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『007/スカイフォール』(2012年・英・サム・メンデス)

 Blu-ray発売以来、8年ぶりに『007/スカイフォール』(2012年・英・サム・メンデス)を娯楽映画研究所シアターのスクリーンに投影。142分の上映時間は、長めのボンド映画ではデフォルトなのだけど、前作『慰めの報酬』(2008年)よりも40分近く長いので、タップリ味わったという満腹感がある。まあ、前作の短さもメリハリがあっていいかなと。

 今回は、ピアース・ブロスナンの『ゴールデン・アイ』(1995年)から長年、Mを演じてきたジュディ・ディンチがシリーズ引退ということで、メインのボンドガールはいなくて、実質的にMがヒロインとなっている。前作でも強調された、やんちゃなボンドに辟易しながら信頼を寄せる母親的な上司として、ボンドとMのドラマが濃密に描かれていく。

 いわゆるボンドガール的な役割は、上海→マカオ→軍艦島のシークエンスに登場する、悲しい過去を持つ敵の情婦・セヴリン(ベレニス・マーロウ)が受け持っている。メイクといい表情といい、なんだか自動補正したインスタ写真のような人工的美人だが、あっさり巨悪・ラウル・シルヴァ=ティアゴ・ロドリゲス(ハビエル・バルデム)に殺されてしまう。この辺りはパターン化されているので、ああ、そうね、という感じ。

脚本はニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジョン・ローガンが手がけている。監督は、クレイグの指名でサム・メンデスとなった。

もう一人、全編に渡って登場するM I6のエージェント・イヴ(ナオミ・ハリス)がボンドガール的なポジション。冒頭のトルコのイスタンブールでの敵とボンドの壮絶な戦いをサポート。ボンドはバイクでワールドバザールの屋根を走り、列車に飛び乗り、その屋根の上で格闘する(それまでの列車に搭載されたショベルカーでの戦いなど、あの手この手)。イヴはMの命令で相手を狙撃しようとするが、くんずほぐれつでなかなか打てない。で、Mの「撃って」の一言で撃ったらボンドに当たって・・・ というのがアヴァン・タイトル。

 鉄橋から落下していくボンド、アデルの主題歌・タイトルバックが始まる。タイトルの「スカイフォール」は、こういうことなのか、と観客に思わせておいて、その意味が後半、明らかになっていく。「スカイフォール」とは、ボンドが幼少期を過ごしたスコットランドにある実家の「スカイフォール屋敷」のこと。満身創痍のボンドとMが、この屋敷に逃げ込んで敵を迎え撃つ。

 今回の悪役、シルヴァことティアゴ・ロドリゲスは、元M I6の香港エージェントで、Mの部下だったが、勝手にサイバー攻撃を行なって中国に捕まってしまう。しかしM はティアゴ・ロドリゲスの救出、開放を求めることなく、斬り捨ててしまう。そのことに「私怨」を抱いて「復讐鬼」と化したシルヴァが、M I6にサイバー攻撃を仕掛け、ロンドンのM I6本部のMの執務室を爆破。イギリス情報部は大混乱となる。それまでのMの独善的な「現場主義」のやり方に政府内部から批判が高まって、Mは政治的な立場も危うくなる。

その急先鋒となるのが、情報国防委員会・委員長のギャレス・マロリー(レイフ・ファインズ)。Mとボンドを目の敵にしている「天敵」的な存在として登場する。このサイバー時代に、人的情報収集になんの意味があるのか? 00課廃止、Mへの引退勧告まで話は発展していく。当のMやボンドは、現場の情報部員あってこそ、と経験から固く信じている。今回は、このギャレス・マロリーが、中盤のシルヴァによるM暗殺計画から、考え方が百八十度変わり、前作から登場の幕僚主任ビル・ターナー(ロリー・キニア)、若いが遣り手の新人Q(ベン・ウィショー)とチームを組んで、ボンドとMをサポートする。つまり次作『スペクター』『ノー・タイム・トゥ・ダイ』のクライマックスで見せた、任務や立場を超えた「チームワーク」が、ここで成立する。そのファミリー感覚が、ダニエル・ボンド映画の新たな魅力となる。

さて、イスタンブールの任務中に死んだとされたボンドは、死線を彷徨い、バハマで隠遁生活をしている。女の子と遊び、酒を飲み、地元の連中と危険な賭けをして、刹那的な日々を送っている。イアン・フレミングの原作の世界である。しかしバーのTVで、MI6本部の爆弾テロを知りロンドンへ。Mの冷酷な判断で、死の淵を彷徨ったボンドは、いわば本作のヴィラン・シルヴァと同じ立場なのだけど『野良犬』の三船敏郎同様、ヒーロー側に留まる。これも脚本の狙い。Mに裏切られた二人のエージェントの闘い、でもあるのだ。

Mの自宅にボンドが音もなく現れる。これも『カジノ・ロワイヤル』であったが、前二作では、Mの夫がベッドに寝ていた。しかし、その夫が亡くなり、今は一人暮らしだということが、中盤の公聴会で明らかになる。Mが自分のポリシーを語るときに、亡き夫が好きだった、アルフレッド・テニスンの「ユリシーズ」の一節を暗唱するが、これが素晴らしい。


天と地を動かしたかつての我ら

我らはかつての力を失いたり

それが今の我らの姿

時と運命によって弱まれど、英雄的な意思の力は強靭なり

戦い、求め、見つけ出し、決して屈服することはなかりけり

これは、ボンドの行動原理でもあり、Mやビル・ターナーのポリシーであることが、観客の胸に迫る。この場には、マロリーの秘書となったイヴもいる。ボンド・ファミリーの矜持として、最終作でも貫かれることとなる。

で、この詩の暗唱が終わるタイミングで、シルヴァがM殺害に現れ、ボンド、イヴ、マロリーが身を挺してMを守り、ボンドがMを車に載せて逃走。Qが用意していた1964年型アストンマーチンDB5が登場! このシーンではじめて、モンティ・ノーマン作曲「ジェイムズ・ボンドのテーマ」が流れる。何度観ても痺れる! ボンドはMの皮肉を受け流しながら、「過去への旅」を始める。スコットランドへと向かう道。荒涼たる大地に、ひっそと立つボンド家のスカイフォール屋敷。

ボンドは11歳で、両親を飛行機事故で両親を亡くして、天涯孤独となる。原作で描かれてきたボンドの過去がシリーズで初めて明らかになる。次作『スペクター』では、両親を失ったボンドを育ててくれた養父と、その関係に嫉妬していた義兄との確執が明らかにされる。ダニエル・ボンド映画は、こうした過去や物語の連続性を大事にして、21世紀の新たなジェイムズ・ボンド像を創造してきた。それゆえに、荒唐無稽の痛快活劇だったこれまでのシリーズとテイストが変わり、評価が大きく分かれている。

さて、スカイフォール屋敷には、ボンドの少年時代を知る猟場の番人・キンケイド(アルバート・フィニー)が登場。ボンド、Mとともに、シルヴァを迎え撃つ準備をする。このキンケイドは、当初、ショーン・コネリーにオファーされたが、ボンド役以外でのシリーズ復帰はあり得ないということで、実現叶わなかった。まあ、アルバート・フィニーで正解だったと思う。キンケイドが、スコットランド訛りで、Mをエマと呼ぶのがおかしい。

スカイフォール屋敷でのシルヴァ一味とボンド、M、キンケイドたちの壮絶な闘い。西部劇のようでもあり、ボンドが身をもって、母親的存在のMを護ろうする。クライマックスはスカイフォール屋敷の大爆破、そしてMはボンドの腕のなかで息を引き取る。このシーンが、感動的に描かれ、ジュディ・ディンチのファイナルにふさわしい名場面となった。スカイフォール屋敷を失い、Mを喪ったボンドは、再び天涯孤独となるのか? 否! エピローグで、MI6の古いビルの屋上で、ロンドンを見渡すボンドに、イヴがMの形見のチャーチルを模した陶器のブルドックを手渡す。

イヴに案内され、新たなMの執務室に行くと、なんと懐かしやシリーズ初期から中期にかけてのセットの雰囲気。そこでイブの名前がマネーペニーと明らかになり、ビル・ターナーが部屋から出てくる。新任のMはギャレス・マロリー! これで、新たな「ボンド・ファミリー」が誕生!というわけである。長年のボンドファンとしては、最高のラスト!なのである。シリーズはここから、ボンドの過去と未来の家族の物語になっていく。次作では義兄との確執、そして最終作では……





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