『絹の泥靴』(1935年2月7日・P.C.L.・矢倉茂雄)
『絹の泥靴』(1935年2月7日・P.C.L.・矢倉茂雄)。トップのP.C.L.マークに、1934年度作品No.9と出る。背景は写真科学研究所のスタジオの外景。原作は佐藤紅緑が、讀賣新聞に連載、昭和10年に新潮社から刊行した大衆小説。病気の夫の治療費を捻出するため、妻で教育者のヒロインが、銀座のカフェーに勤める。男好きのする彼女は、実業家、男爵、モダンボーイ達にもてはやされ、たちまちナンバーワンに。やがて夫は病死し、目的を失った彼女は、男から貢がれる金に魅せられ、贅沢な暮らしを満喫。心を失い、欲望のまま生きていくが… といった「夜の世界」を舞台にした「女給もの」だが、内容は「女帝もの」。戦後、昭和40年代の女性週刊誌に掲載された小説やマンガの「ホステスもの」は、このバリエーションだったのかと。
それまで音楽喜劇や、エノケン映画、明朗サラリーマン映画など、モダンなテイストの娯楽映画が多かったP.C.L.では、本格的な女性映画、かなりきわどいメロドラマでもある。ヒロインの肌も露わの入浴シーンもある。同時期のハリウッドは、ヘイズオフィスによる自主検定される前の、プレコード期。自分の欲望のため、男を利用して、金持ちからむしり取る「ゴールドディガーズ」のアンモラルなテイストの影響がみてとれる。
脚色は如月敏。演出は矢倉茂雄。撮影は、ハリウッド帰りのハリー三村こと三村明。音楽は紙恭輔。ダンス・ホールのシークエンスでは、P.C.L.管弦楽団のジャズ演奏が楽しめる。主題歌作詞は、佐藤紅緑とサトウハチロー。つまり親子共同作品である。紙恭輔作曲による主題歌「遠い日よ」は、ポリドールレコードから発売され、東海林太郎が歌っているが、映画では女給役の神田千鶴子が歌うバージョンがタイトルに流れる。
2022年12月6日(火)千葉市生涯学習センターで開催されたぐらもくらぶ「G.C.R.管絃楽団コンサート」第二部では、青木研さん率いるバンドをバックに、山田参助さんが歌った。ステージはこの曲の出自についての説明はなかったが、P.C.L.映画『絹の泥靴』の主題歌。山田参助さんの伸びやかな歌声がとても心地良かった。ぐらもくらぶCD「ザッツ・ニッポン・キネマソング」(佐藤利明監修・解説)には、東海林太郎のオリジナルが収録されている。
『絹の泥靴』のキャストは、竹久千恵子、千葉早智子、細川ちか子、神田千鶴子たち、PCL黎明期を支えたトップ女優が顔を揃えている。東宝映画の母・英百合子は、めずらしく関西弁の、やり手の銀座マダム。男優陣は、ヒロインの夫に、若き日の滝沢修。胸を病んで、妻に迷惑をかけるキャラは、この年3月2日公開の『乙女ごころ三人姉妹』(成瀬巳喜男)でも再び演じることになる。その親友で孤児院をボランティアで立ち上げた小杉義男、カフェーに集う男たちに、大川平八郎、生方賢一郎、吉井廉、そして岸井明。藤原釜足は、小杉義男の友人で紙芝居屋。
P.C.L.としては2年目なので、どうしてもスタジオでの芝居は声を張ってしまいがちだが、滝沢修や細川ちか子の芝居はなるほどうまい。この作品の翌月、成瀬巳喜男が松竹から移籍するのだが、PCLが成瀬を欲しがった理由は、本作を観ると納得できる。これまでの娯楽映画にはなかった「情緒」を求めたのである。
東京の住宅地。空き地に子供たちが集まってくる。おもちゃのようなラッパで「軍艦マーチ」を勇壮に吹いて、子供を集めている紙芝居屋・六さん(藤原釜足)。出し物は「のらくろ上等兵」。紙芝居の木枠も「のらくろ」をあしらっている。六さんの手作りだろうが、オフィシャルグッズのように完成度が高い。田川水泡の人気漫画「のらくろ」は、大日本雄弁會講談社の雑誌『少年倶楽部』にて昭和6年から連載中。同誌のの人気小説「あゝ玉杯に花うけて」を連載していた佐藤紅緑が当時の編集長・加藤謙一に「もっと漫画を載せたら」とアドバイス。それが連載のきっかけとなった。六さん「猛犬連隊集合!」の掛け声で子供たちを集めている。
アパートの一室。作家・賢治(滝沢修)が原稿についと、妹・澄子(千葉早智子)と話をしている。賢治は胸を患っていて、妻・千秋(竹久千恵子)が教員をして働いている。今日は月給日なので、澄子も賢治もこころなしかホッとしている。
そこへ賢治の親友・柳井(小杉義男)が訪ねてくる。窓から、柳井と紙芝居屋の六さんが仲良く話をしているのを観て、不思議がる澄子。活動派の柳井は、困っている人を救済することを生き甲斐にしている。いまは、親のない子や貧困家庭の子供たちを預かる「隣愛館託児所」を運営しているが、資金を出してくれる篤志家を探している。賢治や柳井は、おそらくは大学出のインテリだが、暮らしは貧しくとも理想は高い。二人とも次の時代を担う子供の教育についての高い意識を持っている。
佐藤紅緑の大衆小説の特徴の一つが、立場の違う者たちの対立、ぶつかり合い、融和がある。この映画では、夜の世界の女帝となる武久千恵子と、理想に燃える男爵・佐伯秀男の個人秘書となる千葉早智子の義理の姉妹。そして竹久千恵子に入れ上げる男爵の弟・大川平八郎の転落と、兄・佐伯秀男の理想の具現。という「対立の構図」が明確にある。華族・佐伯秀男と、成り上がりの実業家・丸山定夫の対立もある。
佐藤紅緑は、こうした「対立」をダイナミックに、激しく、そして熱く描いて読者を夢中にさせた。特に少年倶楽部に連載した少年小説はその傾向が強い。余談だが、戦後、同じ講談社の少年マガジンで「巨人の星」(画・河崎のぼる)、「あしたのジョー」(画・ちばてつや)などのスポ根漫画の原作者として一世を風靡する梶原一騎は、佐藤紅緑の路線を継承して発展させた。1970年代の「愛と誠」(画・ながやす巧)などの金持ちと貧しい庶民の対比、対立は、まさしく佐藤紅緑の世界である。
さてアパートでは、澄子が柳井の分も用意して、夕餉となるが、千秋を待とうと柳井。しかし千秋はなかなか帰ってこない。実はしばらく前から千秋は失業中で、毎日、職探しをしていた。しかし不景気で、職業婦人の仕事はなく、困り果てていた。最寄駅(東横線?)の改札を出たところで、女学校時代の友人・蘭子(細川ちか子)と再会。女学校を出て以来、5年ぶりである。夫が病気であること、仕事を探していることなどを千秋が話すと「遊びにいらして。神田アパートメントよ」と優しく声をかける。
そこへ、明らかな遊び人・山田(岸井明)が現れて、千秋を品定めするように、じっとみつめる。今回の岸井明は、スケベな遊び人の役。これも意外なキャスティングだが、都会的なモダンボーイの雰囲気があって、なかなか良い。唄う映画スター岸井明的には、後半、ヒロインの屋敷のパーティで、女の子たちと酔っ払って「ダイナ」を歌って浮かれるシーンがある。
遅く帰宅した千秋は、給料が出てないこと、2ヶ月前に失業したことを告白。賢治はネチネチと詰め寄るが、豪放磊落な柳井がその場を収める。今は、兄の看護のために、ミシンの内職をしている澄子も、千秋と一緒に、職探しをするが、二人が考えているような仕事はない。斡旋所のおじさん(吉井廉)は「女には女にしかできない仕事がある」と水商売を匂わせる。
ここで「生活のため」と割り切った千秋は、神田アパートメントに蘭子を尋ねると、万事了解していて「ウエイトレスの仕事よ」と、自分が勤めている銀座のカフェーを紹介する。蘭子は、再会した日から、彼女は水商売になると確信して、千秋の「男好きのする」美貌を、自分のために利用しようとする。つまり、蘭子はこの物語におけるメフィストフェレスの役割。
タイトルの「絹の泥靴」は本作のテーマでもある。後半、男からむしり取るだけむしり取るためには手段を厭わない蘭子が、ヒロインの千秋に「男を騙して暮らす泥沼のような生活を続けるしかない」「絹の靴で泥を歩いたら、もう後戻りはできない」と自嘲気味に言うセリフで、観客はその意味を知ることになる。
カフェーに勤めた初日から、目の肥えた客たちは千秋に夢中になる。最初についたのは財界の大立者・宮地(丸山定夫)。いきなり十円ものチップを貰って、千秋は戸惑う。特に男爵の次男・鳥海隆也(大川平八郎)は、すぐに千秋にロックオン。優しい言葉をかけてダンスホールに誘うが、初日なので諦められて、帰り際に多額のチップを渡す。田園調布の駅で会った、スケベはモダンボーイ・山田(岸井明)や、田舎の親父まるだしの兎(生方賢一郎)たちも、なんとか千秋をモノにしようと虎視眈々。
最初は、夫に悪いからと罪悪感のあった千秋も、自分の価値を知って次第に変わっていく。そんなある日、カフェーに澄子が訪ねてきて、夫・賢治の容態が悪いと、一緒に帰ってくれと懇願。しかし千秋は、隆也からダンスホールに誘われていたのを優先させてしまい、帰宅すると賢治は帰らぬ人となっていた。賢治は死に際に、結婚指輪を外して千秋との訣別を宣言。そんな千秋を責める澄子。二人は対立して、澄子は家を出て行ってしまう。
そこから千秋は、自分の美貌と、男たちの欲望を利用していく。しかも千秋を金づると思っている蘭子は、隆也に交渉してパトロンになってもらい洋館を用意させる。しかもその洋館では、隆也がいない時は、他の男たちに開放して、千秋を提供してたんまりと金儲けをするという寸法。これには驚いた。原作ではもっとあからさまな描写なのだろうが、前述のようにハリウッドのプレコード作品のようなアンモラルな展開。男と酒と金。千秋と蘭子は、派手な暮らしを謳歌していく。
一方、澄子は自活するために、どんな仕事でもしようと、隆也の兄の男爵・鳥海彰(佐伯秀男)の個人秘書として、屋敷に住み込む。二人はもちろん恋愛関係になるが、ビジネスに関しては、彰も澄子もプロフェッショナル。ここで、鳥海兄弟と、千秋と澄子の義理の姉妹。それぞれの「対立の構図」が明確化される。
千秋は、隆也のお供で出かけたゴルフ場のクラブハウスで、隆也の兄・彰と出会い、彼のパーフェクトな男性的魅力に惹かれる。なんとしてでも、彰と深い関係になりたい。資金も底をつき、自分に依存してくる隆也に見切りをつけ始めていた。千秋にねだられた五千円の工面がつかず、彰のライバルである実業家・宮地(丸山定夫)の融資を受けようとする。それを知った彰は、筋の悪い宮地と関係を持つ必要はないと、澄子に小切手を用意させる。
この辺りから人間関係がドロドロしてきて、さらに面白くなっていく。ある日、隆也と蘭子と東京宝塚劇場にレビューを観に来た千秋は、ロビーで彰を見かけて、有閑夫人(三好久子)に彰を紹介してもらう。その時、彰が持っていたマスコットが、かつての義妹で千秋の放埒に見切りをつけた澄子が作ったものだと気づいた千秋は、澄子から彰を奪い去ろうと決意をする。
というわけで、ここからの竹久千恵子は、鬼気迫る演技で、男たちを手玉に取り、自分の野望を遂げようとする。隆也の母からお金を預かって、千秋の屋敷にやってくる澄子。ここで、かつては仲良しだった義姉妹が再会、対立は決定的となる。
「義姉さん こんな生活をお辞めになって、元通りの生活に戻ってくださらない?」「忠告ありがとう。あんたは立派な華族さんのお気に入りだからねぇ。私みたいな姉さんがいたんじゃ邪魔だっていうんでしょう?」「いえ、そんなこと」「これでもね、社交界では相当知られた顔なのよ。社交界なんて、あんたにはわかりゃしなかったねぇ」「知ってますわ、社交界って、男や女がお酒を飲んで、そして…」「相当なもんね、鳥海子爵を狙うだけあって、あんたもずいぶん達者になったわね」と、嫌味たっぷりの千秋。
「子爵さまはそんな社交界を改めるために、一生懸命なんです」と訴える澄子に千秋は、「これなんだか知ってる?」と澄子が彰にプレゼントしたマスコットを見せ、自分が貰ったと豪語する(無理矢理奪ったのに!)。というわけで、女VS女の火花散る戦い。これぞ佐藤紅緑の世界!
一方の隆也は、金に困って、宮地の言うなりになって、彰が進める華族界の浄化運動に水を指すために、家族を次々と買収する。その資金は、彰を骨抜きにしようとする宮地が出したものだった。やがて隆也は贈収賄で逮捕され、千秋は何もかも失う。
クライマックス、千秋が己が罪に慄き、これまでの暮らしを反省して、真っ当な人間になろうとして、蘭子の元を去ることとなる。ラスト、蘭子に別れを告げて、円タクに乗って、どこか遠くへ向かう千秋。その晴れがましい表情。ヒロインはこうして成長するが、彼女に関わった男たちの末路は哀れである。滝沢修、そして大川平八郎。他の男たちもまた然り。累々たる男たちの抜け殻の山…
昭和10年の観客は、この男と女の欲望のドラマをどう受け止めたのだろうか? まだ観客のレイティングがない時代だけに気になる。ともあれ、竹久千恵子のトップシーンの貞淑な妻から、次第に妖艶なヴァンプに変貌していくプロセスだけでも本作の価値がある。