『只野凡児 人生勉強』(1934年1月5日・P.C.L.映画製作所・木村荘十二)
「ノンキナトウサン」で知られる麻生豊の漫画「只野凡児 人生勉強」は、1933(昭和8)年から、1934(昭和9)年7月まで朝日新聞夕刊に連載された。只野凡児は大学は出たけれど、なかなか就職ができずに、紆余曲折を経て、ようやく玩具メーカーの社員となる。ホワイトカラーが憧れの職業、ステイタスだった時代、不景気な世の中を反映してのユーモラスなサラリーマン漫画。しかも只野凡児はノンキナトウサンの息子という設定、つまりスピンオフ漫画でもあった。
さて、この人気漫画を、伊庭鵜平と松崎啓次が脚色、『音楽喜劇 ほろよひ人生』『純情の都』(1933年)でP.C.L.カラーを創出してきた木村荘十二が映画化。前2作のような大作ではなく、明朗漫画の映画化ということで、プログラムピクチャー的な気軽さが楽しい。ちなみに、『純情の都』までが株式會社冩眞化学研究所の製作だったが、同年12月5日に株式会社ピー・シー・エル映画製作所が設立され、その第1作となったのが本作。
タイトル・ロールの只野凡児には、P.C.L.の主力スタアの藤原釜足。浅草オペラ出身で、エノケンのカジノフォーリーに参加し、映画俳優に転向、コメディアン、名脇役として活躍していくこととなる。さて、藤原釜足は、只野凡児と容姿が似ていて、ロイドメガネをかけさせたら、そっくり、ということで映画化が決まったという。漫画の映画化らしく3話構成で、只野凡児の行状がコミカルに描かれる。
ノンキナトウサンの息子・凡児が大学を卒業、就職難の不景気な時代を懸命に生きていく姿をコミカルに描いた作品となり、戦後、東宝で連作される「サザエさん」シリーズなど、漫画映画の嚆矢となった。映画は「就職運動の巻」「家庭教師の巻」「社員入門の巻」などのエピソードで構成されている。
タイトルバックは、麻生豊の書き下ろしキャラクターを、アニメーションで描こうという斬新なアプローチだが、音楽に合わせてキャラを点滅させたりするので、見にくくて効果的とは言えない。タイトルに流れる主題歌は、浅草で「笑の王国」を旗揚げして、ユーモリストでもある徳川夢声が作詞、劇中音楽も手掛け、P.C.L.映画のサウンドを牽引していた紙恭輔が作曲。漫画のイメージを、ユーモラスに詞に織り込んだノヴェルティ・ソングとなっている。この曲は、佐藤利明監修、解説のぐらもくらぶCD「ザッツ・ニッポン・キネマソング」に収録している。
只野凡児…藤原釜足
丸持社長…丸山定夫
ビルの月五郎…大辻司郎
橋呉男爵…津村博
ピアノ教師…吉川英蘭
先輩野見山…嵯峨善兵
三原山子…竹久千恵子
丸持夫人…細川ちか子
丸持モロ子…堤眞佐子
下宿屋のおかみ…清川虹子
がメインキャスト。他に「笑の王国」から、生駒雷遊、横尾泥海男、中根竜太郎、林葉三、生方賢一郎、田島辰夫が特別出演。ムーラン・ルージュの人気者・森野鍛治哉、そして新劇からは滝沢修、仁木独人たちが「帝国玩具株式会社」重役などで特別出演。それぞれワンシーンながら、漫画チックな芝居がおかしい。特別出演枠のフェリシタ夫人は、詩人・中野秀人とフランスで恋に落ちて結婚、来日したスペイン女性。その奔放な生活がジャーナリズムによってセンセーショナルに取り上げられた。この映画では、日本橋の白木屋のシークエンスでワンシーン登場。
第一話「就職運動の巻」
只野凡児(藤原釜足)は、可もなく不可もなくの成績で昭和大学を卒業したものの、就職先が決まらない。主題歌の歌詞のように「卒業証書一枚もらって、履歴書100枚書かされる」である。世話焼きの下宿のおかみ(清川虹子)も心配してくれているが、届くのは「不採用通知」ばかりで、大いにクサる。不景気な世の中、先行き不明である。ちなみに凡児が住んでいる下宿があるのは本郷区本郷学生町1−3「高等下宿・頓珍館」。
そこへ、先輩・野見山ノミスケ(嵯峨善兵)から紹介状が届いて、有頂天となる。大言壮語の野見山も失業中なのだが「大日本失業史」を執筆すると豪語している。P.C.L.映画の嵯峨善兵は、こうした失業中の先輩、同級生役が多い。
さて、凡児が会社を訪ねると「君かね、野見山ノミスケ君の後輩というのは」と、恰幅のよい会社の重役・甲田(横尾泥海男)がふんぞり返って応対する。ところが話題は世間話ばかり。しかも野見山は、この友人からも「大日本失業史」に名前を出すからと寸借している。「で、君の用事は?」「え?」。大学は卒業したけれど、まだ就職できてないと凡児。「わしの方じゃどうにもならんが、友人を紹介してみよう」。
で、次の会社に行っても「もっか人を減らしている時でね。この人を訪問してごらんなさい」とまた金融会社を紹介される。しかし、ここでもリストラ中とのことで、またまた紹介状を貰って行ったら、なんと、横尾泥海男の会社で「おや、忘れもんでもしたのかね?」。大いにクサって夜の街を彷徨う凡児、酩酊中の野見山先輩とばったり。事情を聞いた先輩が、ここなら間違いないと、橋呉男爵の会社を紹介してくれる。
今度こそ大丈夫!と、大いに張り切って凡児、橋呉男爵の五百五銀行へ。あまりの嬉しさに、トイレで出会った男(津村博)に、気安く話かけて、間違って洗面所の水をかけてしまう。激怒する男。いよいよ凡児の面接となるが、なんと橋呉男爵はさっきのトイレの男で、またもや大失敗。
という御難続きがユーモラスに、テンポ良く展開する。で、ようやく面接通知が「帝国玩具株式会社」から届くも、六百人のうちから採用は一人という難関。頓知を聞かせて凡児は、最初の面接に滑り込む。
丸持社長(丸山定夫)初め、会社の重役たちを前に、いささか緊張気味の凡児。ここで「笑の王国」の面々や、森野鍛治哉、滝沢修たちが重役として登場。いずれも絵に描いたような老けメイクで、それぞれの見せ場がある。丸山定夫は言われないとわからないくらい、メイクでキャラクターを作り込んでいる。
余談だが「帝国玩具株式会社」があるのは丸の内、東京駅前の海上ビルディングでロケーション。劇中、下宿のおかみさんのセリフに、海上ビルならぬ「陸上ビル」とあるのがおかしい。「東京海上ビルディング」は、1917(大正6)年、丸の内一丁目に竣工。日本で初めて「ビルディング」と名前につけられた建物。P.C.L.映画でもお馴染みで、『純情の都』ではヒロインが務める会社がこのビルにあった。
さて、面接試験に戻る。ここでも凡児の頓知が功を奏して、即座に採用が決まる。またまた有頂天の凡児、野見山に報告すると、早速祝賀会とカフェーへ伸すことに。ところが、このカフェーは丸持社長の行きつけの店で、この日も、女給を口説いているところだった。
空気の読めない凡児。社長の席まで挨拶に行くも、バツの悪い社長に逆ギレされて、その場でクビに。就職から失業まで12時間という最短記録は「日本失業史」に記そうと、無責任な野見山先輩。
就職はしたけれど、失業してストレスが最高潮に達した凡児、夜店の風船を買ってパン、パンと割ってストレス解消。その時、帝国玩具の三原山子(竹久千恵子)が同僚とランデブー中に、与太者たちに囲まれて大ピンチ。しかし、凡児の割る風船の音を、警官のピストルと間違えた与太者たちは慌てて逃げ出す。
三原山子にとっては、凡児は頼もしき男となり、二人の交際がここから始まる。
第二話「家庭教師の巻」
またもや失業者となった凡児、昭和大学卒業の強みを活かして、家庭教師の職にありつく。しかも大金持ちで、美しきお嬢さん、モロ子(堤眞佐子)に勉強を教えるのかと早合点してぬか喜び。しかもその家は帝国玩具の丸持社長の家で、凡児に弱みを握られている社長は、夫人(細川ちか子)に浮気がバレてはまずいと、凡児を言いくるめる。チャンス到来と凡児は張り切るが、教える相手は小学生の弟。これが相当の「いたづら小僧」で、凡児は振り回される。モロ子には、いけすかないピアノ教師(吉川英蘭)がついていて、さらにクサる凡児。
しかし自由奔放なモロ子は、凡児を気に入って、ドイツ語教師として雇うが、凡児はさっぱり語学がダメ。逆にモロ子に教わる始末。
「どこか遊びに行きましょうよ」と、モロ子の買い物に付き合って、日本橋へ。ここで白木屋デパートが登場。寅さんの啖呵売で「赤木屋黒木屋白木屋さんで…」の白木屋である。中央区日本橋1丁目にあった江戸時代から続く老舗呉服店で、1903(明治36)年に百貨店となった。関東大震災からの復興で1931(昭和6)に日本橋本店が再建されるも、1932(昭和7)年12月16日、日本橋本店4階から出火する大惨事となる。
本作はそれから一年後の撮影となる。石本喜久治設計によるモダンなアールデコの外観。そして特選売り場や1階のフロアなど、すべてロケーションで撮影されている。モロ子の贅沢な買い物に付き合い、箱をいっぱい抱えてお供をする凡児。そこへ、通りかかるフェリシタ夫人。一瞬、凡児に怪訝そうな顔をする。なかなかの美人である。
次のシーンで、二階から階段を降りてくる丸持社長と、凡児の恋人・三原山子の姿を見て、千々に乱れる凡児の気持ち。山子も、モロ子と凡児の仲を誤解して…
しかし、モロ子には婚約者がいた。その相手は例の橋呉男爵(津村博)で、モロ子がデパートに買い物に行っている間に、約束したと丸持家を訪ねてくる。モロ子は、男爵のことを嫌いなわけではなく、翻弄するのが楽しくて、わざと意地悪をしている。ツンデレである。
だけど橋呉は、モロ子が凡児に気があると思って、嫉妬の炎を燃やす。で、結局、丸持夫人の逆鱗に触れて、家庭教師もクビになってしまう。
第三話「社員入門の巻」
やることなすこと裏目に出てしまう凡児。再び、野見山先輩に相談。ならば、橋呉男爵とモロ子の結婚を取り持つことで、再就職の道あり。と、凡児は再び橋呉男爵の会社へ。その頃、男爵はなんとかモロ子との結婚の日取りを決めて、丸持社長のOKをもらおうと悩んでいた。それを聞いた、用心棒・ビルの月五郎(大辻司郎)が、帝国玩具の社長を脅かすと、勝手に決めて行動へ。喜劇専門の活動弁士だった大辻司郎は、漫談家となり「ナヤマシ会」から「笑の王国」設立に参加。かなりのインパクトの芸風で、奇声と強烈なルックスと「アノデスネ。ボクデスネ」のフレーズで一世を風靡した喜劇人。
ここでも出てくるだけでおかしい。勝手に帝国玩具に乗り込んで、丸持社長を脅かす。この社長室のシーンがいい。新劇の重鎮でもある丸山定夫と飛び道具のような大辻司郎の芸風。二人の追いかけっこが狭い室内で展開。
そこへ、男爵から事情を聞いて、その指示を受けた凡児がやってきて、月五郎を撃退せんと、ドタバタ・アクションが展開。社長は逃げ出して廊下にあった「カムチャッカ行き」と書いてある大きな箱の中へ。ちなみに帝国玩具の主力商品は、講談社の「少年倶楽部」連載で大人気の田川水泡「のらくろ」のぬいぐるみなどのキャラクターグッズ。麻生豊の「ノンキナトウサン」は大正時代に大人気となり、関連商品が飛ぶように売れた。ヒット漫画の元祖マーチャンダイジングである。
で、この頃は空前の「のらくろ」ブーム。今の感覚だと、麻生豊の漫画の映画化に田川水泡の「のらくろ」グッズが登場するのは不思議だが、当時はそんなに特別なことでもなかった。このドタバタ劇で、最後、大辻司郎が伸されてしまうのは、のらくろのぬいぐるみを一撃されて、である。
さて、野見山と月五郎、男爵とモロ子が入り乱れてのドタバタの間。凡児も社長が隠れている「カムチャッカ行き」の箱に隠れる。ここで凡児は帝国玩具への復職と、月給500円の契約を結んでしまう。このチャッカリぶり。
というわけで、すべてが丸く収まって、いよいよモロ子と男爵の華燭の典となる。もちろん凡児も、三原山子も出席。二人はよりを戻して、また仲良しとなっている。式場の庭に、月五郎が帝国玩具の工場の職工たちを連れてきて、すわストライキか!デモか!という状況となる。この頃、労働運動がそれなりに盛んで、特にP.C.L.のスタッフや役者たちは、かつて労働運動や、左翼運動で投獄経験のあるものが多かった。なので、こうしたヴィジュアルなのかなと思ってしまう。
バルコニーから、凡児がポケットチーフを振ると、月五郎が労働者たちを指揮してコーラスが始まる。
♪おもちゃを作るのは
我らの尊き務め
おもちゃを作ってよ
務めよ 励め
すべてに優しき
我らの愉快な社長
儲かる頭よ
輝くハゲよ
トンチキ インチキ
我らの愉快な仲間
おもちゃに似てるよ
どいつの顔も
朝から晩まで
我らはおもちゃで暮らす
眠れば夢にも
おもちゃを見るよ
サトウハチローがこの映画のために作詞した「おもちゃの歌」である。この労働者コーラスに来賓、出席者たちが夢中になっている間に、新郎と新婦は会場を抜け出す。その時、モロ子は、凡児にブーケを渡す。三原山子とお幸せに、という意味で。しかし、その場面を目撃した山子は、またまた失恋したと思い込んでがっかりするも、凡児から話を聞いて、二人は相思相愛に… でエンドマークとなる。
本当に他愛のないエピソードの連続だが、モダンなP.C.L.喜劇や東宝で連作される漫画の映画化のルーツ的作品として、うまくまとまっている。何よりも、藤原釜足の只野凡児ぶりがなかなか楽しい。
公開当時の國民新聞の映画評である。
「この映画は配役がなかなか成功していた。藤原釜足は氏の主役は言うまでもない、一寸した役にも注意がくばられていることを知る。森野鍛治哉などはごく端役だが良い演技を見せてくれる。そして相変わらず堤眞佐子の演技は出色であった」