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『赤い夕陽の渡り鳥』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年のマイトガイ=小林旭の活躍ぶりには凄いものがある。1月3日封切の『口笛が流れる港町』から12月7日封切の『都会の空の用心棒』まで実に12本。この『赤い夕陽の渡り鳥』は、「渡り鳥」第四作として7月2日に公開されている。

 今回の舞台は会津磐梯山。風光明媚なロケーションを日活スコープの大画面に切り取ったのは名キャメラマン高村倉太郎。『ギターを持った渡り鳥』(59年)で水島道太郎がジョージ役を断った際に、宍戸錠を強く推したのが高村キャメラマンだったという。「渡り鳥」シリーズが観光映画として果たしていた役割の大きさは、画面からも伺える。この頃、ロケ隊の歓待ぶりというか、小林旭=浅丘ルリ子コンビの人気はすさまじく、会津ロケの際に、自分たちが動くと山の向こうで黒い影の塊のようなものがザザっと動く、何事かと思ったら見学の人々だったと、旭氏本人が筆者に話してくれた。


 さて山崎巌脚本、斎藤武市演出も快調な第四作は、シリーズならではのルーティーンが実に充実している。冒頭、馬に乗りフラリと現れる滝伸次。主題歌が流れるなか、馬に乗る渡り鳥が遠景で捉えられる。この叙情性。なんでもありの「渡り鳥」の西部劇性がより高まっている。今回の滝はずっと馬にまた跨がっているのだ。


 少年が崖から落ち、助けを求める。ジャンプし崖を駆け下りる渡り鳥。少年を抱き、さらに滑り落ちる。小林旭捨て身のアクションだ。そこへ「助けてやろうか」と宍戸錠の声。ロープを投げるハジキの政。「世の中は持ちつ持たれつってわけさ」と渡り鳥の馬に乗っていってしまう。錠の登場で映画はさらに活気づく。そのロープを滝伸次が返すシーンもふるっている。


 この時期の「渡り鳥」「流れ者」シリーズを支えたのは、なんといっても旭と錠の絶妙なコンビネーション。毎回ディティールに凝る錠と、涼しい眼差しのヒーロー旭のやりとりには、ルーティーンの楽しさに溢れている。


 今回の重要なキャラクターは信夫少年。演ずる島津雅彦は、『銀座旋風児 黒幕は誰だ』(59年)に出演後、小林旭映画の常連として『風に逆らう流れ者』(61年)にまで出演。『お早よう』(59年)など小津安二郎映画に欠かせない名子役(余談だが、小津映画の初代子役・突貫小僧こと青木富夫も山田役で出演。斎藤監督は小津組の助監督出身)。この信夫少年の父である越谷大造(大坂志郎)が今回の悪役。ふてぶてしいボス役とは趣の異なる繊細なワルぶりが楽しめる。


 もちろんアキラ節も健在。キャバレーRed Catsで、悪漢達を軽くノシた後、ママ楠侑子の酒のすすめに「せっかくだけど奢りの酒は性にあわない」と断るも、結局唄い出すのは「アキラの会津磐梯山」。作詞・西沢爽、作曲・浜口庫之助による60年7月10日発売の新曲である。「チョ・チョチョ」という唄い出しのユーモラスさ。この頃、レコードの世界でも小林旭は、ほぼ毎月新曲をリリース。宣伝プレスには<主題歌は大好評の民謡くづし「会津磐梯山」「山の渡り鳥」など小林旭とスリーキャッツの歌で吹き込まれている>とある(「山の渡り鳥」は61年5月発売の作詞・星野哲郎、作曲・市川昭介と同曲かは不明)。


 ヒロイン二宮靖子役の浅丘ルリ子が登場するのは、開巻20分ほど経ってから。旭とルリ子コンビのイメージは堅牢で、それまでルリ子が登場しなくても全く違和感はない。勝ち気な白木マリと可憐なルリ子の対比の妙。ルリ子は登場早々、錠たちに絡まれる。そこへ馬に乗った渡り鳥が登場。定石がゆえに気持ちがいい。白木マリの過去を錠が思い出すシーンが、おなじみの振付けというのもファンにはたまらない。彼女に襲いかかるシーンの錠の言語感覚のおかしさ。


 温泉の元湯の権利を狙う悪者たちと、被害者である地元の人々。開発という名前の利権争奪。滝伸次は、ヒロインたちが抱えている問題を解決するために活躍する。「渡り鳥など頼りにしちゃいけない」とルリ子に言いながら。そこには1960年代、高度成長時代に突入するニッポンの現実が象徴されている。開発による恩恵と失われてゆくもの。渡り鳥は善良な人々のために、利権を狙う巨悪と戦う。美しい風景のなかで繰り広げられる勧善懲悪の物語。


 ラスト、父を失った信夫少年の母親を探しに、信夫少年とともに旅立つ滝伸次。物語は次作『大草原の渡り鳥』(10月12日封切)へと続いていく。


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