『空中レヴュー時代』(1933年12月29日・RKO・ソートン・フリーランド)
シネ・ミュージカル史縦断。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース、ハリウッド・ミュージカルのレジェンドが初めてチームを組んだ”Flying Down to Rio”『空中レヴュー時代』(1933年・RKO・ソートン・フリーランド)を久しぶりに、スクリーン投影。アマプラで配信中のジュネス企画版は、マスターがかなり綺麗、ターナーが21世紀に入ってリマスターしたバージョンと遜色ない(ってことにしておく)。
『ダンシング・レディ』の解説にも書いたが、アステアはRKOのオーディションに受かって専属となった。肩慣らしのためにMGMに出向してジョン・クロフォードと踊ったのが『ダンシング・レディ』だった。そしてすぐにRKOスタジオに戻り撮影に入ったのがこの大作『空中レヴュー時代』である。やはりワーナーの『四十二番街』『ゴールドディガーズ』『フットライト・パレード』(1933年)に追いつけ、追い越せ、ということで「映画ならでは」のスペクタクル「空中レヴュー・ショー」をクライマックスに仕掛けた大作。
主演は、メキシコの名花・ドロレス・デル・リオ。1925年、メキシコでスカウトされて『復活』(1927年・エドウィン・カーウィ)や『ラモナ』(1928年・同)などに主演。言うなればルドルフ・バレンチノの女性版としてエキゾチックな要望、グラマラスな雰囲気でスターとなった。本作ののちにワーナーで、バズビー・バークレイが舞踊場面を演出した『ワンダー・バー』(1934年・ワーナー)や『カリアンテ』(1935年)に出演することになる。
相手役のジーン・レイモンドは、1931年に”Personal Maid”でハリウッド・デビューを果たして、オムニバス映画『百萬圓貰ったら』(1932年)などに出演。RKOの若手スターとして売り出し中だった。つまり映画のロマンスは、ドロレス・デル・リオとジーン・レイモンド。ダンスはフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースが担当し、クライマックスは映像技術を駆使したスペクタクルを用意してのRKOの勝負作だった。しかも舞台は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ。アメリカの南米政策の一環として、1930年代から40年代にかけて南米を舞台にした娯楽映画が次々と作られることになる。エキゾチックな異国情緒は、ハリウッドの最大の武器でもあり、本作でもアルゼンチン・タンゴやカリオカなどのラテンのリズムを前面にフィーチャー。
そしてジンジャー・ロジャース! 彼女は舞台批評家の母親の影響で幼い時からダンスを学び、1925年、14歳の時にヴォードヴィルのツアーに参加、チャールストンのコンテストに優勝したことで四年間、全米各地をツアーで周ってダンス・テクニックを磨いた。1930年代初めに、ニューヨークを拠点にして、ラジオや舞台に出演。ブロードウェイのステージで見出されて、ハリウッドへ。何本かの端役を経て、1933年、ワーナーの『四十二番街』(3月9日)に出演して注目を集めた。さらに『ゴールドディガーズ』(5月27日)ではトップシーンにその顔がアップで大写しとなった。
RKOはどうしてもアステアの相手役にジンジャー・ロジャースを起用したくて、何度か交渉の末に、ようやくキャスティングすることができた。エキゾチックなドロレス・デル・リオと、陽気なアメリカ娘のジンジャー・ロジャースの対比も鮮やかで、ミュージカル・コメディのヒロインとしても注目を集めることとなる。
アン・コードウェルの戯曲を原作に、アーウィン・S・ゲルシー、H・W・ハネマン、シリル・ヒュームが脚色。ソートン・フリーランド監督は、ゴールドウィン・スタジオで、エディ・キャンター主演のミュージカル『フーピー』(1930年)などを手がけた人。もちろんプレ・コード期の作品のため、セクシャルな描写も多い。クライマックス、ドロレス・デル・リオがツーピースの水着で登場するが、これがハリウッドで初めての女性のツーピースの水着姿となった。
音楽は、作曲・ヴィンセント・ユーマンス、作詞・ガス・カーン、エドワード・エリシュー、さらに音楽監督のマックス・スタイナーが追加楽曲を書いている。ユーマンスは1920年代、ブロードウェイで大ヒットしたミュージカル「ノーノー・ナネット」で「二人でお茶を」などを作曲していた才人。本作からは、ショウ・ストッパーとなった、アステア&ロジャースの”Carioca”「カリオカ」や、タンゴの定番となる”Orchids in the Moonlight”「月下の蘭」などのスタンダードが生まれた。
作曲家で「ヤンキー・クリッパー・バンド」のリーダー、ロジャー・ボンド(ジーン・レイモンド)の趣味は飛行機。そして女性には目がない。いつもお客さんと深い仲になって、それが原因でステージがキャンセルされてばかり。ロジャーの親友でアコーディオン奏者のフレッド・エアーズ(アステア)は、食いっぱぐれてしまうのではいないかとヒヤヒヤしている。
今日も飛行機道楽が過ぎて、マイアミの「ホテル・ハイビスカス」からのラジオの生中継ギリギリになってステージ入り。ホテル・マネージャー(フランクリン・バンクボーン)と給仕頭(エリック・ブロア)が目を光らせている。この二人は、のちのアステア映画でもお馴染みのバイプレイヤー。され、ステージでは、紅一点、バンドシンガーでダンサーのハニー・ヘイル(ジンジャー・ロジャース)が”Music Makes Me”を軽快に唄う。フラッパーな感じのジンジャー・ロジャースのヴォーカルが楽しい。まだこの映画を観ることができなかった頃、輸入レコードでサントラを繰り返し聞いていたことを、ロジャースの豊かな表情(22歳とは思えない!)を観るたびに思い出す。
この”Music Makes Me”の伴奏に合わせて、指揮者のロジャーは客席を物色。するとブラジルから来たホテル経営者の娘・ベリーニャ・デ・レゼンデ(ドロレス・デル・リオ)が「ブラジル娘式であの男をナンパしてみよう」と、ロジャーにモーションをかける。”南米の女性は情熱的”というステレオ・タイプのイメージはこうした映画で培われたことが大きい。ロジャーは指揮棒をフレッドに渡して、意気揚々とベリーニャと踊り出す。しかし、ベリーニャの堅物の叔母・ドナエレナ(ブランシェ・フリデリチェ)の知るところとなる。ホテル・マネージャーは激怒。万事休す、フレッドが「葬送行進曲」をアコーディオンで演奏するのがおかしい。
結局、マイアミのホテルをクビになったバンド一行だったが、ロジャーの親友・フリオ・リベロ(ラウル・ルーエン)から近日オープンするリオ・デ・ジャネイロのホテルの専属バンドにならないかと頼まれる。ベリーニャも、リオの父が急病で急遽帰ることに。これはチャンスとロジャーは「僕の親友の飛行機で良いところまで送る」と声をかけて、ベリーニャを自家用機に載せる。二人とも意識しているのだけど、前夜に喧嘩別れをしているので、興味のないそぶりをする。
結局、エンジントラブルで飛行機は無人島に不時着。すぐに直せるアクシデントだったが、ロジャーの中にいる「もう一人の自分」が「今がチャンスだ、修理を伸ばして口説け」と誘惑。ベリーニャの中にいる「もう一人の自分」も「誘惑に乗ったら」と囁く。シンプルな二重露光だけど「オルター・エゴ」を表現していておかしい。云うなれば、マーベルのドラマ「ムーンナイト」(2022年)みたいな感じ(笑)
その夜、月明かりの下でロマンチックなムードになる二人。ロジャーは飛行機に据え付けた小型ピアノで、ベリーニャを作曲するのが”Orchids in the Moonlight”「月下の蘭」。この曲が二人のロマンスのテーマ曲として効果的に使われていくことになる。ベリーニャには婚約者がいて、まもなく結婚する予定と聞かされたロジャーは猛烈に発奮するが、なんとなく空回りになる。
翌朝、ベリーニャが目を覚ますと、ジャングルから上半身裸の男たちが現れて「人喰い人種!」と大騒ぎ。なんのことはないハイチのホテルのプライベートビーチで、ボーイたちが朝の水浴びに来ていたというオチ。で、ベリーニャは、近くの空港からまもなく出発するリオ行きの飛行機に乗ることに。置いてけぼりになるロジャー。
そして舞台は、リオ・デ・ジャネイロへ。実はヤンキー・クリッパー・バンドの演奏する「ホテル・アトランティカ」は、ベリーニャの父(ウォルター・ウォーカー)の経営で、仕事をくれたロジャーの親友フリオ・リベロ(ラウル・ルーエン)はなんと、ベリーニャの婚約者だった。ここから事態はややこしくなる。
さて、リオを満喫しているフレッドやハニーたち、ヤンキー・クリッパー・バンドのメンバーは、地元のナイトクラブへ。そこで演奏されるのが、今、リオで大流行の最新のリズム”Carioca”「カリオカ」だった。男女が頭をくっつけて、踊りながら、体を回転させる。早速、踊り出す地元の人々。。エキゾチックなリズムに「興奮してきちゃった」とハニー。ならばとフレッドがエスコートしてセンターステージで踊る。この”Carioca”のダンス・シーンは、延々と12分続く。89分の映画の12分である。様々なバリエーションの群舞の間に、アステア&ロジャースのデュエットダンスが、2チャンスインサートされる。セットもアゲハ蝶の羽根をイメージしたデザインで、女性ダンサーの衣裳デザインも素晴らしい。でバズビー・バークレイ風の万華鏡的ヴィジュアルでクライマックスを迎えるのだが、中盤でも唄った地元のカラードのシンガー(エッタ・モーテン)が最後に再登場して、抜群のジャイブ感で歌い上げで、興奮は最高潮となる。
この「カリオカ」は日本でも大流行。ダンスホールの定番となる。エンタツ・アチャコの『あきれた連中』(1936年・岡田敬、伏水修)の劇中にも「カリオカ」がカフェーで流れるシーンがある。
また地元の「飛行クラブ」でのパーティで、ベリーニャは、ロジャーにフリオと婚約中であることを明かす。ショックを隠せないロジャーは、それでも諦めずに親友のフリオに「彼女に選んでもらおう」と勝負を挑む。このパーティのシーンで、バンドが演奏するのが、ロジャーが無人島(だと思っていたハイチで)作曲したOrchids in the Moonlight「月下の蘭」。フリオが甘く囁くように唄うシーンがロマンチック。フリオも、ロジャーの彼女への愛を知るが、正々堂々と勝負をしようと決める。悪人がいない三角関係である。で、そんな状態なのでベリーニャは「月下の蘭」をロジャーともフリオとも踊るわけにはいかずに、フレッドと踊る。ここでアステアとドロレス・デル・リオのデュエット・ダンスとなる。
ホテルのオープンが迫るなか、屋外でバンド演奏の練習。フレッドは、地元で集めた素人の女の子たちをショー・ガールにすべくオーディション中。ロジャーがスピーディなテンポをバンドに指示すると、フレッドが条件反射でタップを踏み始める。というルーティーンギャグがおかしい。しかしここで問題が発生する。警察官(サム・アペル)たちが「演奏を中止しないと逮捕する」とやってくる。
実は「ホテル・アトランティコ」のカジノ経営を、地元のマフィアが狙っていて、市長不在をいいことに、ホテルでのショーの開催許可が降りなくなってしまう。絶体絶命のピンチに、ロジャーとフレッドが考えたのが「空中レヴュー作戦」だった。空でレヴューを展開する分には、法律には抵触しない。ならばと、フリオの口利きで、地元の「飛行クラブ」の全面協力を得て、ダンサーたちを飛行機に乗せて、いや足や手をくくりつけて、無謀なアクロバット飛行に挑戦することになる。
ここから”Flying Down to Rio”のスペクタクル・ナンバーが延々展開される。地上ではフレッドがバンド(客に紛れて楽器を持ち込んでのゲリラ演奏)を指揮しながらタップを踏みながら”Flying Down to Rio”を唄う。レビューガールたちは、空の上。なのでダンスを踊るわけにはいかない。女の子たちが生身の身体を飛行機に結びつけて、両手、両足を体操のごとく動かすだけ。だけどバークレイ風のクローズアップや、ユニークなカメラアングル、大胆な編集で「目眩く感」がスクリーンに拡がる。特撮映像として観るとかなり楽しい。スクリーン・プロセス、ミニチュアなどを巧みに使っての「空中レヴュー」である。1933年の観客にとってはRKOの『キング・コング』(3月2日・メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードザック)と同じような「映像革命」だった。ちなみに本作のプロデュースもメリアン・C・クーパーである。
「空中レヴュー」に観客たちが大興奮している間に、市長が戻ってきて乗っ取り派の陰謀を粉砕してくれて、万事丸く収まる。あとは、ベリーニャと結婚するのはロジャーか?フリオか? というロマンスの決着が待っている。
ラスト・シークエンスは、クリッパー機内での「空中結婚式」となるが、このシーン、そのまんま、1937年東宝オンパレード『楽園の合唱』(1937年9月1日・P.C.L.・大谷俊夫)のラストシークエンスで再現されている。エノケン神父による空中結婚式である。『空中レヴュー時代』が日本で公開されたのは昭和9(1934)年5月24日に公開されている。エノケン映画第一作『エノケンの青春酔虎傳』(5月3日・山本嘉次郎)と同じ5月の封切りである。エノケンは1904年生まれ、アステアは1899年生まれ。つまり同時代のスター!
【ミュージカル・ナンバー】
♪ミュージック・メイクス・ミー Music Makes Me(1933)
作曲:ヴィンセント・ユーマンス
作詞:ガス・カーン、エドワード・エリシュー
*唄:ジンジャー・ロジャース
*ダンス(リプライズ):フレッド・アステア
♪カリオカ Carioca(1933)
作曲:ヴィンセント・ユーマンス
作詞:ガス・カーン、エドワード・エリシュー
*唄:アリス・ジェントル、モヴィータ、エッタ・モーテン
*ダンス:フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース、コーラス
♪月下の蘭 Orchids in the Moonlight(1933)
作曲:ヴィンセント・ユーマンス
作詞:ガス・カーン、エドワード・エリシュー
*唄:ラウル・ルーリエン
*ダンス:フレッド・アステア、ドロレス・デル・リオ
♪フライング・ダウン・トゥ・リオ Flying Down to Rio(1933)
作曲:ヴィンセント・ユーマンス
作詞:ガス・カーン、エドワード・エリシュー
唄・パフォーマンス:フレッド・アステア、コーラス
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