『渡り鳥北へ帰る』(1962年・斎藤武市)
小林旭の歌の世界には、「ダンチョネ節」「ズンドコ節」などいわゆる「アキラ節」と呼ばれるリズム民謡、そして「さすらい」「北帰行」「惜別の唄」路線の叙情ソングがある。いずれも、名アレンジャーで作曲家の狛林正一によるものが多い。狛林といえば「ギターを持った渡り鳥」「口笛が流れる港町」などの遥かなる郷愁を駆り立てる叙情ソングを手掛け、大戦中の南方戦線の兵士たちの愛唱歌を放浪者の孤独の歌に再生させた「さすらい」をものした才人。
「北帰行」は、昭和30年代中盤、歌声喫茶で歌われていた宇田博作詩・作曲の「旅順高校逍遥歌」を、狛林がアレンジして小林旭が歌ったもの。60年安保後の学生たちに支持された叙情歌でもある。この曲が発売されたのは昭和36(1961)年10月5日。「渡り鳥」は、4月の『大海原を行く渡り鳥』を最後にしばらく作られておらず、マイトガイ映画も様々なバリエーションで作られていた。1960年、1961年と正月に封切られて来た「渡り鳥」の実質的な最終作として1962年の正月映画として用意されたのが、「北帰行より」とポスター表記のある『渡り鳥北へ帰る』だった。この間、小林旭と美空ひばりとの婚約が発表されるなど、私生活でも大きな転機を迎えていた。
さて『渡り鳥北へ帰る』は、それまでのコミックアクション路線から、原点に戻るという意味もあって、第一作『ギターを持った渡り鳥』の舞台となった北海道・函館ロケを敢行。今回の滝伸次は元ミュージシャン、「北帰行」をともに作った(という設定)の親友の青山恭二の遺骨を抱え、函館に向かう機上の人となる。そこへ流れる「北帰行」。齋藤武市監督は、第一作でロケをした場所をあえて選んで物語を展開。
第一作で少年に風船を買ってあげた金森倉庫前の橋。今回も島津雅彦少年が風船を買った直後、滝伸次の乗ったタクシーに轢かれそうになる。さらに田代みどりの「トロイカ」が流れるシーン、馬橇で疾走する雪模様の駒ヶ岳は、第一作のタイトルバッックと同じアングルで捉えられる。ルリ子とデートをする聖ハリストス教会前、函館山などなど。こうしたランドマークは、シリーズを支持した観客の記憶、スタッフの記憶、そして小林旭と浅丘ルリ子の思い出を辿るように映画は展開されていく。
かつて宍戸錠が「流れ者」「渡り鳥」で見せた笑いの要素がなりをひそめ、叙情アクションに相応しいムードで展開される。齋藤演出による滝伸次は、実にストイック。友人との過去。ヒロインへの思いを胸に秘め、悪漢たちと戦う。
撮影時のアクシデントで右手に怪我を負ってしまったため、セット撮影のアクションや歌のシーンでは、小林旭は右手をポケットに入れたまま。それがかえって主人公のストイシズムを表現しているようにもとれる。
虚構の中のリアリズムにこだわる齋藤監督らしく、生活者としての渡り鳥がきちんと描かれている。函館の繁華街・十字街やキャバレーで「さすらい」「ダンチョネ節」を歌うシーンに、流しを生業としている滝の姿が描かれている。
もちろん好敵手・ハジキの政も登場。郷鍈治と渡り鳥の対立と友情。立待岬でのクライマックスは、名手高村倉太郎のカメラワークが冴える日活アクションの醍醐味。『ギターを持った渡り鳥』の挿入歌「地獄のキラー」の口笛にのせて滝伸次が、キャバレーに現れるクライマックスの演出も、監督の狙いだったという。
渡り鳥の衣装も、ファンタスティックなものから一変。黒い皮のコートに白いタートルネックで本作のキャラクターイメージを作り上げている。埠頭で「北帰行」をギターでつまびく哀愁。叙情派の齋藤ならではの味。ラスト、連絡船の人となる滝伸次を見送るルリ子。何度となく繰り返されて来たシチュエーションも本作が最後となる。
昭和36(1961)年12月公開の『黒い傷あとのブルース』と、「渡り鳥シリーズ」の実質的な最終作として作られた本作で、叙情歌をフィーチャーした「叙情アクション」というべきジャンルが成立。続いて『さすらい』(1962年2月)、『惜別の歌』(1962 年5月)とこの路線は、昭和41(1966)年の『放浪のうた』まで続くことになる。一方、昭和33(1958)年の『美しい庵主さん』から続いて来た浅丘ルリ子とのコンビも、この年の『夢がいっぱい暴れん坊』(4月)でひとまず終了する。マイトガイ映画も時代と共に変節していくことになる。
『渡り鳥北へ帰る』から5年後、昭和42(1967)年一月に、旭、ルリ子、齋藤監督が再び顔を合わせた『不死身なあいつ』では、旭とルリ子の共演場面に「渡り鳥」のBGMが流れるなど、大人の「渡り鳥」後日談といった趣があった。
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