『日本一のヤクザ男』(1970年6月13日・渡辺プロ・古澤憲吾)
深夜の娯楽映画研究所シアターは、東宝クレージー映画全30作(プラスα)連続視聴。
27『日本一のヤクザ男』(1970年6月13日・渡辺プロ・古澤憲吾)
5月7日(土)は、「人類の進歩と調和」の日本万国博覧会で沸き立つ昭和45(1970)年、二本目のクレージー映画。植木等さんの「日本一の男シリーズ」第8作にして、これが最後の古澤クレージー映画となった『日本一のヤクザ男』(1970年6月13日・渡辺プロ・古澤憲吾)を、スクリーン投影。映画界の斜陽に歯止めがかからなくなり、レジャーが多様化して、映画は庶民の娯楽の中心ではなくなっていた。
「明るく楽しい東宝映画」として、森繁久彌「社長シリーズ」、加山雄三「若大将シリーズ」とともに、1960年代を駆け抜けてきた東宝クレージー映画。それでも、正月映画、ゴールデンウィーク映画、シルバーウィーク映画として年3本はコンスタントに封切られていた。これは東宝単独制作ではなく、クレイジーキャッツの育ての親である渡辺プロダクションの渡辺晋社長が共同製作を手がけていたためである。「映画への夢」を抱き続けた渡辺晋さんの情熱で、クレージー映画(に限らず)、渡辺プロタレント主演の映画を世に送り出していたのである。ちょうどこの頃、松竹ではドリフターズの「全員集合!!シリーズ」が連続封切りされていた。
さて『クレージー作戦先手必勝』(1963年・久松静児)以来「東宝=渡辺プロ提携作品」として東宝クレージー映画の製作が続けられてきた。当初は製作費を東宝が出資、渡辺プロタレントのユニット出演という形でウイン・ウインの関係だった。1960年代末になると「渡辺プロ=東宝提携作品」と立場が逆転。さらに脚本を手がけてきた田波靖男さんがプロデューサーとなり、渡辺プロの協力でジャック・プロダクションを設立した1970年になると、渡辺プロが製作、東宝が配給という形にシフトしてきた。
この『日本一のヤクザ男』からは、渡辺プロダクションが製作、東宝配給となったため、ソフト化の権利も渡辺プロということで、DVDリリースや配信がまだされていない。1980年代、レンタルビデオ初期のソフトやLDでのリリースがあったが、その頃は権利保有者が明確ではなかった。その辺りがクリアされて近年、日本映画専門チャンネルで『日本一のヤクザ男』以降の渡辺プロ製作のクレージー映画がオンエアされた。なので、いつかソフト化、配信はされるだろう。
さて、古澤憲吾監督としては、快作『クレージーの大爆発』(1969年4月27日)以来、1年ぶりのクレージー映画の登板となる。「日本一の男シリーズ」としては第6作『日本一の男の中の男』(1967年12月31日)以来、久々となる。しかも題材は”任侠映画”のパロディ。1960年代後半の映画界は各社とも任侠映画、ヤクザ映画ブームが席巻。東宝は会社のカラーにそぐわないと、任侠映画は作られてなかったが『日本一の断絶男』(1969年11月1日・須川栄三)で、東宝初の任侠映画に挑戦。好評だったために、ならばと企画された。
パロディとはいえ、フォーマットは完全に任侠映画のパターン。流れ者の主人公が、一宿一飯の恩義で刺客となり、敵対する善良な親分が殺される。主人公は悪玉の親分に騙されていたのだ。刑期を終えた主人公が出所してくると、善玉親分の未亡人が組を継いでいて、悪玉一家に虐められている。主人公は未亡人にとっては夫の仇だが、主人公は未亡人と組のために、悪玉一家の奸計を打ち砕いていく。
観客にとっては、お馴染みの展開である。ただ、この主人公が植木等さんで「義理も人情もインチキだ」とばかりに、勝手きままな行動をする。その挙句、ヤクザ同士のトラブルも、サイドキャラクターたちの悲恋も、善玉一家も街の平和も維持される。というもの。それまでサラリーマン社会を舞台に、無責任男の行状で誰もが「落ち着くべきところに落ち着く」というのが「日本一の男シリーズ」だった。それを任侠映画に置き換える。というアイデアだった。
ヒロインにはこれがクレージー映画初出演の司葉子さん。「やくざの親分の女房役なんて初めて」と筆者のインタビューで「植木さんとの共演は楽しかった」と話してくれた。さらに芸者役で野川由美子さん、飲み屋の女将・横山道代さん、そして司葉子さんの義妹で、やくざ稼業に嫌気が指している可憐な娘・小林夕岐子さん。と華やかな女優陣が顔を揃えている。
舞台は昭和初期。場所は北関東の佐川(架空の町)。着流しやくざの日本一郎(植木等)が、土地の新興やくざ・根本組組長(安部徹)への一宿一飯の恩義から、建設業を営む善良な前野組組長・前野武造(田崎潤)に刃を向ける事になる。血を見るのが大嫌い、人なんか斬りたくない日本一郎は、前野に「斬られたことにしてください」とインチキを持ちかける。その場はそれで収まったが、物陰から様子を見ていた、根本組の代貸・横田(名和宏)が拳銃で根本を射殺。日本一郎に罪を被せてしまう。
安部徹さんに名和宏さんと、各社の任侠映画でお馴染みの顔が、いつものような役を演じているので違和感がない。というよりヴィジュアル的には任侠映画そのもの。しっくり行き過ぎているので、パロディや喜劇であることを忘れてしまいがち。それが本作のウィークポイントになるのだけど。また松竹から大映、そしてフリーとなった山下洵一郎さんが前野組の若い衆を演じている。この頃の映画は、撮影所専属俳優のカラーが次第に薄れつつあった。
さて、刃に血をつけて、前野組長を斬ってきたと日本一郎。路銀を貰って遁走しようと思っていたが、横田の奸計で、前野殺しで身代わり出頭することに。そこへ、日本一郎あてに故郷から転送されてきた「赤紙」が届く。根本は「御国に召されるなら仕方ない」と万歳する。ところが日本は「戦争なんか真平」と自首をすることに。
そこで「敷島の 大和男子の行く道は 赤き着物か 白き着物か〜」とひとくさり。これは平林たい子原作の映画化『地底の歌』(1956年・日活・野口博志)やそのリメイク『関東無宿』(1963年・日活・鈴木清順)のモチーフでもある。侠客の覚悟を唄っているが、おかしいのは『地底の歌』で主役のやくざ・鶴田を演じた名和宏さんの前で、植木さんがこれを唄うこと。任侠映画の歴史がここにある!
で、ここでタイトルバックの主題歌「今日が命日この俺の」(作詞:なかにし礼 作曲:猪俣公章)を植木等さんが唄う。ロケーションは千葉県香取市佐原。現在は「北総の小江戸」と呼ばれて観光スポットとなっている。わがぐらもくらぶの「大土蔵録音2020」「大土蔵録音2021」のレコーディングが行われた大土蔵があるのはこのエリア。
明治・大正時代の風情をそのまま残した街並みは、昭和30年代から40年代にかけて、各社の任侠映画、やくざ映画のロケーションが行われたお馴染みの場所。鈴木清順監督の『峠を渡る若い風』(1961年・日活)や、松森健監督『燃えろ!太陽』(1967年・東宝)でも、佐原の小野川沿いの街並みでロケーションをしている。
あれから五年、刑期を終えた日本一郎は、佐川に舞い戻る。すると前野組では未亡人の登志子(司葉子)が跡目を継いでいる。一郎を組長の仇と前野組が思っているので、一郎は「日本一」と偽名を語る。根本組では鉄道建設の入札を得ようと村井社長(多々良純)に取り入っている。本来なら建設業は前野組だったが、それも難しくなっている。
これも自分の責任と一郎は、根本組に草鞋を脱いで、内側から掻き回して、前野組のために密かに動き始める。ヒーローの行動原理ではあるが、無責任男のそれである。なので、任侠映画のパロディとしては楽しめるが、クレージー映画本来の魅力は半減。しかし古澤憲吾演出のパワー、キャストの魅力で娯楽映画としてはなかなか楽しめる。
村井社長が懸想している芸者・鶴子(野川由美子)は、根本組の若い衆・和助(左とん平)と相思相愛。ならば、村井の女になる前に逃げ出しちゃいなと、一郎は二人を駆け落ちさせる。このあたりも、任侠映画のヒーローと同じ行動。しかし鶴子は、ダメな男の和助に愛想を尽かして一郎に惚れてしまったり。こうした少々の脱線が笑いとなるが、本筋が任侠映画なので、一向に弾けないのが残念。
で中盤、前野組のナンバー2、熊井吾郎(藤田まこと)が長い旅から帰ってくる。任侠映画なら鶴田浩二さんや待田京介さん、池部良さんの役回りである。組の窮状を知り、仇の日本一郎が根本組にいることを知って、果たし合いとなる。
これまた定法の展開だが、この果たし合いのシーンがおかしい。小野川を悠々と船で渡ってくる一郎が、ここで「八九三の子守唄 運がないときゃ」(作詞:なかにし礼 作曲:猪俣公章)を歌う。主題歌とともに東芝レコードでの発売を想定して作られたが、残念ながら未発売となった。時代は、クレージーではなくなっていたのである。
いざ勝負!というとき、一転俄にかき曇り、熊井吾郎のドスに落雷! 藤田まことさんの髪の毛が逆立ち、コントのような形相に。この作り込みがおかしい。本作で最大のギャグ!! テレビバラエティのノリの小手先の笑いだけど、何度見てもおかしい。
で、いろいろあって、いよいよ日本一郎の真意が皆にわかり、憎むべきは根本組! そこで一郎が単身、ドスを呑み込んで殴り込みに。高倉健さんよろしく植木さんがノリノリ。そこへ、助っ人として熊井吾郎も現れる。池部良さんのノリ。そこで主題歌「今日が命日この俺の」となる。植木さんに続いて藤田まことさんも唄う。高倉健さんの「唐獅子牡丹」の役割りをはましているのである。二人が歩く、佐倉の街並みは任侠映画でもお馴染みのロケーション。『遊侠三国志 鉄火の花道』(1968年・日活・松尾昭典)で、石原裕次郎さん、小林旭さん、高橋英樹さんが歩いた道でもある。
さて、渡辺プロ映画らしく、ゲストに沢田研二さんが登場。戦前、徳山璉さんが歌って大ヒットした「侍ニッポン」(作詞:西條八十 作曲:松平信博)を、ジュリーらしい歌唱で披露してくれる。また古澤憲吾作品で「もう一人のクレイジーキャッツ」的ポジションとなった人見明さんが、極めて無責任な警官で登場。前半の笑いを盛り上げてくれる。そしてクレイジーのメンバーとしては、ハナ肇さんが豪快な花山才太郎を、例によっての猪突猛進キャラで演じている。
『ニッポン無責任時代』から植木等さんの「無責任男」としてのフィルムイメージを創り上げてきた古澤憲吾監督にとっては、これが最後のクレージー映画となった。1990年代「スーダラ伝説」で植木さんが再びブレイクした時に東宝で映画「帰ってきた無責任」が企画された。その頃、古澤憲吾監督の窮状を知っていた植木さんは、「無責任男の復活は、古澤監督なくしてはありえない」と強力にプッシュ。自身の番組「植木等デラックス」(MBS)にもゲストに招いた。歴史にもしもはないが、古澤憲吾監督&植木等さんの「帰ってきた無責任」が実現していたら?といつも思う。クレージー映画の「ホワット・イフ?」である。
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