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『宇宙戦争』(1953年・パラマウント・バイロン・ハスキン)

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 子供の頃、ジョージ・パルという名前は特別だった。雑誌「スクリーン」で双葉十三郎先生が紹介していて、アメリカ(チェコ出身だけど)の円谷英二監督みたいな存在と、それなりに認識していた。

 先日アップした『地球最后の日』(1951年・パラマウント)を最初に見たのが、小学四年生のとき、1974年3月29日、フジテレビの「ゴールデン洋画劇場」で放映されたバージョンであることを、とり・みきさんにご教示頂いた。その年、小学五年生の夏休みにジョージ・パル製作、バイロン・ハスキン監督『宇宙戦争』(1953年・パラマウント)がオンエアされていることも教えて頂き、ああ、僕が最初に観たのは、このときだったと感無量に。そこでAmazonプライムビデオで1953年版『宇宙戦争』を久々に、娯楽映画研究所のスクリーンに投影。

 イギリスの作家H・G・ウェルズが1898年に発表した「宇宙戦争"The War of the Worlds"」もまた、小学校の図書室で夢中になった「空想科学小説」。1938年10月30日、アメリカCBSラジオで、オーソン・ウェルズが、ドキュメンタリー形式で放送。実際に火星人が侵略をしてきたと全米がパニックに陥った、というエピソードを、淀川長治先生の「ラジオ名画劇場」(TBS)で聞いたのは、その頃だったか、もう少し後だったか。

 余談だが、この時のパニックをドラマ化した「アメリカを震撼させた夜 The Night That Panicked America」(1975年)が、中学一年のとき、1977年2月26日にNHKで放映されて、夢中になってオンエアを観た。それも小学校の図書室の「宇宙戦争」経験と、ゴールデン洋画劇場『宇宙戦争』体験があればこそ。

 2005年にスピルバーグがトム・クルーズ主演でリメイクしたときに、ビデオで観て以来なので十六年ぶり。世界各地に謎の隕石が降り注ぐビジュアルから「特撮映画」の楽しさに溢れている。作り込まれたミニチュアセットを眺めているだけで大満足。カリフォルニアの郊外にも隕石が落下、近くで仲間とバーベキューをしていたクレイトン・フォスター博士(ジーン・バリー)が現場へ。隕石の大きさに比して、クレーターが小さいことを不審に思う。そこへヒロイン、教師・シルヴィア・ヴァン・ヒューレン(アン・ロビンソン)と出会い、その叔父・マシュー・コリンズ牧師(ルイス・マーティン)の家に泊まることに。

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 黄金時代のハリウッドらしく、本筋とは別に二枚目と美女の恋愛が描かれる。アン・ロビンソンは知的美人、という感じで子供の頃、ドキドキした。で、博士たちは楽しくパーティに興じている間に、隕石から謎の触覚と目が出てきて、見守りをしていた男たちを襲撃。隕石は火星人のウォーマシーンだったのである。次々と落下する隕石から、マーシャン・ウォーマシーン(当時は空飛ぶ円盤と思っていた)が出現して、世界中が襲われる。

 それでも平和主義の牧師は、話せばわかると、マシーンの前に進み出て、無惨にも殺されてしまう。このシーンはショッキングだった。神も仏も、キリスト様もない。ならばと、クレイトン・フォレスター博士は、軍隊への出動要請をして、米軍V S火星人の銃火器対決となるが、圧倒的な破壊力の前になす術もない。

 ここからは、バトル、バトル、逃走、近づく破滅の恐怖。とディザスター映画らしく、どんどん人類の部が悪くなる。セスナでなんとか逃げるフォレスター博士とシルヴィアだが、その飛行機が不時着して、命からがら民家に逃げ込む。一番怖かったのが、フォレスター博士とシルヴィアが逃げ込んだ家に、ウォーマシーンの触手が伸びてきて、三色の眼で、あたりを検分。ここはホラー映画の演出で、かなり怖い。そしてチラッと戸の向こうを過ぎる火星人!

 クライマックス、ロサンゼルス市街地で、フォレスター博士とシルヴィアが離れ離れになり、ウォーマシーンの総攻撃の最中に、教会を探し回るサスペンス。ミニチュアとロケーションを巧みに使って、ロサンゼルスの悪夢をパノラミックに描いている。ロサンゼルス市庁舎に迫るウォーマシン。この市庁舎の尖塔部分が、国会議事堂に似ているなぁと、子供の頃に思っていた。ジョージ・パル映画の特撮シーンのなかでも、この都市破壊スペクタクルは最高のヴィジュアルだろう。

 特撮は『地球最后の日』のゴードン・ジェニングス、マーシャン・ウォーマシーンのデザイン、造形は美術担当の日系人・アルバート・ノザキ。わが「マグマ大使」(1966年)の宇宙の帝王・ゴア(大平透)の円盤のデザインにも影響を与えているような気がする。ちなみに2005年のリメイク版に、ジーン・バリーがカメオ出演をしている。



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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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