『唄へ河風』(1939年8月31日・東宝・並木鏡太郎)
岸井明と藤尾純が売れない三流漫才コンビを演じ、笑芸人の哀感を描いた『唄へ河風』(1939年8月31日・東宝・並木鏡太郎)は、大阪を舞台にしたコメディ。東宝はP. C .L.の頃から「横山エンタツ・花菱アチャコ」の『あきれた連中』(1936年・岡田敬、伏水修)を皮切りに、吉本興業提携の「漫才映画」を連作してきた。大阪の劇場や、東京の寄席で「漫才」を観たことがない地方の人たちも、こうした「漫才映画」やラジオ中継、レコードなどで「漫才」を楽しみ、浸透していた。
また、日中戦争の兵士慰問のために、昭和13(1938)年1月、吉本興業と朝日新聞が企画した「わらわし隊」で、花菱アチャコ・千歳家今男が北支へ、横山エンタツ・杉浦エノスケが中支へ派遣された様子も新聞やラジオで報道されていた。エンタツ・アチャコはすでにコンビ別れをしていて、映画でのみ共演している、ということも含めて広く知られていた。そうした「漫才師」について世間が認知していたこともあり、「漫才映画」ではなく「漫才師映画」が作られた。いわば「芸道もの」の漫才師版である。
また、この映画は、東宝映画と寶塚ショウの第一回提携作品として、菊田一夫と山本紫朗作である。これまでの「エンタツ・アチャコ映画」は、吉本興業提携で、作者は漫才作家の秋田實だったが、今回は東宝映画京都の製作。大阪梅田に昭和12(1937)年に開場した「北野劇場」で、菊田一夫肝煎りの「寶塚ショウ」と提携しての「ショウ映画」でもある。なので「寶塚ショウ」のステージで、江戸川蘭子が寶塚歌劇団から編成されたショウガールを従えて歌い、岸井明はこの映画の主題歌として6月にリリースしたハワイアン「海邊は楽し」(訳詞・岸井明 作曲・William Coelho)をウクレレ片手に歌うプロダクション・ナンバーがクライマックスとなる。
岸井明と藤尾純の漫才コンビ「エントツ・チョカスケ」が、とある理由で喧嘩別れ、岸井明はソロの芸人として北野劇場の舞台に立つというもの。漫才コンビの喧嘩別れのドラマ、ということではニール・サイモンの戯曲「サンシャイン・ボーイズ」のような味わいがある。彼らが住む、天下茶屋の芸人アパートの描写、難波の吉本興業の漫才専門劇場などの描写は、これまでのアチャラカ映画やモダン喜劇にはないテイストである。
大阪、土佐堀川や堂島川を行き来する運搬船。近頃はトラック陸送が盛んとなり、老舗の廻船問屋の主人・徳助(森野鍛治哉)と妻・おのぶ(沢村貞子)も借金で頭が痛い。今日も高利貸・強田(進藤英太郎)が借金の催促にやってくる。漫才マニアの徳助は、前夜、寄席で聞いたネタを応用して、とんちを効かせて借金の言い訳をするが、強田の逆鱗に触れて、明後日までに耳を揃えて返せ!と、エライことになる。ロッパ一座出身のコメディアン・森野鍛治哉の味のある「のらりくらり」の芝居が、相変わらずおかしい。女房の沢村貞子は戦後のイメージと全く変わらない。口うるさくてヒステリー。関西弁でも東京弁でもキャラクターは同じ。
徳助たちに仕事をもらっている船の親父・松吉(横山運平)は、「河ぐらし」に満足しているが、娘・八重子(花井蘭子)だけは、銀行員のような硬い商売の男と結婚させて「丘に上がって欲しい」と願っている。そんな松吉の思いを汲んで、八重子は「大阪銀行の150円の月給取」の岸(岸井明)と交際している。しかし、銀行員とは八重子のためについた嘘で、岸の本業は売れない漫才師「エントツ・チョカスケ」の岸エントツだった。花井蘭子は、松竹下加茂撮影所で子役を演じ、日活太秦で時代劇の娘役を演じでスターになり、昭和12(1937)年大河内傳次郎とともに、J .O.スタジオに入社。東宝に吸収合併後は、東宝京都撮影所のトップスターとなっていた。
この冒頭で、大阪の河をめぐる風景がロケーションで活写されている。土佐堀川を進むポンポン船。のんびりした河ぐらしの人々。松助が毎晩通っている「エントツ・チョカスケ」の出ている小屋「皆様の娯楽場 永楽館」も、河っぺりにある。この日の舞台でエントツは、段取りを無視して、八重子のことばかりを言って、相棒・チョカスケ(藤尾純)に怒られる。楽屋でエントツは、八重子に銀行員であると嘘をついてしまったことを話す。根っからの芸人であるチョカスケは、だから素人の女は困ると一笑、「正直に話したらええやないか」となる。
気の弱いエントツが八重子に本当のことが言えるのか?が前半のドラマ。河ぐらしをしている娘が、そんな高望みをするなんて、生意気なやっちゃ、とチョカスケの意見は最もだが。チョカスケを演じているのは、エノケン一座、ロッパ一座で活躍していた藤尾純。戦後、日活で活躍する女優・中原早苗のお父さんでもある。この藤尾純さんのチョカスケがなかなかいい。
舞台での二人の漫才は「エンタツ・アチャコ」を参考にしている。特に岸井明は横山エンタツのボケ、リアクション、間合いを“ほぼ”コピーをしている。さすがジャズ・シンガーだけあって耳がいい。体を上下に動かしながら、手のひらをひらひらさせて、相方に話しかける仕草など、映画の横山エンタツそのままである。寄席のシーンが楽しく、鼻でハーモニカを曲奏する「立花屋ジャズ吉」のパフォーマンスなどが展開される。エントツはウクレレを手に、漫才の途中で自慢の喉を披露するのが売りになっていて、岸井明が6月発売の新曲「海邊は楽し」を高座で歌う。
さて「エントツ・チョカスケ」二人が、南海電車で難波へ出て通う劇場が「ヨシモト漫才爆笑隊」の上りがはためく、なんばの小屋。ちょうどN G Kがあるあたり、千日前界隈のショットが出てくる。看板には「エントツ・チョカスケ」「三亀門・三亀助」「八千代・千代八」「今次・今若」「栄子・喜楽」と漫才師たちの名前がズラリ。この吉本の小屋のシーンは外景だけで、外は雨が降っている。侘しい日々として描かれている。
夜、チョカスケはカフェーの女給・お絹(寶塚ショウ・月島春子)に振られ悪酔い、エントツの介抱で、天下茶屋の芸人アパートに帰ってくる。このアパートの住人たちは、みんな寄席芸人。ガス台が一つしかなく、それが原因で女性芸人たちが大喧嘩。お互いの芸を腐して罵り合う。この関西弁が、東京や地方の観客には新鮮だったことだろう。その管理人(寶塚ショウ・武智豊子)は、元「安来節」の芸人で、その喧嘩を納めるべく、自分の頃は良かったと自慢の芸を披露。しかし、みんな大いにクサって、エントツの「うるさい!何時だと思ってるんだ」の一喝でショボン。
このアパートの女性芸人の部屋に、大阪での東宝映画一番館「東宝敷島劇場」のポスター。東宝京都撮影所と新協劇団提携の『初戀』(1939年6月8日・村山知義)のポスターである。また別な部屋には、『エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷』(7月12日・斎藤寅次郎)と、長谷川一夫主演『喧嘩鳶 前篇』(7月9日・石田民三)の二本立て、やはり「東宝敷島劇場」のポスターが貼ってある。昭和14年、初夏の映画のポスターに時代の空気を感じる。
「エントツ・チョカスケ」の部屋には、エンタツ・アチャコの顔の切り抜きが貼ってあり、彼らはいつも、エンタツ・アチャコの漫才の速記本やレコードを参考に、漫才のネタを考えている。
結局、八重子には嘘をついていたことがバレて、それが原因で疎遠となったエントツ。カフェーの女給・お絹にモテていると勘違いしていたチョカスケは、「(女に)捨てられた恨みを芸道で晴らせ」と、漫才の猛稽古をする。ある日、劇場の楽屋に、芸能記者(沢村い紀雄)が現れて、何か掘り出し物の芸人がいないかと支配人(山田好良)と話していると、楽屋から歯切れの良い漫才が聞こえてくる。実はエンタツ・アチャコの「早慶戦」のレコードだったのだが、それを「エントツ・チョカスケ」と勘違い。これは「金になる」と、目の出そうな芸人を劇場やレコード会社に売り込んではリベートで儲けていた、芸能記者が、早速、二人にチャンスだと声をかける。
まず梅田の北野劇場の支配人に二人を売り込む。漫才を聞いてもパッとしない。でもエントツの歌は少しだけ評価する。続いてレコード会社でオーディション。しかし楽屋で聞いた「早慶戦」のようには行かずに、三流のレッテルを貼られてしまう。万事うまく行かない。ところが北野劇場の支配人が、「エントツ」を歌手としてなら迎える。「チョカスケ」は何か他の役を与えると、条件を出してくる。中央の劇場に出ることは、またとないチャンス。しかし相方があっての自分と「エントツ」は、支配人の申し出を断ってしまう。「チョカスケ」もまた相方の出世を願っていて、わざと楽屋で喧嘩を吹っかけて、売り言葉に買い言葉で、コンビを解消してしまう。全ては「エントツ」のために仕組んだ芝居だった。
この辺り、藤尾純が実にいい。次々と理不尽なことを捲し立て、大概のことでは怒らない「エントツ」を挑発していく。自分の芸が認められなかった悲しみ、それでも相方のため。ちゃんと「芸道もの」になっているのだ。この辺りが菊田一夫なのだろう。なかなか良い展開。
やがて北野劇場の初日。空に昇ったアドバルーンに「寶塚ショウ 海邉は楽し 巨人岸エントツ氏特別出演」との惹句が上がる。ステージには、寶塚ショウガールたちが踊り、オーケストラボックスの寶塚少女歌劇管弦楽団のミュージシャンたちがごきげんな演奏を開始。ゲストの江戸川蘭子が歌うは「♪東京ルンバ」。派手なステージを満員の観客が注視している。楽しそう! 続いて、舞台が競り上がり、ウクレレ片手に白いスーツの岸エントツが登場。映画セットではなく実際の北野劇場のステージで撮影しているので、ライブの臨場感が楽しめる。
この曲は、ハワイアンの定番曲を、岸井明自らが日本語訳詞を手掛けている。CD「世紀の楽団 歌ふ映画スタア 岸井明」2021年10月19日ビクターエンタティンメント発売 に収録している。このCDの監修・解説を担当させて頂いている。
海邉は楽し Kilakila o Haleakala
作詞:岸井明(訳) 曲:コエルホ 編曲:灰田晴彦 J-54559 1939年6月1日
音楽を担当したのはP.C.L.時代からモダンなミュージカルを手がけてきた紙恭輔。原曲“Kilakila o Haleakala”は、ハワイアンの定番曲で「キラキラ・オ・ハレアカラ」として今でも親しまれている。オリジナルの歌詞は「壮大なハレアカラ マウイの美しき山 ハワイの誇り」という意味だが、岸井明の歌詞は「キラキラと晴れやかな 朝の陽は照り輝く」と「ハレアカラ」を「晴れやかな」に置き換えている。この巧みさ!「キラキラ」がやがて「ブルブル」「クラクラ」に転じていくノヴェルティ・ソングの話法も楽しい。レコードの編曲はモアナ・グリー・クラブの灰田晴彦。
ステージは宝塚歌劇団の選抜メンバーによる寶塚ショウ・ダンシングチーム、ロッパ・ダンシングチーム、そしてソロダンスは、ロッパ一座ダンサーの轟美津子。このステージのライブシーンのために、漫才コンビの訣別のドラマが用意されていた。客席には、借金問題の行方は不明だが、満面の笑みの沢村貞子と、花井蘭子が、岸井明に手を振っているので,万事解決したのだろう。その矛盾も、このクライマックスでチャラになるほど、岸井明のパフォーマンスは素晴らしい。昭和モダン、ジャズソングの時代を駆け抜けてきた岸井明が、光り輝く最高のナンバーである。
北野劇場の看板には
夏の豪華版
海邉は楽し 三幕
新星現わる 日本のビング・クロスビー 巨人 岸エントツ氏 特別出演
寶塚ショウのメンバーに、藤尾純、沢村い紀雄、有馬是馬、森野鍛冶哉、田島辰夫、大江太郎、武智豊子、月島春子など、そして特別出演として江戸川蘭子、轟美津子と、本作出演者がクレジットされている。寶塚ショウに参加した面々によるユニット出演だったことがわかる。
一方、永楽館の楽屋では、出番を待つ、チョカスケと新しい相方デブ子が新聞をながめている。チョカスケはデブ専だったのだ! チョカスケが眺めているのは北野劇場「海邉は楽し」の広告。こうして、それぞれの新たな日常が続いていく。哀感のあるラストである。