『野良猫ロック マシンアニマル』(1970年・長谷部安春)
長谷部安春監督が三たび演出したシリーズ第四作『野良猫ロック マシンアニマル』(11月22日)は、それまでの長谷部作品とはいささかテイストが異なる。舞台は日活アクションの聖地であり、ホームグラウンドでもある港町ヨコハマ。例によって、不良少女グループと、暴走集団が共存しているこの街へ、基地の街、山口県岩国市から三人の男たちがやってくるところから物語が始まる。
岩国から来たのは、藤竜也演じるノボ、岡崎二朗演じるサブ、そして山野俊也扮するベトナム戦争を拒否した米軍の脱走兵チャーリー。ノボとサブは、チャーリーをヨーロッパに密出国させるために、LSD500錠を資金に、ヨコハマを訪れる。これまで『野獣を消せ』(1969年)や、長谷部の「野良猫ロック」で、藤竜也が演じてきたのは、狂気を秘めた若者像、何をしでかすかわらない不気味さと、シニカルさを持ち合わせている。内に秘めたエネルギーが爆発し、ヴァイオレンスな展開が繰り広げられてきた。
しかし本作のノボは、闘争を好まず、ハッピーな平和主義を標榜しているインテリ。「何か面白いことないか」と、怠惰な日常をぶち破るために、ベトナム脱走兵を逃がすことを生き甲斐としているが、決して激するわけではない。これも1970(昭和45)年の「ある若者の気分」を象徴している。高度経済成長に邁進してきた日本は、それまで「モーレツ」至上主義で、そのエネルギーは若者たちの気分を支配していた。CMでも、小川ローザのミニスカート姿の「Oh!モーレツ」(丸善石油)が大ヒットしたのが前年の1969(昭和44)年。この映画が公開された70年には、それを全面否定する「モーレツからビューティフルヘ」(富士ゼロックス)というキャッチコピーが流行。その時代の雰囲気をかもし出しているのが、藤竜也のノボということになる。
ノボのあだ名は、NOBODYに由来する。ノボは無抵抗主義。だからアクションも勢い女の子たちが主体となる。本作の異色作感はこんなところに根ざしている。とはいえ、梶芽衣子のヒロインぶりは、可愛さがさらにエスカレート。反抗する若者の代表から、ビューティフルなノボたちの、海外脱出の夢を実現させるべく、奮闘努力する姿は微笑ましい。
これまで藤竜也のパートだった、暴走集団のリーダー・佐倉には、日活アクションの最高のヒールの一人である郷○治。ドラゴンという暴走チームを率いて麻薬の裏取引の斡旋など暗黒街的な仕事もしている。その黒幕が范文雀扮する車椅子の美少女ユリ。佐倉はユリに忠誠を誓い、ノボが資金源として持っているLSDを奪おうとする。その争奪戦が本作のアクションへの動機付けとなる。
ユーモラスな感覚が随所に溢れている本作だが、やはり白眉は、マヤたちがドラゴンたちとチェイスをするために、ホンダのバイクショップからミニバイクを拝借して、横浜中華街、埠頭などを行進する場面。重慶飯店の店内で「すいませーん!」「ごめんなさいよ〜!」と可愛く叫ぶ。
舞台となる横浜で登場するのが、マヤたちの溜まり場であるクラブ、アストロ。実在した店で、多彩な音楽ゲストが出演して演奏しているが、音楽シーンは本作が最も充実している。まず「恋はまっさかさま」を歌うのが、梶芽衣子の実妹・太田とも子。この「恋はまっさかさま」は、作詞はちあき哲也だが、作曲はなんと宇崎竜童! ダウンタウンブギウギバンド前夜、まだメジャーになる前の宇崎の初期の作品。またカルトGSファンには名高い沢村和子とピーターパンによる「マイ・ボーイ」を演奏する場面は貴重な映像資料でもある。さらに、今では尾崎紀世彦の「また逢う日まで」として知られているあのメロディの原曲であるズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」は、作詞・阿久悠、作曲・筒美京平コンビのプロトタイプ作品。「また逢う日まで」のヒットは翌1971(昭和46)年だから、オンタイムの観客にはズー・ニー・ヴーの歌として認識されていたわけだ。
このアストロでクライマックス近くに演奏されるのが、太田とも子の「とおく群衆を離れて」。作詞・阿久悠、作曲・宇崎竜童のコンビといえば、昭和から平成にかけて、数々の名曲を残していくが、この「とおく群衆を離れて」には、本作のテーマと時代の気分が集約されているような気がする。
そして、もう一つの舞台となるのが、外国への密出国を斡旋しているギリシャバー。これは「野良猫ロック」というより、かつての日活映画に登場する外国船員たちが集まる店そのもの。石原裕次郎の映画などで、外国からの入口であり、外国への出口だったヨコハマが、ここでも機能している。ここでミキ(青山ミチ)が「恋のブルース」を抜群の声量で歌うシーンは素晴らしい。私生活ではいろいろあった人だが、こうして最高のパフォーマンスが映画に残っているのは、観客にとっても幸運なこと。忘れてならないのは、梶芽衣子がアジトで、ノボたちを前に歌う「明日に賭けよう」だろう。このシーンだけでも価値がある。