見出し画像

『銀座二十四帖』(1955年・川島雄三)

川島雄三の銀座「考現学」

 森繁久彌の軽快なジョッキーにのせて綴られる銀座の街角の物語『銀座二十四帖』は、ファンタジックな風俗映画に仕上がっている。映画における登場人物の心理描写のためのナレーションを否定し、ラジオのディスクジョッキーよろしく進行係として森繁久彌を起用。これをムービージョッキーと称しているのが本作の新趣向である。本編の筋の進行に併せ、銀座風俗や様々なデータを森繁節ともいうべき軽快な語り口で紹介している。

 タイトルに登場する銀座四丁目の服部時計店の時計塔は、戦前の昭和7(1932)年に完成した銀座のランドマーク。銀座を舞台にした映画には必ず登場するが、今なお健在で時を刻んでいる。そのバック、画面に向かって右下の映倫マークのすぐ上に<森永ミルクキャラメル>のネオンが見える。土星を囲む輪のようなデザインは、戦後日本画の異才・横山操が戦後、昭和25(1950)年に不二ネオン会社在籍中に作り上げもの。これも長らく銀座のランドマークだった。

 主題歌は森繁久彌による流行歌「銀座の雀」(野上彰作詩、仁木他喜雄作曲)。銀座八丁を飛び回る雀が見た「銀座の四季」をテーマにしたヒットソングで、森繁のテーマ曲のように親しまれた。劇中、さまざまなアレンジでBGMとして流れ、また中盤の銀座のクラブ「オペラ」ではラテンバンドをバックに、歌姫たちによってマンボ・スタイルで歌われ、バーでは流しのカップルがギタとをアコーディオンで歌う。

 冒頭の各地の銀座紹介もユニーク。東京近郊の多摩川・新田銀座での、<田舎の女給>ノリちゃん(久場礼子)が「マリリン・モンコちゃん愛用」の香水を客にねだる描写のおかしさ。本編とは関係ない細かい風俗描写が実に楽しい。このスタイルは公開当時評判となったが、同時に『愛のお荷物』(1955年)や、日活最後となった『幕末太陽傳』(1957年)、そして東京映画での『人も歩けば』(1960年)などの川島映画ではおなじみのナレーション形式の発展型でもある。

 余談だが、この界隈に本作を撮影している日活撮影所があり、銀座の花売りに届けられる薔薇は、東宝砧撮影所近くで栽培されていることが紹介される。新田銀座で夜明かしした青年が、砧の薔薇を市場へ届ける。それを買い受けるのが本編の主人公、花売りのコニー(三橋達也)。

 松竹時代から川島作品では様々なキャラクターを演じて来た三橋達也だが、前作『あした来る人』(1955年)の山を愛する男・大貫克平から一変、ベレー帽にシャツ・スタイルのファッショナブルなコニーを演じている。浮世離れしているようでいて、キャラクターがしっかり描かれているのは、三橋自身、銀座の出身ということもあるだろう。銀座っ子である三橋の持つ空気がコニーのキャラクターをイキイキとしているような気がする。

 キャメラはここで銀座上空散歩となり、森繁のジョッキーで、銀座にまつわるデータが紹介される。空撮は京橋界隈から、銀座四丁目の交差点を抜け、現在の汐留シオサイトがある新橋貨物駅へと移動していく。朝まだきの地上の銀座を捉えた映像は、洒脱な町のもう一つの顔でもあり、こうしたドキュメンタリー要素に、趣味人である川島ならではの視点が伺える。

 原作は「ハイネの月」や、小林旭主演の野球映画『東京の孤独』(1959年)の原作者でもある井上友一郎。井上といえば、戦後風俗小説の雄であり、文化人としても活躍した人でもある。公開時のプレスによると<時代の先端を行く銀座風俗の中に生きる人間の善意というものが、如何に生き難いかということを描く週刊朝日連載の評判小説>とある。

 風俗描写に長けた川島雄三が、本作で描いたのは「銀座」という街。しかもリアルな「中央区銀座」ではなく、観客や川島自身の中にある「銀座」のイメージをファンタジックに描いている。花売りのコニー、少年ハウスに住みながらコニーを助けて花売りをするルリちゃん(浅丘ルリ子)たち、そして銀座の仲間たち。

 ヒロイン和歌子(月丘夢路)の肖像画をめぐるロマンスとミステリー。大阪からやってきたハイカラな現代娘・雪乃(北原三枝)。賑やかに綴られる銀座の日常が、実にイキイキとまるで外国映画のような雰囲気で展開される。随所にみられるドキュメンタリー的なインサートとは対照的に、登場人物たちの描写は、いささかファンタジックでもある。コニーの善意。ルリ子の健気さ、インチキ臭い文化人・桃山豪(安部徹)らが息づく銀座はユートピアのようでもある。登場人物も実に多種多様。

 この幻想の「銀座」は、後に日活映画でさらに醸成され、小林旭の「銀座旋風児」(1959~63年)「暴れん坊」(1960~63年)シリーズや、石原裕次郎の『銀座の恋の物語』(1962年)などの日活映画の銀座に継承されていく。

 同時に、そうした「ハレ」の部分ばかりではなく、都会の街に潜む「ケ」の部分。いわばダークサイドも描かれる。コニーの弟分・ジープの政(佐野浅夫)を蝕む麻薬渦と暗黒街。コニーが単身乗り込む悪の巣窟は、数年後に花開く日活アクションの萌芽が感じられる。

 特に謎の画家G・Mの正体をめぐるクライマックスは、イギリス映画『第三の男』の影響下にあるとはいえ、『霧笛が俺を呼んでいる』(60年)などのパターンの原型でもある。コニーの亡兄への思い、そして黒幕の正体をめぐる展開は、まさしく日活アクションの定石となる展開である。

 雪乃が参加する平凡主催の「第五回ミス平凡全国決選審査」では、審査員として日活映画首脳陣の名前がズラリ。茂木了次、岩井金男、山崎所長、森英恵、柳沢類寿といった面々の名が見られるが、実際には別人のようだ。司会はターキーこと水の江瀧子という楽屋落ちも楽しめる。このシーンでは、ムービージョッキーの森繁のフリにターキーが応えるというショットも観られる。余談だが、ここで京都代表として登場する野々村由紀子は、後に日活で活躍する堀恭子の本名。

 ファッショナブルといえば、登場人物たちの「銀座モード」。前述の「ミス平凡コンクール」もそうだが、中盤、雪乃が参加する「銀座松坂屋」でのファッションショーの場面など、女性観客を多分に意識している。日活宣伝部が制作したプレスシートには<銀幕に見る銀座モード>と題して、月丘夢路のスーツ、北原三枝が着こなした数々のトップ・モードが写真付きで紹介されている。そのキャプションがファッションショーのナレーションよろしく、ディテイール豊かに描写されている。

 こうした衣装を手掛けたのが、佐谷三平とファッション・デザイナーの森英恵(クレジットは佐谷のみ)。佐谷は日活美術スタッフだが、森英恵は日活再開第一作『かくて夢あり』から衣装デザインとして、数多くの日活映画に参加。本作でも月丘夢路や北原三枝のファッションを担当しており、「ミス平凡コンクール」の審査員として名前は出ているものの、この時代はノンクレジット。まだ映画界に衣装デザインという概念がなかった頃だが、これだけ作品に貢献しているのにノンクレジットでは、ということで、川島は次作の『風船』で森英恵の名前をクレジットするように指示したというエピソードがある。

 プレスに寄せられている川島雄三の言葉。「(前略)この作品のテーマとなっている銀座風俗の生態をナレーションで紹介しながら。ストーリーを進めて行く大きな要素を持っています。つまり、このムービィジョッキーで銀座風俗を考現学的に表現してみたいというのが私の狙いの一つです」。「考現学」とは関東大震災直後、復興していく東京の様を定点観測した学者・今和次郎が、考古学に対する現在の風俗を記録として提唱した学問のこと。昭和初期の「銀座風俗調べ」が「考現学」のスタートとされる。銀座通りを歩く人々のファッションや、職業、スタイルを定点観測した今和次郎の視点は、現在の都市論の大きな根底をなすが、昭和30年の<銀座考現学>を映画で試みようとしたのが川島雄三ということになる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。