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 岡本喜八。4ビートのアルチザン。抜群のコメディセンス。戦中派。ドライとウエット・・・ 山田風太郎原作の新作『幻燈辻馬車』を準備しつつ、病に倒れ闘病生活の末に逝去。映画ファンと語らうことを好み、常に次回作のネタを考えていた喜八監督。筆者も度々、トークショーや映画講義をご一緒したことがある。お目にかかれば『江分利満氏の優雅な生活』のカット割などについて根掘り葉掘り聞いてしまう。喜八監督も明快な回答をしてくださるので、ついつい話が長くなる。

 喜八映画の楽しさ、その力強さ、そして卓抜なユーモアと、戦争への怒りについては、まず映画を楽しむことをオススメする。とはいえ、ここでは東宝時代の岡本喜八監督の足跡を辿ってみることにしよう。

 ジョン・フォードの『駅馬車』に衝撃を受けて、昭和18(1943)年に、演出助手として東宝へ入社するが、時はあたかも太平洋戦争。すぐに徴用され、昭和20(1945)年、豊橋予備士官学校に入ったところで終戦。アメリカを敵に「聖戦完遂」のスローガンのもと、いつも徴用先の寝台で反芻していたのが『駅馬車』のクライマックスのカット割だったとか。この戦争体験とアメリカ映画の憧れが、喜八映画の底流にある。

 戦後、東宝に復職してからは、谷口千吉監督のデビュー作『銀嶺の果て』(1947年)の助監督として、ミッチェルのキャメラを抱えて雪のアルプスを駆け回った。『銀嶺の果て』は、三船敏郎と志村喬のギャングが雪山に立て籠る活劇。豪快な雪崩のシーンは、実際にダイナマイトを雪棚に仕込んで爆破。監督のかわりに、その一切を取り仕切ったのが喜八監督。

 その雪山体験は、本多猪四郎の助監督をつとめた『獣人雪男』(55年)でも活かされている。監督曰く「映画は体力」なのである。助監督時代、その才気を発揮したのがマキノ雅弘監督の「次郎長三国志シリーズ」(52〜53年)、現代劇の俳優、しかも東宝オールスターによるモダンな時代劇は、マキノ映画の真骨頂だが、助監督・岡本喜八郎(名義)の功も大きい。

 監督が亡くなったときに、真っ先に八千草薫さんが駆けつけたのは、夫である谷口千吉監督との交誼があってのこと。

 さて監督デビューは、雪村いづみ主演の『結婚のすべて』(58年)。モダンなタッチのコメディだったが、ここですでにロカビリー歌手としてミッキー・カーチス、ケンカをしているアベックの男役で佐藤允が出演。バレエ教師役で三船敏郎がタイツ姿で特別出演。すでに喜八組の俳優が揃っている。

 そしてその才気が一挙にスクリーンに放出されたのが、ギャング映画『暗黒街の対決』(1959年)。敵対する二つのヤクザ組織に、ふらりと現れた三船敏郎のダンディな用心棒(実は捜査官)が、お互いの抗争に火をつけて一網打尽にするという痛快な活劇。リズミカルなカッティングによるスピーディな展開。イキな台詞。そして、天本英世らの殺し屋がキャバレーの専属歌手として「月を消しちゃえ」をコーラスで歌うユーモア。そのミュージカル的センスの良さ。娯楽映画としてのエッセンスが凝縮された傑作となった。これより先に作られた『暗黒街の顔役』(1959年)に始まる暗黒街映画は、喜八活劇のベースとなり、東宝アクションの牽引ともなった。

 そして西部劇への思いやまずに企画した「独立愚連隊シリーズ」(1959年〜1965年)は、中国戦線を舞台にした爽快なアクション。戦後14年しか経っていないのに、戦場を娯楽映画のフィールドとして描くことは、大胆不敵。しかし映画としての面白さが際立ち、東宝の人気シリーズとなった。その原点は助監督としてついた谷口千吉の『暁の脱走』(1950年)にある。加山雄三の初主演となった『独立愚連隊西へ』(1960年)では、ボロボロの軍旗を守るために命を賭す兵士たちの空しさ、そして敵対する八路軍の将校(フランキー堺)と日本軍の奇妙な友情など、ドライな戦争活劇に織り込まれた喜八監督の心情や信念が顕在化してくる。「独立愚連隊」ものは師匠の谷口千吉や、盟友・福田純監督らによって引き継がれ、後に「遊撃戦」というテレビシリーズにもなる。

 そしてサントリー宣伝部に勤めながら直木賞作家となった山口瞳原作の『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)は、当初、川島雄三が演出する予定だったが、川島の死にともない喜八監督がメガホンをとった。戦中派である江分利(小林桂樹)の心情を大胆な手法で映像化。そのモダンなテイストと、戦中派の「怒り」の按配が絶妙。ミュージカルブームの昭和39(1964)年には和楽のミュージカルコメディ『ああ爆弾』を演出。そして『独立愚連隊』シリーズに始まった戦争アクションが、ついに『血と砂』(1965年)という傑作に昇華する。軍楽隊の少年兵たちが激戦地の砦を守るという展開には、戦争で同世代の若者を失った監督自身の心情が込められている。

 忘れてならないのが、公開すぐに上映が打ち切られた怪作『殺人狂時代』(1967年)。人口調節委員会を主宰する「殺人狂」の精神病医院長を演じた天本英世が秀逸で、ありとあらゆる殺しのテクニックがスクリーンいっぱいに展開するオフビートのコメディ。「難解」「東宝映画らしくない」などと散々の評判だったが、いつしかカルト作品となった。

 そして、8月15日の「敗戦」を描いた大作『日本のいちばん長い日』(67年)では、戦中派・岡本喜八による「第二次世界大戦」の映画での総括をし、その報酬で撮ったのがATGでの『肉弾』(1968年)だった。片やポツダム宣言受諾をめぐる軍人、政治家たちのドラマ、一方の『肉弾』は終戦を知らずに魚雷を脇にかかえたドラム缶で漂う主人公・あいつ(寺田農)の戦争体験を描いている。国家と個人、それぞれの終戦。この二本は同時に観て欲しい。

 もう一つの戦争大作が、二十万もの死者を出した「沖縄戦」を描いた『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)。悲惨な状況を招いてしまう軍と政府への怒り。阿鼻叫喚の戦場。蹂躙されて行くささやかな幸せ。ラスト、戦場を歩く子供に託した監督の想い。スペクタクル大作ではないところが喜八流。

 70年代、東宝を離れ、岡本喜八は自らのプロダクションを興し、みね子夫人との二人三脚で、映画を撮り続けた。娯楽と戦争への思い。岡本喜八が残した39本の映画。われわれはこれからも楽しむことが出来る。感謝!

2005年 映画秘宝への寄稿より


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