『腰辯頑張れ』(1931年8月8日・松竹蒲田・成瀬巳喜男)
現存する最古の成瀬作品
成瀬巳喜男のサイレント『腰辯頑張れ』(1931年8月8日・松竹蒲田)は、現存する最古の成瀬作品。上映時間は38分(現存は28分)。成瀬は前年、昭和5(1930)年1月21日公開の『チャンバラ夫婦』で監督昇進、この『腰辯頑張れ』は八作目となる。齋藤寅次郎や小津安二郎が、この頃手がけていた、松竹蒲田のナンセンス喜劇、不景気の小市民ものであるが、いろいろエモーショナルなショット、モンタージュに成瀬巳喜男の才気が溢れている。ちなみに腰辨とは「腰弁当」のこと。江戸時代の忠勤武士が腰に弁当を下げて登城していたことにちなみ、昭和のサラリーマンを揶揄する表現として使われていた。
主人公の武蔵生命の保険外交員・岡部を演じている山口勇(和製キングコング!の中の人)は、息子・進(加藤精一)が電車事故に遭ったと聞いて、一瞬さまざまなことが胸を去来する。その回想のフラッシュバックが技巧に富んでいて、アヴァンギャルドでもある。父が息子を想う気持ち、叱ってしまった後悔の念などなどが、一気に溢れ出す。前夜に黒澤明の『生きる』(1952年・東宝)4K版リマスターBlu-rayと、リメイク『生きる LIVING』(2022年・イギリス)試写を連続して見たせいか、『生きる』の息子・光男(金子信雄)の幼き日を思い出す主人公のフラッシュバックは、成瀬の影響?と、ふと思ってしまったり。そうではないだろうけど、いずれも「子を想う親の気持ち」という点では同じ発想でもある。ちなみに、山口勇の細君を演じているのは浪花友子。つまり齋藤寅次郎監督の奥さまでもある。
不景気の浮世。借家住まいの岡部(山口勇)は、細君(浪花友子)と二人の子持ち。長男・進(加藤精一)は気弱な父と正反対の活発な性格で、イタズラ盛り。近所の子供たちを相手に、大喧嘩の日々。友達の玩具の飛行機を壊したり、怪我をさせたり。進に言わせれば「よって集っていじめるから、やっつけてやった」である。
ある日曜日、赤ん坊をおぶって歯磨きをしている岡部。女房はヒステリー気味で、頭が上がらない。靴を磨こうと靴底をみたら穴が空いている。直したくても金はない。仕方ないから墨で黒く塗ろうとするも、靴墨のブラシと歯ブラシを間違えて口にくわえて苦い顔。結局、新聞紙を靴底代わりに入れることに。この靴底ギャグは、齋藤寅次郎的でもあるが、評判が良く、成瀬も気に入ってのちにリフレインしている。
『夜ごとの夢』(1933年)の斎藤達雄は、仕事に関しては「不仕合せ」で、失業中。仕方なしに、近所の子供と野球をして遊んでいる。まだ幼い息子は土管の上で、呑気なお父さんを見ている。するとお父さんの靴底に穴が…そこで息子は、明治ミルクキャラメルのサックを取り出して靴底にあてがうも、固定できないので、食べていたキャラメルで接着剤がわりに貼り付ける。
また同年の『君と別れて』(1933年)では、お姉ちゃん・照菊(水久保澄子)が連れてきた学生・義雄(磯野秋雄)の靴下に穴が空いているので、照菊の弟(突貫小僧)が、墨と筆を貸してくれて応急措置をする。
ことほど左様に、靴底の穴や靴下の破れ穴が、不景気、金欠の象徴として繰り返される。庶民はこうしたギャグに、笑っていた。誰もが身につまされる共感の笑いである。
さて、岡部は保険の外交員だが、なかなか契約が取れずに、家計は苦しく家賃も溜めたまま。大家が催促にやってくると、押し入れに隠れてしまう。仕方なく細君が相手をするも、押し入れには先客・進がいた。昼間、喧嘩して戸田の息子(菅原秀雄)の飛行機を壊しただけでなくケガをさせてまい、その母親(明山静江)が息子を連れて猛抗議にやってきたから、押し入れに逃げ込んでいたのだ。しかし、岡部の細君は気丈夫で、クレームをつけてきた奥さんに逆にねじ込んでしまう。齋藤寅次郎夫人となる浪花友子は、一見、おっとりとした美人なのだが、こうした生活感のある奥さん役を見ていると、なるほどコメディエンヌだとわかる。
さて、息子・進を演じている加藤精一は、突貫小僧、そして菅原秀雄とともに、松竹蒲田の三大子役の一人でもある。阪妻プロが製作した『赤城颪』(1929年2月15日)で国定忠治の子分・勘助の息子・勘太郎を演じ、齋藤寅次郎の喜劇『モダン怪談 壱00、000、000円』(1929年7月19日)でも、国定忠治の幽霊(小椋繁)が連れている勘太郎の幽霊を演じている。その後、小津安二郎の『会社員生活』(1929年)に出演。小津の『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』(1932年)では、菅原秀雄、加藤精一、突貫小僧の三人が共演している。
さて、女房に仕事で挽回してやる、息子には飛行機を買ってやると、張り切った岡部。子沢山の戸田家に勧誘へ。しかし、子供が進にいじめられたとクレームをつけてきたのは、よりによって戸田の奥さん。で、戸田家には、ライバルの関東生命保険の勧誘員・中村弘二(関時男)がひと足先に早くセールス開始。奥さんに取り入ろうとしている。ならばと岡部は、戸田家の子供たちと遊んで点数稼ぎ、馬跳びの馬になっての大奮闘。
そのご機嫌取りの最中、進は父親に「なんで?」と猛抗議、しかし、理不尽にも岡部は進を叱りつける。それはやりすぎ。と誰もが思うほど、岡部は卑屈になって戸田家の息子に取り行っている。で色々あって岡部はなんとか契約に漕ぎ着ける。岡部は、進が欲しがっていた模型飛行機を玩具屋で買って、へとへとになって帰宅。この玩具屋がある商店街、おそらく松竹キネマ蒲田撮影所の近くでロケーション。戦前の典型的な東京の商店街の雰囲気を体感することができる。
岡部が帰宅すると部屋は真っ暗、家の中は取り乱した様子。女房も赤ん坊もいない。どうしたことかと電気をつけると、近所の奥さんが「進ちゃんが電車に轢かれたんです」と真っ青な顔で。その前振りで、戸田家の奥さんが「子供が電車事故にあったらしい」うちの子じゃないか、という騒動があって、ことなきを得ていた。まさか進が! その時に、岡部の脳裏に去来するのは、さまざまなイメージ。これが、前述のモンタージュである。画面分割や、マジックミラーのように顔が大きくなったり、万華鏡のようなヴィジュアル。進を心配する岡部の気持ちを表現したアヴァンギャルドな映像。
病院では、医師(西村青児)が、険しい表情。予断を許さない状況である。岡部夫妻は憔悴しきって…ここは、ナンセンス喜劇というよりはシリアスでリアルな展開。しかし、ようやく進の意識が戻り、岡部が買ってきた模型飛行機に微笑んで…ハッピーエンドとなる。
原作・監督は成瀬巳喜男。もちろん脚本も成瀬。キャメラは、この年、鈴木傳明、岡田時彦らと松竹キネマを退社することになる名手・三浦光雄。その後、不二映画社の設立に参加後、1933(昭和8)年に日活太秦撮影所に移籍、日活太秦現代部が移転した日活多摩川撮影所に移動するも、鈴木三重吉監督ともに退社。入江たか子が設立した入江ぷろだくしょんの作品を手がけ、1937(昭和12)年、入江ぷろとP.C.L.提携の『女人哀愁』で六年ぶりに成瀬作品を担当。それを機に、三浦光雄はP.C.L.に入社。伏水修の傑作『白薔薇は咲けど』(1937年・入江ぷろ=PC L)、成瀬の『禍福 前後篇』(1937年・PCL)、山本嘉次郎の『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年・東宝)などを手がけ、戦後は五所平之助『煙突の見える場所』(1953年・エイトプロ=新東宝)や、豊田四郎作品の常連となり、『夫婦善哉』(1955年・東宝)など日本映画史に残る名作を手がけることになる。