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『アラモ』(1960年・ユナイト・ジョン・ウェイン)

 ここのところ2時間半を超える映画を立て続けに見ている。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(163分)、『ONODA 一万夜を越えて』(175分)、『D U N E/砂の惑星』(155分)、『最後の決闘裁判』(153分)と、いずれも、僕の一つの大作映画上映時間尺度である『クレージー黄金作戦』(157分)クラスの長さである。長ければいい、というものではないが、この秋に観た作品は、いずれも「必然の長さ」で、それぞれを堪能した。先日、『D U N E/砂の惑星』を観ている時に、ふとジョン・ウェインの『アラモ』(1960年・ユナイト・ジョン・ウェイン)の202分版のBlu-rayは日本ではリリースされないのかな?と頭をよぎった。

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 ジョン・ウェインが自ら陣頭指揮をとって、テキサス独立戦争最大の悲劇「アラモの戦い」を超大作として映画化。主演・監督・製作を手がけたトッドA O式の70ミリフィルムで撮影され、初公開版は3時間22分だった。その後、ユナイトが通常公開版として2時間42(162分)に編集したバージョンが一般的となり、DVDでリリースされてるのは162分版である。これでも十分長尺で、『クレージーメキシコ大作戦』(1968年)の162分と同じである。

 初公開以来、202分版は失われてしまったとされていたが、1970年代にカナダで発見されて上映された。その時のフィルムがビデオソフト草創期に、VHSやレーザーディスク化され、そのバージョンをレンタルビデオで観た。そしてDVDの時代となり、当然のことながら202分版が観れるものだと思っていたら、なんとマスターが散逸してしまって、DVDは162分バージョンに戻ってしまったのである。

 そして2021年、ようやく修復作業が完了して、ドイツとフランスでBlu-rayが発売されたが、本国アメリカではまだリリースされず、日本でも発売予定はない。なので、次に観る時は202分版だと決めていたので、今年、ジョン・ウェイン作品を連続視聴したときも『アラモ』はとっておいた。なのだけど、一昨日『最後の決闘裁判』を観て、やっぱり『アラモ』が観たくなって、2002年にリリースされた、画質もあまりよくない、国内版DVDを娯楽映画研究所シアターに投影。

 ジョン・ウェインの映画なので、クライマックスは壮絶な戦いの悲劇となるのだけど、前半から中盤、最後の戦いの直前までのドラマは、いつもながらの娯楽西部劇。ユーモア、男の友情、男たちの確執、そして結束・・・。かつての男の子が夢中になった要素がギッシリ。その分、史実とはかけ離れているが、西部劇としては最高のアトラクション・ムービーとなっている。

シナリオは『流れ者の復讐』(1950年・ジョセフ・ケイン)のジェームズ・エドワード・グランドが、ジョン・ウェインの依頼を受けて執筆したオリジナル。撮影は『騎兵隊』(1959年)などジョン・フォード一家のウイリアム・クローシャー。音楽はディミトリ・ティオムキン。映画は観ずとも、誰もが知っている主題歌とメロディーが全編に渡って流れる。当時としては「西部劇に主題歌はつきもの」だったが、改めて観ると、「市川雷蔵の股旅映画に橋幸夫の主題歌がつきもの」と同じ、これぞ娯楽映画!の楽しさがある。


 長尺の大作映画だが、歴史劇のような複雑な時代背景、人間関係などは一切なく、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ローレンス・ハーベイ、タイプの違う三人の男が、反目し、対立し、友情を交わし、そして最後の戦いに望む。というシンプルな構成に徹している。この作り方は、この映画の前年からスタートした、岡本喜八「独立愚連隊」シリーズに通じる。いずれも往年の西部劇へのリスペクトというか「おなじみの手」を使っている。日活映画、小林旭主演の戦場アクション『俺は地獄の部隊長』(1963年・古川卓巳)は、明らかに『アラモ』を意識している。

 1836年、メキシコ領だったテキサスに、各地から多くの移民が入植していた。メキシコの大統領サンタ・アナが、領民から土地を没収、さらに重税を課すと宣言。テキサス人たちはメキシコからの独立運動を起こした。サム・ヒューストン将軍(リチャード・ブーン)率いる義勇軍・テキサス独立軍に対して、サンタ・アナ率いるメキシコ軍は討伐を開始。必死の攻防が繰り広げられていた。というのが、物語の全段にあたるが、この辺りの歴史的背景を、字幕で軽めに紹介して、いきなりサム・ヒューストンが義勇軍を率いて、サン・アントニオにやってくるところから始まる。

 ヒューストン将軍は、飲んだくれだが有能なジェイムズ・ボウイ(リチャード・ウィドマーク)を大佐に任命して、サン・アントニオ近郊にある教会を「アラモ砦」として、時間稼ぎのための陣地構築を指令する。しかしボウイは、飲んだくれで砦構築は遅々として進まない。将軍は、ボウイを解任して、まだ若いが野心家の弁護士出身のトラヴィス大佐(ローレンス・ハーヴェイ)を後任とする。理論派のトラヴィスと、行動派のボウイは、最悪の関係で、お互いを認めずに対立。

 そこへ、テネシー出身の伝説の男・デイビー・クロケット(ジョン・ウェイン)が、仲間達と共にサン・アントニオにやってくる。クロケットは義勇軍に参加する心算だったが、ならず者の配下たちには知らせていない。そこへトラヴィスが現れて、クロケットに義勇軍参加要請をする。この前半が面白い。一筋縄ではいかないクロケットを、理想と理論で説き伏せようとするトラヴィス大佐の空回り。ジム・ボウイとトラヴィスの確執。そしてクロケットが、仲間達の義侠心を刺激して、自らの意志で義勇軍に参加させるプロセスは、これぞジョン・ウェイン映画の楽しさ。

 映画は主演の三大スターの、それぞれのキャラクターを最大限に活かして、さまざまなエピソードを重ねていく。敵軍のバカでかい大砲を撃たれ、これではひとたまりもないと、クロケットとボウイたちが、トラヴィスを無視して、深夜、敵の陣地に乗り込んで大砲に泥を詰めて発砲、大爆破してしまう。また塩漬けの肉が腐り、大量の赤痢が発生して、もう四日しか食料が持たない。どうしよう。というときに、クロケットたちが川を歩いて、敵陣を急襲、大量の牛を堂々と盗んで、アラモ砦に連れ帰る。そういう爽快なシーンが続いて、観客を飽きさせない。

 トラヴィスとボウイは、とにかく相容れることができない。ならば決闘を!となるがクロケット立ち合いのもと「闘いが終わってから」となる。メキシコ軍に勝利してテキサス独立の暁には、晴れて決着をつけようとなる。シェイクスピア劇など、ストレートプレイ、舞台の名優として名高いローレンス・ハーヴェイと、50年代の新しいタフガイとして人気だったリチャード・ウィドマーク。タイプの違う二人の対立が、この映画の最大の見ものでもある。ある日、ボウイに妻が疫病で亡くなったと手紙が届く。辛いのボウイに「許可なく外部の通信を読んだな」と厳しく責め立てるトラヴィス。それが訃報と知って、心からの謝罪をするトラヴィス。ここで「トラヴィス、いい人じゃん」となる。それでもボウイは、「お前はお前、俺は俺、何にも変わっちゃいない」と嘯く。それがまたいい。

 クライマックス。勝ち目がない戦いから、一度は降りることにしたボウイ、体制を立て直そうと撤退を決意するクロケットたちを、トラヴィスは素直に送り出そうとする。しかも最大の賛辞と謝辞をのべて。もちろんボウイも、クロケットも、死を覚悟してトラヴィス大佐の指揮下に戻る。この「闘いの前夜」のシーンは、何度観てもグッとくる。ますます202分の初公開版が観たくなった。

 というわけで、ぼくが最初に観たのは、小学3年生のとき、「日曜洋画劇場」で二週に渡ってオンエアされた時だった。その後、中学3年のときに「月曜ロードショー」での再放送は、カセットに録音した。ジョン・ウェイン(納谷吾朗)、リチャード・ウィドマーク(大塚周夫)、ローレンス・ハーヴェイ(広川太一郎)の吹き替え版だった。


 


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