戦前松竹の「若旦那もの」にヒントを得て、上原謙の息子・加山雄三主演で、連作された東宝の「若大将シリーズ」。麻布にある老舗のすき焼き屋・田能久(たのきゅう)の跡取り・田沼雄一が恋にスポーツにハリキリ・ボーイの青春篇。父・久太郎(有島一郎)、祖母・りき(飯田蝶子)、妹・照子(中真千子)らの田能久のシークエンスは、東宝作品ながら、製作者藤本真澄の愛した松竹映画の遺伝子を感じる。
さてその田能久は、第1作『大学の若大将』(1961年)から、第4作『ハワイの若大将』(63年)まで、店構えもセットで作られていたが、第5作『海の若大将』(65年)では初めて外景をロケで撮影。麻布という設にも関わらず、撮影は台東区浅草、仲見世脇にある「今半別館」。以後、古澤憲吾監督のこだわりで第7作『アルプスの若大将』(1966年)、第10作『南太平洋の若大将』(1967年)でも浅草で撮影。作品毎に、セットデザイン、ロケ場所が次々と変わり、第15作『ブラボー!若大将』(1970年)では、飯倉のソ連大使館近くにあった「狸穴そば」が田能久として登場。第16作『俺の空だぜ!若大将』(1970年)で、若大将は台東区柳橋界隈を歩いて、神田淡路町「神田薮そば」の田能久に帰ってくる。「神田の薮」は、最終作『帰ってきた若大将』(1981年)にも登場する。
京南大学も、毎回微妙に違う。『南太平洋の若大将』では、イレギュラーの日本水産大学として、杉並区天沼の日本大学第二高等学校で撮影が行われた。学生篇の最後となった第12作『リオの若大将』(1968年)では、世田谷区桜上水の日本大学文理学部が京南大学として登場。卒業謝恩パーティは、赤坂プリンスホテルのガーデンで、マスコミ動員をして大々的に撮影された。
第13作『フレッシュマン若大将』(1969年)で若大将が就職したのが、中央区銀座6丁目にある日東自動車本社。撮影はタイアップの日産自動車本社で行われた。『ブラボー!若大将』(1970年)で若大将が取引先の青大将・石山(田中邦衛)が専務の石山エンタープライズを訪れるシーンで登場するのは、千代田区有楽町に今もある、東宝ツインタワービル。ビルのエントランスもロケで撮影された。
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