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『くちづけ』(1957年7月21日・大映東京・増村保造)

 神保町シアター「恋する映画」特集で、増村保造監督のデビュー作『くちづけ』(1957年7月21日・大映)を久しぶりに劇場鑑賞。デジタル上映なので、ピカピカのモノクロが眩しい。イタリア国立映画研究所に留学した増村保造の第一回作品。増村保造監督は、昭和22(1947)年、大映に入社後、東大文学部に再入学を果たしたインテリ。昭和27(1957)年、イタリア国立映画実験センターで、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティたちに学んだ。帰国後は、溝口健二監督、市川崑監督に師事。映画感覚を身につけ、満を持しての監督デビューとなった。

 原作はオール読物所載の川口松太郎の小説を、舟橋和郎が脚色。川口松太郎と三益愛子の息子・川口浩とそのガールフレンド・野添ひとみの主演で「太陽族映画ブーム」翌年に作られた瑞々しい青春映画。三益愛子も母親役で出演しているので、川口一家総出演のファミリー映画でもある。若い男女が出会って、結ばれるまでの二日間の物語を、みずみずしいタッチで描いた、才気あふれる傑作。

 昭和32年の東京風景、江ノ島のリゾート、人々の暮らしがロケーションとドラマの中に活写されている。川口浩と野添ひとみが競輪をする、後楽園の競輪場からは、後楽園遊園地の遊具が見える。バイクに乗って、東京から湘南へ飛ばすシーンの爽快さ。川口浩がオート三輪でパンの配送をするシーンでは、まだ広々とした東京の空がスクリーンに広がる。三益愛子の住む、高級マンション(当時はアパート)などを、眺めているだけでも、あの時代にタイムトリップできる。

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 父・宮本大吉(小沢栄太郎)が三度目の“選挙違反”で逮捕され、小菅の東京拘置所に勾留中、その面会に大学生の息子・宮本欽一(川口浩)がやってくるところから物語が始まる。タイトルバック、初夏の青々とした木々の中をカメラが進んでいく。田園調布かどこかの高級住宅街かと思っていると、実は拘置所の塀の傍であることがわかる。本当は、気弱になっているのに、選挙違反は法の不備で「罪ではない」と嘯く父・大吉に、辟易している欽一。太陽族世代の若者だが、父母は離婚、大言壮語の父親に振り回されながら、アルバイト生計を立てている。拘置所の売店で、父(山口健)の弁当代が足りずに困っている白川章子(野添ひとみ)のために、欽一はポケットからポンとお金を出してあげる。これが二人の出会い。

 章子の父親は役人だったが、清瀬の療養所で結核の治療をしている妻・清子(村瀬幸子)のために、十万円を遣い込んで「公金横領」で勾留中。遣い込んだお金を弁済すれば、釈放されるということで、懸命に働いている。欽一もまた父の保釈金十万円を作らねばならない。二人の若者は、それぞれ「十万円」に縛られている。ブルジョアの若者の無軌道な青春を描いた「太陽族映画」とは対極にある。原作者・川口松太郎は、おそらくアンチ・石原慎太郎として、この物語を描いたのだろう。欽一の行動や言動は「太陽族」的ではあるが、その生計感覚は地に足がついている。母の療養代、父の保釈金を作ろうと懸命に働いている章子もまた、お金に関しては堅実である。

 増村保造の演出も、ウエットにならずに、二人の若者のそれぞれの若いエネルギーを全面に描いて、それが映画の魅力となっている。拘置所の売店で、見ず知らずの若い男からお金を出してもらったことに「もらう謂れがない」と納得できない章子は「お金を返したいから」欽一の住所を聞くが、「そんなことはどうでもいい」と欽一は取り合わない。小菅の荒川土手からの京成バスの車内のシーンの二人がいい。川口浩も野添ひとみも、弾けそうな若さでイキイキしている。松竹だと「お金の苦労」が全面に出てくるだろうし、日活だと「励まし合ってその問題を克服」するだろうが、増村演出はもっと感覚的で、悩みはひとまず置いといて、遊ぼう!という感じが良いのである。

 バスはやがて、水道橋の後楽園の競輪場へ。そこで降りた欽一を追って章子も競輪場へ。欽一は「競輪で儲けたら、そのお金で一日遊ぼう」と提案。6月生まれの章子にちなんで「6」の車券を買ったら、これが大穴で大当たり。カウンターのキッチンで、カレーライスを食べる二人。紙ナフキンにお互いの住所を書いて交換する。章子は「目黒区上目黒2-96紅梅荘内」、欽一は「大田区雪ヶ谷町75」に住んでいる。

 欽一は、同級生で自動車修理工場の息子・島村(入江洋佑)から、客のバイクを借りて、江ノ島まで国道1号線を飛ばす。このシーンの吹き替えを、藤巻潤さんと江波杏子さんが担当したと、藤巻潤さんから伺ったことがある。

 江ノ島の海水浴場で遊ぶ欽一と章子。本当に楽しそうである。野添ひとみのクルクルとよく動く目、声をあげて楽しそうに笑う表情が実にいい。そこへ、これぞ太陽族!という感じのドラ息子・大沢和彦(若松健)現れる。章子に気安く声をかける和彦に、不快感をあらわにする欽一。ちょっとした嫉妬の瞬間。この江ノ島での一連のシークエンス、欽一と章子の抱えている屈託がチラリと見えてくる。

 若松健は本作で大々的に売り出された。増村保造の次作『青空娘』(1957年10月8日)では“ピンポン大会の青年C”、『氷壁』(1958年3月18日)では“M大の学生D”と、パッとしなかった。本作では、章子がヌードモデルをしている画家・大沢繁太郎(吉井莞象)の息子で、画壇の重鎮の父の絵を売って遊興費にしているドラ息子。章子の肉体を、彼女が必要な十万円で手に入れようとしている。喧嘩っ早いが、喧嘩の腕はイマイチの欽一とは対照的な存在。恋敵というか、章子と欽一の間に立ちはだかる「障壁」として和彦が登場する。

 欽一は、江ノ島のホテルで、宝石バイヤーをしている母・宇野良子(三益愛子)と三年ぶりに再会。良子は、選挙に夢中の身勝手な夫に愛想を尽かして出奔。今では高級マンション暮らしをしている。三益愛子と川口松太郎といえばマンション。この映画から七年後の昭和39(1964)年、文京区春日の自宅建て替えの際に、高級マンション“川口アパートメント”を建設。川口浩、野添ひとみ夫妻はもちろん、加賀まりこ、藤村有弘、野際陽子・千葉真一夫妻など、錚々たる芸能人が住んでいた。この映画の中盤に登場する「東京マンション」の良子の部屋に、そんなことを思い出す。

 欽一は、母に父の保釈金十万円を貸して欲しいと頼むが、にべもなく断られる。母との再会で、クールで計算高いイメージだった欽一が揺れ動き、ダンスや酒を楽しみリラックスした章子は欽一へのストレートな想いを吐露する。つまり、ここまでうまくいっていた「ドライな二人」の関係が微妙になってくる。別れ際、章子が「くちづけ」をせがむが、欽一は深入りしたくないと断り、二人はそのまま別れる。

 二日目。章子と欽一、それぞれの現実が描かれる。章子は清瀬の療養所へ。大好きな母・清子(村瀬幸子)の見舞いに行く途中、果物店でバナナを手に取るが、高くて買えない。卵2個を買って療養所へ。婦長から、父親が退職したため保険が効かなくなり入院代が倍額になったこと、支払いの督促をされる。「金が仇」なのだ。そのことを母に知らせまいと心を砕くが、母・清子は何かを察している。早く父を釈放させよう。そうしないと全てが壊れてしまう。モデルクラブで貰う今月のギャラは6800円。十万円を作るには程遠い。同僚からお妾さんの話を持ちかけられるが、月2万円ではどうにもならない。章子は、どうしても十万円が必要なので、和彦に自分の貞操と引き換えに十万円を貸してもらうことに・・・

 一方、欽一は、パン屋のオート三輪を運転して、配送のアルバイト。汗水働いて月8500円。意を決した欽一は、自動車のナンバープレートから、マンションを突き止める。その鮮やかさに、欽一の頭の良さ、抜け目のなさが感じられる。その時、公衆電話のあるタバコ屋の電話帳に、章子の住所を描いた紙ナフキンを挟んだままにしてしまう。

 ここで観客は「あ!」となる、これが後半のサスペンスのきっかけとなる。母の住む「東京マンション」で、再度借金を頼む。母親は「あんたを担保に一年の期限で」と十万円を貸してくれる。前日のホテルの再会、このマンションのシークエンスは、三益愛子と川口浩の実際の母子関係が反映されているようなリアルな感じがある。

 最初はその十万を父の保釈金に使おうと思った欽一だったが、担当の横河弁護士(見明凡太朗)の対応が悪くて、腹を立ててしまう。そこから、その十万円を章子のために使おうと思い至るまでの描写がなかなかいい。この時代のアプレ学生たちの生態を描きつつ、欽一が章子への愛情に気づくまでを、増村保造はリズミカルに、リアルに、しかも軽く描いていく。

 クライマックス。章子は、別れをつげに欽一の下宿を訪ねるが欽一とは入れ違いに。章子の置き手紙を読んだ欽一は、証拠のアパートに駆けつけようとするが、住所を書いたナフキンをなくしてしまって、場所がわからない。ここからサスペンスになる。和彦が章子のアパートにやってくる。外は土砂降り。懸命にアパートを探す欽一。果たして、二人の運命は・・・

 ベタだけど、このシークエンスが素晴らしい。土砂降りのなか、必死に走りながら欽一は、章子への愛を全身で感じはじめる。二人が再会、和彦は退散。工事現場で、お互いの気持ちを確かめ合うラブシーンは、本当に素晴らしい。このシーンのために、この映画がある。と思わせてくれるほどの「くちづけ」シークエンスである。

 エピローグ。父(山口健)が保釈され、その身体を労りながら拘置所を出てくる章子と父。車の中から、母・良子(三益愛子)に、章子の姿を見せる欽一。母親に彼女を紹介する。というシーンなのだが、場所は東京拘置所の外、欽一と母も再開したばかり、決して円満とはいえないのだけど、良子は章子が息子に相応しい女の子だと満足気に車を出す。やがて欽一が、章子と父を車にのせる。名手・小原譲治キャメラマンによるロングショットがいい。このハッピーエンドのために、僕たちは何度も『くちづけ』を観るのかもしれない。



 

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