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『東京五輪音頭』(1964年・小杉勇)

 「お客様は神様です」のフレーズで一斉を風靡した三波春夫は、日本を代表するエンターティナーの一人である。1923(大正12年)に新潟県長岡で生まれ、13歳で東京へ出て、築地魚河岸で働くなど数々の職を経て、16歳で日本浪曲学校へ入学。浪曲師・南篠文若として舞台に立つ。20歳で応召され、戦後22歳から26歳までの四年間、ロシアでの抑留生活を余儀なくされる。この時の苦労が、後の芸に深く大きな影響を与えている。帰国後、戦後も浪曲師として舞台に復帰。そして1957(昭32)年、三波春夫としてテイチクから「チャンチキおけさ」「船方さんよ」歌謡曲デビューを果たす。

 「もはや戦後ではない」と呼ばれた昭和30年代、その歌声は全国津々浦々に響き渡った。浪曲で鍛えたその美声、そして語りのうまさ、派手な着物を来てステージに立つ三波春夫の姿に拍手を送るオーディエンスたち。そう三波春夫が「神様」と感謝の気持ちをこめて呼んだのは、目を輝かせてその歌を聞いてくれるオーディエンスたちのことだった。

 その三波春夫の代表曲は数あれど、高度成長下のニッポンを熱狂させたのが「東京五輪音頭」だろう。1964(昭和39)年10月10日、東京国立競技場で行われた東京オリンピックの開会式。真っ赤なブレザーで手を振る日本選手団に、拍手を送るスタンドの観客たち。テレビのブラウン管に釘付けだった全国の人々。昭和39年、東京オリンピックをセレブセーションする日本人のほとんどが、三波春夫の言う「お客様」であり「神様」だったのである。

 「東京五輪音頭」(作詞:宮田隆 作曲:古賀政男)は、前年の1963(昭和38)年6月23日のオリンピックデーに発表され、テイチクの三波春夫、ビクターの橋幸夫、キングの三橋美智也、東芝の坂本九、コロムビアの北島三郎と畠山みどりなど、各レコード会社を代表する歌手がそれぞれレコードをリリース。しかし、群を抜いていたのは三波春夫の歌声だった。「東京五輪音頭」といえば三波春夫。1964年末までに130万枚を超すセールスを記録、この年を象徴する曲となった。

 その歌声の晴れがましさには、辛く苦しい戦争体験、抑留体験を持つ三波自身の戦後復興への想い、日本がここまでやり遂げたということを、世界にお披露目する、晴れがましさを感じさせてくれる。それが当時の日本人の共感を呼び、大ヒットに繋がったのである。

 さて映画『東京五輪音頭』は、三波春夫のヒット曲をフィーチャーした歌謡映画ということだけでなく、東京オリンピック開幕を目前に控えての、浮き浮きした気分が溢れている。公開されたのは、1964年9月9日。開幕のちょうど一ヶ月と一日前になる。戦前からの日活映画のスターとして『ミスターニッポン』(1931年)、『緑の地平線』(1935年)、『限りなき前進』(1937年)などで活躍し、映画監督としても『地獄の波止場』『名寄岩 涙の敢闘賞』(1956年)など戦後日活映画の数々を演出した小杉勇がメガホンを取り、当時の風俗が生き生きと活写された佳作となっている。

 小杉勇は、1958(昭和33)年、三波春夫のデビュー曲とそのカップリングをフィーチャーした歌謡映画『チャンチキおけさ』『船方さんよ』を演出。いずれも三波春夫が助演しており、そういう意味では、三波とは顔なじみ。『東京五輪音頭』の舞台は、かつて三波が若かりし頃、魚河岸で働いていたこともある築地の青果市場。主人公たちが出入りする寿司屋・松寿司の大将・松吉役はピッタリ。三波春夫に心酔して自慢ののどをひとくさりする下町気質の大将役は、観ていて気持ちが良い。もちろん、三波春夫自身としても出演(二役)。クライマックスには、生涯の代表曲となった「忠臣蔵」に材をとった、「長編歌謡浪曲元禄名槍譜 俵星玄蕃」(作詞・作曲:北村桃児)もタップリと聞かせてくれる。これぞ眼福! ちなみに北村桃児とは三波春夫のペンネーム。

 ヒロインを演じるのは、NHKの人気連続ドラマ「バス通り裏」(1958年)でデビューを果たし、松竹で木下惠介監督の『惜春鳥』(1959年)でデビューを果たし、1963(昭和38)年に日活と本数契約を結んだ十朱幸代。吉永小百合の『雨の中に消えて』(1963年)で日活初出演、『伊豆の踊り子』(1963年)などで助演をしていたが、これが初主演作となる。

 城南大学英文科に通い、水泳部のホープとして、東京オリンピック選手候補として嘱望されている藤崎ミツ子(十朱幸代)は、築地青果市場で仲買人をしている祖父・源造(上田吉二郎)の仕事を手伝い、毎朝、やっちゃ場で威勢の良い声を張り上げている。父親がマラソン選手で早世したため、スポーツを憎んでいる源造には、ミツ子は水泳をしていることを隠している。

 頑固じいさんと、しっかり者の孫娘。その情愛と確執を軸に、ブラジル移住を夢見ている二人の青年・青木正光(和田浩二)と栗田勇(山内賢)と、ミツ子の淡い恋が、明るい笑いの中に描かれている。ミツ子の大学の同級生で芸者のアルバイトをしている松宮れい子(山本陽子)や、佃島の老舗佃煮屋・天安の息子・安部弘(沢本忠雄)たちのエピソードも楽しい。

 特に、正光の叔母で、かつては築地小町と呼ばれ、ブラジル移民として成功した青木キヨ(岡村文子)が、東京オリンピック見物のために帰国して、正光と勇、ミツ子たちが東京はじめ各地を案内するシーンは、昭和30年代末、オリンピックに向けて、日本が大きく変わっていく姿が記録されている。また、都電からの車窓の風景も懐かしい。安部弘の実家のある佃島への渡船場「佃の渡し」が出てくるが、東京オリンピック開催に合わせて佃大橋が建設されたために、1964年8月24日の架橋に伴い廃止された「佃の渡し」の最後の姿が、本作に記録されていることになる。

 三波春夫の歌声は、タイトルの「東京五輪音頭」、テレビから流れる「風の信州路」、青木キヨ歓迎会での「斎太郎節(松島の斎太郎さん)」「新相馬節」、ステージでの「俵星玄審」が次々と流れる。そしてラストには、作曲者・古賀政男指揮による「東京五輪音頭」の大パフォーマンスが堪能できる。オリンピックに先駆けてのセレブレーションとして開催されたイベントのライブ映像。会場のアリーナに踊り手たちがギッシリ集結しての派手なパフォーマンスは圧倒的! これぞ昭和39年の日本人の記録。映画は時を写す鏡とはまさにこのことである。

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