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『とんかつ大将』(1952年・川島雄三)

 昭和27(1952)年、敗戦七年目の浅草を舞台にした人情喜劇。川島雄三としては12作目となるが、この映画のもう一つの主役は、関東大震災前から庶民に愛されてきた下町・浅草風景である。川島は第2作『ニコニコ大会 追ひつ追はれつ』(1946年)で、戦争の爪痕残る浅草風景を活写。同作のクライマックス、森川信と幾野通子の「戦後初のキスシーン」が撮影された、隅田川沿いの隅田公園、言問橋界隈が今回もキーとなるロケ場所となっている。昭和20年暮れと、昭和27年春の「浅草定点観測」映画として二本を見比べるのも興味深い。

 トップシーン。車のバックミラーに映る建物は、昭和6(1931)年開業のランドマーク、松屋浅草デパート。ミラーには今も残る屋上の塔が見える。雷門通りから吾妻橋を渡った車が、隅田公園のところでカーブ。そこで車はダルマ売りの太平(坂本武)のリアカーとぶつかる。運転手がお詫びのお金を渡そうとするショット。吾妻橋、そのむこうに、神谷バー、東京地下鉄道(現・東京メトロ)浅草駅の「浅草雷門ビル」(地下鉄ビル)が見える。いずれも東京大空襲で焼け残った建物。

 「浅草雷門ビル」は、昭和4(1929)年、地下鉄の出入り口に建設され、地下鉄直営食堂が浅草名物となった。尖塔までの高さは40メートル。関東大震災で破壊され撤去された52メートルの「凌雲閣(十二階)」に変わる浅草のランドマークで、2006年まで現役だった。その手前の「神谷バー」は明治13年に創業され、大正10(1921)年に「神谷ビル」が建てられた。関東大震災、東京大空襲にも耐えた、この「神谷ビル」は、今でも現役である。

 さて、商売ものが滅茶苦茶になり、その賠償金を運転手が渡そうとしても、太平は固辞する。そこへ通りかかったのが「とんかつ大将」。太平と同じ「亀の子長屋」に住む医師・荒木勇作(佐野周二)。大将は、車に乗ったまま、謝ろうとしない自動車のオーナー、真弓(津島恵子)に対して「降りて一言あやまって来たまえ!」と怒りをあらわにする。
 
 「降りようと降りまいと、私の勝手じゃありませんか!」と逆切れする真弓。「金を渡してそれで済むと思ったら大間違いだ」と正義感の勇作は怒る。ヒーローとヒロインの最悪の出会い。ハリウッドの恋愛喜劇の定石で、この二人の対立が物語を動かしていく。真弓は、浅草、国際劇場近くに開業している病院の院長。そのすぐ裏の「亀の子長屋」の住人である勇作と、ことごとくぶつかる。

 彼女の父で実業家の佐田伴蔵(長尾敏之助)は、悪徳弁護士・大岩(北竜二)の口車に乗せられて「亀の子長屋」の土地を取得、真弓には病院拡張計画と偽って、その土地をキャバレーにしてしまおうともくろんでいる。そのネタを掴むのが、大将に惚れている「とんかつのうまい」小料理屋「一直」の女将・菊江(角梨枝子)。彼女の弟・周二(高橋貞二)は、やくざ予備軍で、出入りで負傷をしたときに大将の世話になる。

 勇作がなぜ「とんかつ大将」と呼ばれているのか? 無類のとんかつ好きで、エネルギー補給にはとんかつが身上だから。そこで吟月が連れていくのが、浅草国際劇場近くの「一直」。そこで、女将・菊江(角梨枝子)と出会い、物語が始まる。

 庶民の安住の地を狙う悪党たちと、「とんかつ大将」を慕って結束する長屋の面々。それに、勇作のかつての恋人・多美(幾野道子)のDV夫で、勇作のかつての親友・丹羽利夫(徳大寺伸)が、悪徳弁護士の手先となり、勇作は失われた過去と対峙しなければならなくなる。

 丹羽は、戦時中、学徒動員で出征する勇作に「多美は、お前が帰ってくるまで、俺が責任を持って面倒をみる」と豪語したものの、下士官として敗戦を迎えて自決しようとする。そのとき多美に救われて求婚。幸せな日々は続かずに、すぐに事業に失敗して酒浸りのダメ男になっている。多美は、内職をしながら、丹羽との息子・利春(設楽幸嗣)を育てている。

 一方、勇作は敗戦時、ハバロフスクに抑留され、その時の仲間が、今の相棒・演歌師吟月(三井弘次)である。吟月は、抑留中に勇作から受けた恩義を忘れずに、今も慕っている。丹羽と勇作。かつての親友が、戦後、真逆の人間となる悲哀。川島雄三の作品に限らず、昭和20年代の映画の主人公は、その青春の一時期を戦争で奪われている。そのとき、どう生きたか? が命運を分けていく。明朗喜劇『天使も夢みる』(1951年)の佐田啓二は、抑留時代に細川俊夫にひどい目に遭っている。それを知る鶴田浩二が細川にギャフンと言わせる展開だった。

 『とんかつ大将』でも、佐野周二と徳大寺伸の、戦後の対照的な生き方が、ひとりの女性をめぐる物語として重要なポイントとなる。勇作は、内地へ帰還してからもずっと多美のことを想っていたことが、吟月によって観客に伝えられる。その多美と勇作が再会するのが、クリスマスで賑わう、松屋浅草デパートの玩具売り場。ブリキの機関車を「欲しい」と泣き叫ぶ息子をなだめる多美を見かけ、すぐにその機関車を購入する勇作。子供たちであふれる汽車のジオラマを熱心にみつめる利春を抱く多美と、勇作の目が絡み合う。そのシーンがなかなかいい。
 
 このシーンはセットではなく、実際の松屋浅草でロケ。続く屋上遊園も、東京の下町育ちには懐かしい光景。ここには、戦前、ロープウェイもあり、戦後にはアトラクション・スカイクルーザーが人気だった。『下町Down Town』(1957年・千葉泰樹)では、子持ちの未亡人・山田五十鈴と三船敏郎がここで過ごし、『エンタツ・アチャコの忍術罷り通る』(1953年・野村浩将)ではアチャコが浪花千栄子とその孫と遊びにくる。さらに日米合作の犯罪映画『東京暗黒街竹の家』(1955年・サミュエル・フラー)では、スカイクルーザーでの銃撃戦がクライマックス。松屋の屋上は古くは、成瀬巳喜男の浅草映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)では、細川ちか子が吾妻橋や駒形橋を見渡すショットがある。

 幾野道子は、敗戦直後の『追ひつ追はれつ』から川島映画のヒロイン、助演を重ねてきた。彼女の表情を追っていくだけでも、昭和20年代に流れた時間を体感することができる。多美の息子・利春を演じた設楽幸嗣は、松竹映画を中心に名子役として活躍。昭和30年代、五所平之助『黄色いカラス』(1957年)、小津安二郎『お早よう』(1959年)の長男などに出演することとなる。

1952年2月15日(金)公開

製作 山口松三郎
原作 冨田常雄
撮影 西川享
美術 逆井清一郎
音楽 木下忠司
照明 豊島良三
録音 熊谷宏

佐野周二
津島恵子
角梨枝子
高橋貞二
幾野道子
坂本武
三井弘次
小園蓉子
徳大寺伸

脚色・監督 川島雄三

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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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