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『すみれ娘』(1935年5月11日・P.C.L.・山本嘉次郎)

 岸井明と藤原釜足。のちに「じゃがたらコムビ」としてP.C.L.から東宝にかけての娯楽映画を支えた二人。前年3月15日公開の『踊り子日記』(矢倉茂雄)以来、一年振りとなった音楽喜劇。前作は浅草レビューを舞台にした「バックステージもの」だったが、今回はジャズソングをふんだんに取り入れた「オペレッタ喜劇」。監督は前年に『エノケンの青春酔虎傳』(1934年)で、日活からP.C.L.に移籍してきた山本嘉次郎監督。ジャズソング、音楽に耳が届く、モダンな感覚のヤマカジさんのセンスが堪能できる。ある意味野心的な作品。データベースでは61分とあるが、現存するプリントは82分。これは短縮されておらず、たっぷりとゆったりしたテンポの音楽喜劇が楽しめる。

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 原作は「レビューの王様」と呼ばれ、宝塚歌劇団の演出家として黄金時代を作り上げた白井鐡造。昭和3(1928)年、宝塚歌劇団創始者である小林一三の命で、ヨーロッパへ。パリで本場のレビューを目の当たりにして、2年間、パリで修業。帰朝後第一作「パリゼット」を作・演出した。この舞台の主題歌として白井が作詞をしたのが「すみれの花咲く頃」だった。原曲は“Wenn der weiße Flieder wieder blüht”(再び白いライラックが咲いたら)は、フリッツ・リッターの作詞、フランツ・デーレの作曲によるドイツ、ベルリンで上演されたレビュー「なんと驚いた-1000人の女」(1928年)の主題歌。この曲がパリでも評判になり“Quand refleuriront Les Lilas blanc”「白いリラが咲くとき」と翻訳され、白井鐡造によって日本に紹介された。ベルリン→パリ→宝塚と拡がっていったのである。

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 この「パリゼット」は、日本のステージ業界に革命をもたらした。エノケンの劇団「ピエル・ブリヤント」の座付き作家・菊谷栄や、「笑の王国」を立ち上げる古川緑波たちが、ステージを観て刺激を受けて、ダイレクトに自分たちの舞台にフィードバックした。エノケン一座のモダンな感覚、ロッパの洒落た感覚にさらに磨きがかかって、宝塚・エノケン・ロッパ、それぞれが花開いたのである。東宝の小林一三は、浅草で洗練されたエノケンやロッパを丸の内の舞台に進出させ、P. C .L.はエノケンの音楽映画『エノケンの青春酔虎傳』を作った。エノケンもロッパも、浅草→丸の内→映画と、その活躍の場を広げて「日本の喜劇王」となっていった。

 さて映画『すみれ娘』が封切られたのは、『エノケンの青春酔虎傳』のちょうど一年後である。「すみれの花咲く頃」は宝塚ファンだけでなく、レビューファンたちにも「テーマソング」として親しまれていくが、この映画はその「すみれの花咲く頃」をモチーフにしたオペレッタ映画として企画された。

 脚色は『エノケンの魔術師』(1934年・木村荘十二)などのエノケン映画を手がけ、のちに舞台脚本も手がける永見隆二。音楽監督は、P. C .L.映画のモダニズムをサウンドで支えた紙恭輔。演奏はもちろんP. C. L.管弦楽団。トロンボーンには谷口又士。そして中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズが、キャバレーのジャズコーラスとして出演。スピーディでモダンなジャズソングを次々と歌う。もう一つの主題歌で本作の音楽モチーフにもなっている「ドリーム・ハウス」(作詞・東輝夫 編曲・仁木多喜雄)は、劇中、リキー宮川と堤眞佐子がデュエット。作詞はこの映画の主人公・東輝夫(リキー宮川)。コロムビアレコードからリキー宮川が映画公開に併せて5月にリリース。

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 昭和10年の東京。日本橋三越の塔が見える、とあるビルの屋上のペントハウスに、モダンガール・マリコ(堤眞佐子)が上がってくる。「青空工房」と書かれたアトリエの中では、新進気鋭の芸術家・小山(藤原釜足)が、彫塑を製作中。藤原釜足さんの扮装が、いかにもヨーロッパ映画に出てくる前衛芸術家みたいでおかしい。

(藤原釜足)
♪個性がある
力がある
野心もあるです
意気もあるです

と、伴奏に併せながら歌って、芸術を仕上げている。劇中の人物のセリフが歌になる「オペレッタ映画」のスタイルである。紙恭輔さんのアレンジがいい。マリコは、モデルとしてこの貧乏芸術家に雇われているのだが、ギャラはまだ貰っていない。お洒落をしているマリコだが、ストッキングに穴が空いている。生活は楽ではなさそう。しかし、ようやく芸術の買い手が現れたと、芸術家・小山は「1000円で売れる!」と鼻息が荒い。

「青空工房」のあるビルの外階段を、汗をふきふき、上がってくるのは巨漢の実業家・金田(岸井明)。運転手とお付きを連れて、洒落たイギリス紳士スタイルの金田だが、息切れして苦しそう。金田、彫塑を見て、歌い出す。

(岸井明)
♪個性がない
力がない
野心もないです
エロもないです

土で固めて 手でこねて
時代遅れの泥人形
古いです
(立ち去るが、振り返って)
いかんです
(また振り返って)
なっちょらんです

 これで「1000円」がパーとなる。荒れて暴れる芸術家。思わず、彫塑の腕を叩き壊す。しかしそれを見た金田「これぞ本物の芸術!幾らで売ってくれるか?」ということになり、1000円まで値段が釣り上がる。ただし、金田は「だがね、この彫刻のモデルごと買うよ」と条件を出す。

 そんな事は知らないマリコはアパートへ帰る。『純情の都』(1934年・木村荘十二)でもモガ、モボたちの都市生活者のアパート暮らしが晴れがましく描かれていた。今回も都心にある「A B Cアパート」が舞台。モダンだけど、入居者たちはいずれも貧しい。フランス映画のパリの裏町のアパートをイメージしているのだろう。管理人のおばさん(武智豊子)のスタイルも着物ではなくスカート、頭にはスカーフを巻いて、ヨーロッパやロシアの“おばちゃん”というモダンな雰囲気。

 マリコと仲が良い、老発明家(徳川夢声)は、怪しげな実験装置が溢れる部屋で、日夜「若返り薬」の開発実験中。ドイツ表現主義の映画のような雰囲気のセットで、徳川夢声はドクトル・マブセか、カリガリ博士か、という怪しさである。

 仕事にあぶれたマリコは、親友・ミチミ(梅園龍子)と街へ。日比谷公園、神宮外苑を外国のように見立てて撮影。二人ともモダンガール! 外苑前には「ピック・スタンド23」というドライブスルーのホットドッグハウスがある。看板も含めて、かなりアメリカナイズされている。アメ車(当時はみんな外車だが)の運転席にいるお洒落な男(リキー宮川)が、マリコを見つめて、ジャズソング「♪青空」をハミング。リキー宮川は、アメリカのシアトル出身のボードビリアンでジャズ・シンガー、タップもうまかった。コロムビアレコードから「朗らかに暮らせ When Your Smiling」でデビュー。「ダイナ」のコロムビア盤はリキーが歌った。つまり、アメリカ生まれの和製ビング・クロスビーとして、本作で主役に抜擢された。

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 「嫌な奴!」との最悪の出会い。ボーイ・ミーツ・ガールの基本(笑)さて、マリコはミチミが勤めているキャバレー「モンパルナス」を訪ねる。ちょうど舞台ではジャズバンドが練習中。ご機嫌なサウンドは、仁木多喜雄編曲の主題歌「ドリーム・ハウス」のインスト。そこでリードを取っているのが、ミチミの恋人で、ジャズバンドのサックス奏者・コウジ(大川平八郎)。P. C .L.第一作『音楽喜劇 ほろよひ人生』から、P. C .L.映画の顔として映画出演を続けていた。そのコウジから、明日10時、アメリカ帰りの画家・東輝夫が、モデルの選抜試験(オーディション)をするから「行ってみたら?」と教えてくれる。これで生活できる!嬉しそうなマリコに、コウジは「失業したら、またいらっしゃい!」と微笑む。都市生活を謳歌しているモダンガールやモダンボーイたちにも不景気の波が押し寄せていたことがわかる。

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 翌日、バッチリおめかしをして、出かけるマリコ。まだ時間があるので、日比谷界隈を歩いてウインドウショッピング。その後をつけてくるのは、実業家・金田(岸井明)。日比谷の三信ビルのオシャレな外観の前でロケーション。モダン都市東京を切り取ったかのようなヴィジュアル。

 とある洋装店の前、マリコは店員に誘われるままに、店内へ。高級プレタポルテの店で、マリコに手が出るわけではないが、マネージャーのような男が次々と生地を見せてくる。このしーんは、セリフが一切なく、音楽のみで、サイレント映画の演出で、ヴィジュアル・ギャグが展開。店の外には金田が、じっとマリコの様子を伺い、店内には、昨日の男(リキー宮川)が偶然、仕立てにきていた。そこへボーイ(本当の少年)がやってきてマリコに「電話」と伝える。金田からの電話だった。マリコはガチャっと切って、金田がっかり。そこまでは良かったが、マリコ、立ち上がった弾みに、店の高価な花瓶を落として割ってしまう。どうしよう?

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 そこへ伊達男(リキー宮川)が現れて弁償、さらには毛皮のコートをプレゼント。昨日の高級外車で渋谷の「東輝夫」の洋館へと送ってくれる。邸にはすでにモデル志望のモガたちがワンサと集まっている。彼女の一人が口ずさむのがラテンの「♪ラクカラクチャ」(メキシコ民謡)。この頃、大流行していた。結局、執事(宇留木浩)が現れて「今日は中止です。お帰りください」と女の子たちに日当を渡して返すが、マリコだけ残される。宇留木浩は、日活多摩川時代から山本嘉次郎監督とは盟友で、ヤマカジさんの前作『坊ちゃん』(3月14日)の主役としてP. C .L.に招かれたばかり。ここではチロリアン・スタイルの執事をユーモラスに演じている。

いよいよマリコが東輝夫画伯と対面! なんと先程の伊達男が東輝夫だったのだ!「人が悪いわ、ずいぶん」「僕のモデルになってくれないか? 君は森の小道に咲いた、すみれの花のよう」とキザなセリフ(笑)。ここで「♪すみれ花咲く頃」が流れ、恋をしたマリコがアパートに帰って唄い、博士(徳川夢声)も唄い、ストーカー的にアパートの窓の下に立っている金田(岸井明)へと歌が伝播していく。これぞ「オペレッタ映画」

 翌日からマリコがモデルとなり、東の創作が続く。このモンタージュで、二人の恋が燃え上がっていく経過を描写。そこで東がマリコに歌いかけ、二人のデュエットになるのが、主題歌「ドリーム・ハウス」

(リキー宮川)
♪君の瞳 君の笑顔 君ゆえに 世界は美しい
君と住めば 春は楽し 夢に描く 愛の巣

(堤眞佐子)
♪君と歌い 君と語る 嬉しさを
愛の巣の窓辺 君と二人で住めば

ここで、もうひと組の恋人・執事とメイド(三條正子)が参加。

(宇留木浩、三條正子)
♪世界は美しい 春の空に 君歌え 愛の巣

(リキー宮川・堤眞佐子)
♪君と歌い 君と語る 嬉しさを
愛の巣の窓辺 君と二人で住めば
世界は美しい 春の空に 君歌え 愛の巣

 こうして東とマリコは恋人同士となるが、マリコのアパートを訪れその生活をみて、そっと東が100円を置いていく。しかしマリコは「正当な報酬なら貰うわ、けどこんな風にお金を置いていくなんて、ずいぶんよ」と怒って、東の邸にお金を返しにいく。で、結局、東の真心に触れて、二人は仲直りする。しかし好事魔多し。二人がラブラブなところに、なんとアメリカから、東のかつての婚約者・レイコ(伊達里子)が現れ、マリコは傷ついてしまう。伊達里子は、松竹蒲田のモガ女優で、初のトーキー『マダムと女房』(1931年・松竹蒲田・五所平之助)のマダムを演じていた、元祖モガ!

 アパートに帰って、泣きはらしているマリコに、こういう時は「酒が一番」と博士(徳川夢声)。しかし、間違って開発中の「若返り薬」を飲ませてしまい大騒動に。ちょうど芸術家・小山(藤原釜足)が金田からのギャラの半額500円を持ってきたところで、アパートの入り口で、ボケた管理人(武智豊子)が抱いていた赤ちゃんを押しつけられて困っていた。で、マリコに「キャバレー・モンパルナス」で豪遊しようと誘われ、マリコは一緒に出ていく。

 そこへ博士、医者を連れてマリコの部屋に。ベッドには赤ちゃん。博士、自分の「若返り薬」でマリコが赤ちゃんになったと勘違い。この辺りの徳川夢声のリアクション、抜群である。

 いよいよ、クライマックスの舞台は、キャバレー「モンパルナス」となる。店の外景ショットからP. C .L.管弦楽団の「♪ダイナ」が流れ、ステージではコロムビア・リズム・ボーイズがご機嫌なヴォーカルで歌う! そしてコウジ(大川平八郎)がステージ中央に出てきて、タップダンスを踊る。もちろん吹き替えで、バックショットと上半身のアップ。その姿を、客席で見つめるマリコの目には、東輝夫が踊っているように見えてくる。ここでリキー宮川の華麗なタップシーンとなる。さらにはトロンボーンの谷口又士がステージ中央に出てきてソロをとる。これぞジャズ、これぞニッポン・エンタテインメント! 昭和10(1935)年の空前の「ダイナ」ブームの空気を、映像を通して体感、実感できる。

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 マリコと芸術家・小山(藤原釜足)の席に、なんと実業家・金田(岸井明)が現れ、芸術家が立ち去る。金田が仕組んだことだったのだ。「小山さん、帰るならワタシも!」とあくまでも金田が嫌いなマリコ。

 ステージでは、コロムビア・リズム・ボーイズが、リリースされたばかりの新曲「♪ミルク色だよ」(作詞・中野忠晴 作曲・WCハンディ)をかっこよくコーラスしている。中野忠晴のスピーディな歌唱が素晴らしい!

 金田と二人きりになり困惑しているマリコは「あの、あたし、自転車には乗れますけど、タンクの操縦なんて無理ですわ」とかなり辛辣な事をいう(笑)そして、モンパルナスにはなんと東の婚約者・レイコ(伊達里子)が現れ、マリコの心は乱れる。しかもテーブルには「東輝夫様御席」とある。そんなマリコは、ミチミ(梅園龍子)からコウジ(大川平八郎)と明日結婚すると聞いて、さらにショック・・・。

 ステージでは、コロムビア・リズム・ボーイズが女性シンガーをフィーチャーして主題歌「♪すみれ花咲く頃」を歌う。このジャズ・アレンジもなかなかカッコイイ。

 失意のマリコ、東に電話するも不在。悲しくモンパルナスを出ると外は雨。マリコのアパートではなんと東が待っていた。しかし、夜が明けても、マリコは帰ってこない・・・さあ、二人はどうなる? レイコは? 金田は? という(それなりの)サスペンスを孕んでクライマックスが盛り上がっていく。もちろんハッピーエンドには、リキー宮川と堤眞佐子が、カメラ目線で「♪すみれ花咲く頃」をデュエットしてくれる。

 他愛のないストーリーだが、シアトル生まれのエンタティナー・リキー宮川のジャズ、タップ、そしてプレイボーイぶり、コロムビア・リズム・ボーイズのヴォーカル、最新のジャズソング「ダイナ」「ドリーム・ハウス」をたっぷりと映画で見せてくれる。1935年のジャズ・シーンが体感できるという点でも重要な作品である。


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