『巷に雨の降るごとく』(1941年8月7日・東宝・山本嘉次郎)
『巷に雨の降るごとく』(1941年8月7日・東宝・山本嘉次郎)
主演 榎本健一
エノケン一座總出演
製作 氷室徹平
製作主任 藤原杉雄
撮影 唐澤弘光
録音 矢野口文雄
美術 久保一雄
照明 佐藤快哉
現像 西川悦二
編輯 松浦茂遠
音楽 栗原重一
配役
金ちゃん 榎本健一
碌さん 月田一郎
葉山さん 柳田貞一
惠海 中村是好
山口 如月寛多
河村 松ノボル
おふみ 若原春江
みどり 山根壽子
おてる 山形誠子
とし子 光町子
おふくろ 井上千枝子
今井さん 小島洋々
がまぐち屋 梅村次郎
支那そばや 南光一
洗濯や 大江太郎
易者 一條眞一郎
宝来軒 長島武夫
アイス屋 榊田敬治
本屋 山田長政
脚本・演出 山本嘉次郎
フランスの詩人・ポール・ヴェルレーヌが、恋人・アルチュール・ランボーと痴話喧嘩して、ランボーをピストルで撃って怪我をさせて、獄中で書いた詩「巷に雨の降る如く」。フランス文学者の堀口大學の名訳により戦前から親しまれてきた。
巷に雨の降るごとく
わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?
やるせなき心のために
おお雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも 屋上にも!
消えも入りなん 心の奥に
ゆえなきに雨は 涙す
何事ぞ!
裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず
ゆえしれ ぬかなしみぞ
げにこよなくも 堪えがたし
恋もなく 恨みのなきに
わが心 かくもかなし
この詩をモチーフに、山本嘉次郎監督が盟友・エノケンこと榎本健一のためにシナリオを書き下ろしたオリジナル『巷に雨の降るごとく』(東宝映画東京)が公開されたのは、昭和16(1941)年8月7日、太平洋戦争開戦、4ヶ月前のこと。山本嘉次郎としては、エノケンの『孫悟空』(1940年11月6日)以来のエノケン映画であり、渾身の傑作『馬』(1941年3月11日)に続いての作品となる。
エノケンは、この年、広沢虎造とのダブル主演による正月映画『エノケン・虎造の春風千里』(1月4日・石田民三)、『エノケンの金太売り出す』(3月19日・青柳信雄)と、東宝のドル箱スターとして次々と主演。『巷に雨の降る如く』の翌月にも明朗喜劇『エノケンの爆弾児』(9月7日)の公開が控えていた。
エノケンと山本嘉次郎監督は、エノケン映画第1作『エノケンの青春酔虎傳』(1934年)以来のコンビで、エノケンはヤマカジ監督のウィットや音楽趣味に全幅の信頼を置いていた。コンスタントにコンビ作が作られ、P.C.L.の喜劇路線を牽引してきた。その二人が、国策映画でもある大作『孫悟空』の次に企画したのが、ヴェルレーヌの詩をモチーフにした、ペーソス溢れるヒューマンドラマ『巷に雨の降るごとく』だった。
音楽はエノケン映画のサウンドを支えてきた栗原重一。フランス映画風の洒落たメロディーのタイトルバック。「峠の我が家」から、ジンタ風の「リンゴの木の下」へと転じて、物語が始まる。
アパートの換気エントツがクルクル回っている。ラジオから流れる天気予報。「ただいまから天気予報を申し上げます。最初に東京地方、今日は南の風、一日中快晴…」。
東京の下町、深川区か城東区(現在の江東区)あたり。各家々の洗濯物が翩翻と空に掲げられている。町工場が密集しているエリアで、金ちゃん(榎本健一)は太鼓を鳴らしながら、紙芝居の呼び込みをしている。子供たちも一緒に行進している。木漏れ陽を意識して、道端の木陰のシルエットなどがインサートされて、まだのんびりとしていた初夏の東京が味わえる。
昭和16年の江東地区の初夏の風景が味わい深い。エノケンらしいお人好しの金ちゃんは、子供たちだけではなく、近所の主婦や女性たちにも人気がある。
カフェー・フジの前の空き地で、金ちゃんが、御涙頂戴「お待ちかねの『涙の別れ道』第3巻目。はい始まり始まり」と紙芝居を始める。拍子木。「皮肉な運命に弄ばれたお千代にも十八の春が訪れてきた。指折り数えれば、故郷を出てからはや5年、故郷のお母さんはどうしているだろう。思えば昔が懐かしい」…
そこへ「金ちゃん!」と慌てて飛び出して来るのが、向かいのカフェー・フジの女給・おてる(山形誠子)。洗い場のバケツをひっくり返して、その賑やかなこと。「ね、すまないけど最初からやり直してよ」と催促。仕方なく金ちゃん、やり直し始めると、おてる、周囲の主婦たちに「ねえ、この芝居、とっても悲しいんだよ。お千代って娘がね、家出して継母にいじめられるの、私悲しくって、悲しくってねぇ」と解説を始める。金ちゃん「黙ってねぇか、しゃべれねえじゃねえか」と大いにクサる。
おてるを演じている山形誠子は、エノケン一座の女優で『孫悟空』ではオアシスの乙女、『金太売り出す』では易者・大江太郎の女房役で出演している。この映画ではエノケンの代わりにコメディ・リリーフ的なキャラクターを演じている。なかなかのコメディエンヌぶりである。
気を取り直して金ちゃんが「皮肉な運命に弄ばれたお千代にも十八の春が訪れてきた。」と再び紙芝居をスタート。そこへ「ピー!」と羅宇(らう)屋・葉山さん(柳田貞一)が屋台を引いてくる。羅宇は煙管の火皿と吸口をつなぐ竹管(柄の部分)で、インドシナ半島のラオス産黒班竹を用いたのが語源。羅宇屋は、ヤニで詰まった羅宇を蒸気で取り除く商売。ぼくの子供の頃、浅草雷門や浅草寺の境内に「ピー」と蒸気の音を立てている羅宇屋の屋台がまだあった。
さて、おてる、羅宇屋の蒸気の音をやめさせようと走り出すが、またしてもバケツをひっくり返す。羅宇屋・葉山さんは好人物で、金ちゃんのアパートのまとめやく=御隠居のような存在。「なんだい、坂本くんじゃないか」と蒸気の「ピー」を止めてくれる。ここで金ちゃんが「坂本くん」であることがわかる。おてる「どうもすいません」と紙芝居へ戻ろうとすると、またしてもバケツをひっくり返す。これがルーティーンギャグとなって、繰り返される。
そんな光景を、カフェーフジの二階から眺めているのが、訳ありそうな女給・みどり(山根壽子)。金ちゃんは、その顔をみて「どこかで会ったような…」と思うも、どうしても思い出せない。ここでヒロイン、みどりが登場。カフェー・フジに入ったばかりで、まだ純情娘。どこか憂いを帯びている。
金ちゃん、アパートに帰ってきても、みどりのことが気になって仕方がない。「誰だっけなぁ?」と頭を抱えている。そこへ、隣室の流しのアコーディオン弾き・碌さん(月田一郎)が「飯を食いに行こう」と誘いにくる。
碌さんは、金ちゃんがグレてヤクザをしていた無頼時代に知り合い、その世界から抜け出すきっかけを作ってくれた金ちゃんのかけがえのない親友。同性愛ではないけど、ヴェルレーヌとランボーの関係を匂わせる親友として描かれている。碌さんは、大學に通う学士だったが経済的な問題で退学、それがコンプレックスになっている。これまでのエノケン映画には出てこないタイプのインテリで、のちの「寅さんとインテリ」の友情を思わせるような関係でもある。
金ちゃんと碌さんが、朝晩、通っている「外食券食堂」には、看板娘・おふみ(若原春江)がいて、彼女は金ちゃんに惚れている。しかし金ちゃんは、にべもない。全く相手にしないのだ。振られるたびに、面白くない顔をするおふみが可愛い。東宝の娘役として『愛情の設計』(1939年)などに出演してきた若原春江が、本作のアクセントになっている。
食堂で金ちゃんは碌さんに「どこかで見た顔ってのがあるだろ? どっかで観たことがあるなぁと気にし出すと、これが思い出せるまで、なんにも手がつけられてねぇんだ」とカフェー・フジの女給の話をする。碌さんは「どうせまた、向こうに回るから、聞いてくるよ」と流しに出かける。
やがて碌さん、カフェー・フジで流しをするもどの客も相手にしてくれない。バックに流れるのは本作の音楽モチーフである“Home on the Range”「峠のわが家」。碌さんは、おてるから、金ちゃんが気にしている娘の名がみどりであることを聞き出す。店の外に出た碌さん、チンピラ・河村(松ノボル)にぶつかり因縁をつけられ、それを兄貴分が諫める。その兄貴分・山口(如月寛多)のお目当てはみどりだった・・・
というわけで、前半は、金ちゃんと碌さんの友情。訳ありな、みどりの正体は?…が描かれていく。翌朝、ラジオの天気予報では「東京地方、天気は良い方ですが、ところによるとにわか雨があるかもしれません」。碌さんと金ちゃん、歯磨きをしながら会話。
「金ちゃんがどうしても思い出せないって女。昨日行ったらね、例の山口ね、あの連中がどうやら目をつけたらしいんだ」
「ま、そんなことはどうでもいいんだ。あの女、なんて女だ?」
「みどりだ」
「みどり? それだけじゃ思い出せねえな」
「でもな、金ちゃん、あの連中に目をつけられたら100年目だぜ」
「そんなこと、どうでもいいよ」
「よかないよ、金ちゃん、案外薄情だな」
「そうじゃねえんだよ、触らぬ神に祟りなし。あんまり余計なことに関係しない方がいいと思ってさ」
と、みどりの貞操の危機よりも、自分が思い出せないことにこだわる金ちゃん。金ちゃんの変わった性格=笑いという、ヤマカジさんの狙いでもある。
やがて天気予報通り、雨となり、商売に出た金ちゃん、突然の雨に祟られて「コーヒーの店」で雨宿り。そこへ、みどりが傘を持ってやってくる。風呂帰りのおてるが「金ちゃんを見かけた」と、傘を持たせたのである。そこで金ちゃんはみどりが、かつて継母のところを逃げ出した時に、出会い頭にぶつかってきた娘だということを思い出す。
金ちゃんの紙芝居「涙の別れ道」と、みどりの境遇がリンクする。金ちゃんは、カフェーなんかにいたら身を持ち崩すから、早くやめて、まともな暮らしをするといい、とアドバイス。雨上がり、金ちゃんとみどりが話をしながら、初夏の日差しの中を歩くショットがいい。こうして主人公とヒロインの出会いが丁寧に描かれている。
さて、金ちゃんがアパートに帰ると、アパートの住人たちが「隣組」の寄り合いをしている。天気予報では、しばらく雨模様が続き、大道商人の店子たちは日銭で暮らしているので、家賃を溜めてしまう恐れがある。なので、家賃のための貯蓄をしようという算段。大政翼賛会の末端組織・町内会の「隣組」システムが制度化されたのは、この映画の前年、1940(昭和15)年9月11日。内務省が訓令した「部落会町内会整備要領(内務省訓令第17号)によるもの。岡本一平作詞の「とんとん、とんからりと隣組」の歌で、アットホームなイメージがあるが、戦時下における「相互監視システム」が目的。ここで「隣組」と称した寄り合いシーンを入れるのは、内務省からの指導によるものだろう。
しかし、羅宇屋・葉山さんを筆頭に、今井さん(小島洋々)、がまぐち屋(梅村次郎)、支那そばや(南光一)、洗濯や(大江太郎)、易者(一條眞一郎)、アイス屋(榊田敬治)、本屋(山田長政)たちが車坐で寄り合いをしている姿は、どことなく戦後の民主的集会のような感じでもある。満場一致で採決と思いきや、階段で話を聞いていた家賃を数ヶ月溜め込んでいる破戒僧・惠海(中村是好)だけが拒否をする。時局に抗う「身勝手な男」、憎まれ役の変わり者として描かれている。
そこからラストまで、ずっと憂鬱な雨の日が続く。まさしく「巷に雨の降る如く」である。やがて、ある雨の夜遅く、惠海が訳あり女性を連れて帰ってくる。なんとみどりである自分の部屋にみどりを連れ込む惠海。それを洗面所の鏡越しに見た金ちゃん。葉山さんと管理人を連れて、惠海の部屋へ。
聞けば、カフェー・フジを辞めたみどりは、悪党・山口から逃れてきたところを惠海に助けられたという。そこで、みどりは金ちゃんの部屋へ泊まることに。金ちゃんは管理人の部屋に。
ここから、みどり、金ちゃん、そして禄さんの束の間の楽しい日々となる。雨でくさっている住人たちも、若い娘がアパートにいてくれるので、華やいだ気分になる。繕い物や掃除、ちょっとしたことが嬉しいのだ。
ある日、晴天祈願の「演芸大会」が行われる。山本嘉次郎の『エノケンのびっくり人生』(1939年・東宝)で、映画のロケ隊が連日の雨で大弱りして、晴天祈願で「演芸大会」を開催。エノケンと霧立のぼるが「ラブ草紙」を歌うシーンがあったが、そのリフレインでもある。ここで、アコーディオン弾きの碌さんが指名される。仕事では流行歌を歌っているけど、そうした低俗なものに辟易している碌さん。ではオリジナル曲をと、ヴェルレーヌの「巷に雨の降るごとく」にメロディをつけた曲を披露する。
堀口大學の訳詞に、音楽担当の栗原重一が曲をつけた和製シャンソンとして味わい深い。
♪巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る このかなしみは何やらん?
金ちゃん、みどりも、しみじみ碌さんの歌声を聞いている。このシーンで、エノケンは歌わない。観客は期待しただろうが、あえてエノケンに唄わせず、タイトルを冠した曲を月田一郎に歌わせる。これもヤマカジさんの狙い。パターン崩しである。
ある日、惠海が、家賃を8ヶ月分溜め込んで失踪してしまう。アパートの連中はさもありなんと思うが、その惠海が支那そば屋の宝来軒(長島武夫)の親父に「この前の娘(みどり)あれからどうした?」と聞かれ、みどりが今、アパートにいることなど、ベラベラと喋ってしまう。
店には、山口と一緒に、おてるが支那そばをすすっている。カフェー・フジを辞めたおてるは、山口の手先となってアパートへ、みどりを誘い出す。何も知らないみどりは、山口のアジトで軟禁されてしまう。
そのことを知った金ちゃん。無頼の血が甦り、山口の居場所を突き止めようと鼻息が荒い。その金ちゃんを心配した碌さんが宥めるが、金ちゃんの決意は固い。かつて、荒れていた金ちゃん、みどりを取り戻すためには、どんな手段も厭わないと知っている碌さん。昔の自分とは違うから、と金ちゃん、碌さんを安心させる。
やがて、山口の子分・河村が、金ちゃんを呼び出し、山口のアジトへ。このアジトのセットが、いかにもエノケン映画。長い階段を上がって、バルコニーを回った先に、みどりが軟禁されている部屋がある。ああ、このセットでエノケンが縦横無尽にアクションをするだろうなぁと、観客に期待させる。そんな空間作り。
金ちゃんは、みどりの前に座り込み、彼女を開放しなければ「ここを動かない」と頑張る。殴り込みではなく、無抵抗主義を貫こうとする。インド独立の父・マハトマ・ガンジーの無抵抗主義は日本でも「反英」思想もあって、圧倒的な支持を受けていた。かつて無頼だった金ちゃんが、ヤクザの山口の前で「無抵抗主義」を徹底する。
ならばと暴力で屈服させようとする山口は、河村立ちに支持して、金ちゃんを歯がいじめにして階下へ連れていく。エノケンが小柄で軽いから、いとも簡単に連れて行かれる。しかし、身軽な金ちゃんは、何度も、子分たちを交わしながら階段を上がって、みどりのところへ。山口は怒り心頭。「追い出せ!」と凄みを効かせる。
エノケン一座の如月寛多の大熱演。このシーンが繰り返され、それでも屈しない金ちゃん。ついに2階から、山口に突き落とされる。俯瞰カットで、階下に落とされるエノケン。カットを割らずに、そのまま落下。相当痛そうだが、すぐに立ち上がり、そのまま器用に、2階へとクルマや手すりを使って、2階に上がってくる。しかし、再び山口に突き落とされる。俯瞰ショットでワンカット。エノケン映画第1作『青春酔虎傳』以来の、驚異のエノケン・アクションである。これには驚いた!
少し前のシーンでみどりは「私は結婚しています」だから「帰してください」と山口に、金ちゃんと夫婦であると宣言。しかし山口は「そんなバカな」と取り合わない。という前段があって、金ちゃんに、詰め寄る山口。「お前は、みどりの亭主か?」意外なことを言われ、驚く金ちゃん。しかし「みどりさんさえ良ければ結婚したいと思っている」と、きっぱり本心をいう。ああ、二人は愛し合っているのか。と観客も思う。その愛のチカラに、さしもの山口も折れて「帰っていい」となる。山口の純情でもある。
ここで、金ちゃんとみどりが結ばれれば、ハッピーエンドなのだが、ここからの展開は、チャップリン的ペーソス喜劇としての展開。のちの寅さん同様、金ちゃんは見事にフラれてしまう。みどりの本心を聞いて、少し狼狽えるも、気を取り直す金ちゃん。
やがて梅雨が明けて、下町に青空が戻ってくる。ルーティーン天気予報は梅雨明けを告げ、夏祭りが始まる。金ちゃんがふられ、みどりの気持ちを知った碌さん。友情と恋愛の間で悩む。でも救いはある。外食券食堂の娘・おふみに「金ちゃと結婚しないか?」と碌さん。
このラストは未消化ではあるが、山本嘉次郎監督の丁寧な演出、心理描写で味わい深い作品となっている。みどりを演じた山根壽子、おふみの若原春江、おてるの山形誠子。女優陣がいずれもいい。
山本嘉次郎監督の「エノケン映画」としては異色作であるが、意欲作でもある。エノケンとヤマカジ監督は、この映画のあと、戦時中には一緒に作品を撮っていない。次に二人が組むのが、戦後、1947(昭和22)年、オムニバス映画『四つの恋の物語』の第三話「恋はやさし」。この映画の5年後である。日本にとっても、エノケンにとっても、観客にとっても、この5年はとても長く辛い日々だった。この「恋はやさし」でもエノケンの役名は金ちゃんだった。