『殺しが静かにやって来る』(1968年・イタリア・セルジオ・コルブッチ)
5月16日(火)の娯楽映画研究所シアターは、セルジオ・コルブッチ監督のある意味代表作、ジャン=ルイ・トランティニャン主演『殺しが静かにやって来る』(1968年)をスクリーン投影。
西部劇史上、いや娯楽映画史上、ヒーロー映画ではあり得なかったもっとも衝撃的なラストに向かって突き進む1時間40分。クライマックス、最高のテンションの後に突き放される感覚は、今回も味わった。しかし、トップシーンから、そこまでの展開は、静謐かつヴァイオレンスに満ちている。クラウス・キンスキーの非道な賞金稼ぎ・ロッコと、その被害者の妻からの依頼でロッコの命を狙う、沈黙の流れ者・サイレンス(トランティニャン)の闘い。そこに至るまでの山岳盗賊団、そして腐敗した街を支配するポリカット判事(ルイジ・ピスティリ)の極悪ぶりがたっぷり描かれる。全編、真っ白い銀世界に覆われたなかでのガンファイト。真っ赤な鮮血。そして、ヒロイン、ポーリーン(ヴォネッタ・マギー)の印象的な瞳。
1898年、雪深いユタ州スノーヒルは無法地帯。悪党どもが救い、治安は乱れていた。賞金稼ぎのロコ(キンスキー)は、無実であろうと無かろうと、お尋ね者を仕留めては、その亡骸を保安官に突きつけて荒稼ぎするアンモラルな男。しかも関係のない無辜の民まで平気で殺してしまう。その後ろ盾になっているのは、悪徳判事・ポリカット(ビステリ)だった。
そこへ、ポリカットに両親を殺され、その現場に居合わせたため、少年時代に声帯を掻っ切られて、喋ることができなくなった”サイレンス”(トランテニャン)が現れる。ロコに夫を殺害されたポーリン(マクギー)から、千ドルの報酬で、サイレンスはロコへの復讐を請け負う。しかし、ポーリンに横恋慕しているポリカットに家と土地を売ろうとするも、それを断れて千ドルを作ることができない。それを知ったサイレンスは無償でロコを倒すことに。サルーンでロコを殺そうとしたサイレンスは、ロコの手下の返り討ちにあって瀕死の重傷を負う。
しかし、スノーヒルに新たに赴任してきた保安官・ギデオン(フランク・ウォルフ)に、ロコは逮捕されてしまう。一方、サイレンスは、ポーリンの手厚い看護により、彼女と心を通わせてゆく。やがて、ロコを連行したギデオンは、ロコによってあっけなく殺されてしまう。この無情感。傷だらけのサイレンスはそれでも、ロコたちに闘いを挑むが、非情にもロコたちの兇弾により絶命してしまう。
「勧善懲悪の西部劇」とは真逆の展開に、しばし呆然となる。悪い連中を一網打尽にするのではなく、満身創痍のサイレンスがあっけなく殺されてしまう無常感。ヒーローが悪を捌くことも倒すこともできない。この突き放された感覚。これこそが1968年!! このざらついた、救いのないラストは、トランティニャンの発案だとか。DVDに収録されているもう一つのラスト、ハッピーエンドは、何か取ってつけたような感じがする。凍った湖でロコに殺された筈の保安官・ギデオンは何事もなかったかのように生きているし。
主人公のサイレンスは、幼き日に両親を虐殺した保安官たちに証言が出来ないように声帯を切られてしまっている。言葉を発することもない。寡黙ではなく”サイレンス”。座頭市や片腕ドラゴンのようなハンデキャップ・ヒーローでもある。前半、駅馬車にお尋ね者の亡骸をロッコが載せていく展開は、クエンティン・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』(2015年)でリフレインされている。
トランティニャンの眼の演技、キンスキーの狂気に満ちた表情。アレハンドロ・ウローアの見事な撮影。カタルシスのなさゆえに、映画史に残るマカロニ・ウエスタンの傑作。エンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしく、何年かに一度は観たくなる。