見出し画像

『大幹部 無頼』(1968年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第2作!


 豪腕と呼ばれた舛田利雄監督の下で、石原裕次郎の『零戦黒雲一家』(1962年)や『赤いハンカチ』(1964年)などの助監督として活躍してきた小澤啓一監督。1960年代末から70年代初頭にかけて、日活ニューアクションを支えていくことになる澤田幸弘監督らとともに、1956(昭和31)年、日活助監督部に入社。ちょうど石原裕次郎が『太陽の季節』(1956年)の“若者言葉の指南役”として日活撮影所に初めてやって来た頃だった。早稲田大学在学中からシナリオ作家志望で、小国英雄のシナリオ工房に在籍していた時に、キャロル・リード監督の『第三の男』(1949年)を観て、演出家を志向したという。川島雄三、井上梅次、西河克巳に師事、日活アクション黄金期には舛田組に専従し、裕次郎映画や小林旭の任侠アクションをチーフ助監督として支えた。舛田監督が最も信頼した助監督の一人でもある。

 その監督デビュー作となったのが、師匠・舛田利雄が創りだした「無頼」シリーズ第2作『大幹部 無頼』だった。小澤監督はもちろん前作でもチーフ助監督をつとめている。シナリオは前作に引き続き池上金男と久保田圭司。舛田が創出した『無頼より 大幹部』の純粋な続篇となっている。メガホンをとるにあたって、小澤監督は、澤田幸弘をチーフ助監督として「1本目をやるからどうだ」と指名。澤田によれば、同期のデビューのために「頑張ってもらいたいし、こっちも頑張りました。あの頃は映画館が厳しかったですからね。新人が頑張らないと、ということで、ベテランの高村倉太郎キャメラマンが、頑張ってくださいました」(映画秘宝2012年9月号)と筆者のインタビューに答えている。

 前作のラスト、五郎の鑑別所時代の先輩・杉山勝彦(待田京介)の妻・夢子(松尾嘉代)と、五郎を慕う雪子(松原智恵子)が青森県弘前に旅立った、その後の物語として始まる。夜汽車に乗る五郎、伊部晴美のテーマ曲をバックに、前作同様、五郎の少年時代をモンタージュで展開される。加えて、今回は五郎のモノローグから、第1作のダイジェストが、古い写真のようなビネットの額縁で、モノクロ処理されている。これは木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』(1956年松竹)の手法。助監督だった澤田幸弘によれば、入社が決まってほどなく観たのが、この作品だったという。

 夢子と一緒に逃げる筈だった杉山は、単身死地に乗り込み、壮絶な死を遂げ、五郎がその復讐を果たした衝撃のラストが回想シーンとして提示される。上野駅での五郎と雪子の別れは、舛田監督の『闘牛に賭ける男』(1960年)の裕次郎と北原三枝の別れのシーンのリフレインでもある。

「俺には許せねえ、杉山を殺った上野を許せなかった。上野を殺って、俺は傷ついた。俺には何が残ったのか? 何にもねぇ、俺は、俺は・・・」と五郎のモノローグ。前作では明確に語られなかったことが、言葉として紡ぎ出されてゆく。

 やがて汽車は、雪子の待つ津軽板崎駅へと到着。この時の五郎は、流れ者のやくざではなく、堅気としてこの土地で生きて行こうとする明確な目的を持っている。居場所を失い、やくざとして生きてきた五郎が落ち着こうとするも、そうはいかない。

 早速駅前で、レビュー一座のダンサー鈴村菊江(芦川いづみ)たちが、地元の稲武組の牧野(江角英明)に因縁をつけられている。それを通りかかった五郎が助ける。“見て見ぬふり”が出来ないのが五郎。夢子は胸を患って寝込んでいる。その治療費を捻出するために五郎は、堅気として弘前の材木商で伐採の仕事をするが、“人斬り五郎”としての過去と厳しい現実が立ちはだかる。金のために、旧知の横浜の木内組組長・木内剛(内田良平)の話に乗って、ふたたびやくざの世界に戻ってゆく。

 今回もまた様々な人物が登場する。五郎の“先輩”で関東和泉組の代貸・浅見洪介(二谷英明)と、その妻・節子(真屋順子)。関東和泉組は、五郎が食客として草鞋を脱ぐ木内組とは敵対関係。浅見洪介の妹でフラメンコダンサーの恵子(太田雅子)は、木内組の若林淳(岡崎二朗)と恋仲。それぞれの板挟みが悲劇となってゆく。

 妻子を守るために、逃亡者となった洪介の焦燥感、そして息子への思いでクリスマスの夜、アパートに立ち寄ろうとした洪介がたどる運命。“ヤクザ組織の非人間性”“圧殺されていく個人”というテーマは、シリーズ全作を貫いている。余談だが、真屋順子は後に「大都会—闘いの日々—」第14話「もう一人の女」(澤田幸弘監督)で、同じ境遇のやくざの女房を演じている。
津軽板崎でかつて助けた菊江が、今では横浜のチャブ屋“キャバレー・ゴールデンゲイト”の娼婦に落ちていて、彼女を贔屓にしている根本勝次(田中邦衛)が、五郎を兄貴分の仇と狙っているという運命の皮肉。第1作の上野組長(青木義朗)の弟分が根本勝次なのだ。さらに、雪子が五郎を尋ねて横浜へとやってくる。

 この映画の登場人物たちは、こうしたしがらみに縛られ、それゆえ、それぞれがギリギリの局面を迎えてゆく。

 クライマックス、五郎は壮絶な戦いを展開する。電車の車庫から用水路で、血まみれの刺し合いが繰り広げられていく。もとの台本には場所の細かい指定はなく、小澤監督のアイデアで、クライマックスのアクションが設計されている。チーフだった澤田監督によれば、最初の斬り合いは都電の芝浦車庫(横浜市電という設定)、最初に落ちる用水が神奈川県川崎市の溝口川、延々斬り会う場面は日活撮影所に作ったセット、そして最後が神田川。
近くに学校のグラウンドがあり、ラストのバレーボールをしている女子高生たちと五郎の対比を撮るために、神田川に橋桁をかけて、移動撮影が出来るようにしたという。

 壮絶な斬り合いの果て、満身創痍の五郎がグラウンドに倒れ込む。それまでハツラツとバレーの練習をしていた女子高生たちが、その姿に慄然とする。このラストカットは、第1作を“青春映画”として捉えていた、舛田監督と池上金男の発想をさらに発展させたもの。

 死闘の果てに五郎が見たであろう、ギラギラとした太陽。1960年代末のニッポンに充満していた鬱屈した空気を、人々の怒りを、人斬り五郎はすべて背負って、爆発させた。そんな印象のクライマックスである。新人・小澤啓一監督により「無頼」シリーズは新たな境地を迎え、俳優・渡哲也の代表作となっていくのである。

日活公式サイト

web京都電視電影公司「華麗なる日活映画の世界」


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。