての希望で製作することとなった。キャメラは名手・今井ひろし、美術は太田誠一、照明は山下礼二郎と、大映京都のいつものスタッフによるスタイリッシュかつ、クールな映像が展開される。ここでの雷蔵が演じた追分の伊三蔵は、本当の意味でのアウトロー。人を信じることを忘れて、仲間を持たずに、旅から旅への渡世人として、ひとりで生きている。「人斬り」と異名を持つほどの刀捌きで、各地の親分衆は、伊三蔵が助っ人に加われば、喧嘩は必ず勝つ、ということで「伝説のひとり狼」となっていた。
映画は、旅先で伊三蔵と出会った、中年の渡世人・上松の孫八(長門勇)が、「伝説の伊三蔵」を語る「回想形式」で展開されていく。孫八の視点を通して、孤高の伊三蔵の「人斬り」としての凄みが語られる。
彼に惚れたお沢(岩崎加根子)をも寄せ付けないクールなキャラクターが浮き彫りになる。孫八を慕って、子分となった百姓の倅・半次(長谷川明男)は、賭場での伊三蔵の鮮やかな振る舞い、渡世人として一目置かれている姿をみて、伊三蔵を殺して男をあげようとする。しかし、刀に手をかけた瞬間、貫禄負けしてしまう。若き日の長谷川明男のトッポさ、それを一瞬にして怯ませる雷蔵の凄味。冒頭で伊三蔵に挑む浪人・多賀忠三郎(伊達三郎)の右腕を切り落とし、やくざの用心棒・鬼頭一角(五味龍太郎)を一瞬にして斬り倒す。
そんな伊三蔵だが、たびたび出会う孫八には心を許して「この五十両を届けてほしい」と新茶屋の喜六(浜村純)に託す。そこから伊三蔵の過去が明らかになっていく。8年前、伊三蔵は福島の郷士・上田家の奉公人だった。博打ちの子だったが、当主・上田吉馬(内田朝雄)と妻・秋尾(丹阿弥谷津子)の温情で、文武両道の武士として育てられた。しかし、上田家の娘・由乃(小川真由美)と恋に落ち、由乃が孕ってしまうと、主人によって酷い別れ方をさせらてしまった。行き場を失った伊三蔵は渡世人となり、博打や喧嘩の助っ人で稼いだ金を、新茶屋の喜六に「由乃に渡してほしい」と託していた。
これまでの股旅ものと違い、アウトローの過去をめぐるドラマが、主人公の影となっている。しかも、伊三蔵はひょんなことから息子・由乃助(斎藤信也)と出会い、由乃と再会を果たすことに。しかも上田家の家臣だった武士・平沢清市郎(小池朝雄)が伊三蔵を殺そうと執拗に追いかけてくる。
前半は「股旅もの」であり、後半は雷蔵の「剣三部作」のように、ストイックな剣士の孤独な戦いの物語となっていく。クライマックス、由乃助と由乃を人質にして、伊三蔵をなぶりごろそうとする平沢清市郎の狡猾さ。やくざより武士が汚いのである。そこへ、助っ人として駆けつける孫八! 「三匹の侍」(C X)で大活躍していた長門勇がカッコいい! 満身創痍となった伊三蔵は、息子に汚い侍の行状を「憶えておけ!」と叫ぶ。男として何が大事なのかを身を以て教えようとする。このシークエンスが素晴らしい。
斬られても、刺されても立ち上がる伊三蔵の壮絶。この年1月13日に公開され人気シリーズとなった、渡哲也主演「無頼」シリーズの主人公同様、満身創痍のなか、本当のワルを倒すアウトローヒーローなのである。昭和43(1968)年の時代の気分を反映させたものだが、とにかく市川雷蔵がカッコいい!
タイトルバックに流れる主題歌「ひとり狼」(ウイリー沖山)が、なかなかいい。カップリングの挿入歌「伊三蔵恋しぐれ」は劇中には登場しない。音楽は渡辺岳夫が手がけている。