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『結婚適令記』(1933年3月23日・日活太秦・青山三郎)

2023年2月12日(日)、横浜シネマリンで、ピアニスト・柳下美恵さんの「ピアノd e フィルム」企画『結婚適令記』(1933年3月23日・日活太秦・青山三郎)78分を堪能。てっきり多摩川作品と思い込んでいたが、ロケ地が京都近郊なので、ああ太秦だ!と観ながら不明を恥じる。青山三郎監督の緩急自在の演出が素晴らしく、その才能を、遅ればせながら発見している喜びを体感した。

和製ロイド・杉狂児のサラリーマン、恋愛コメディなのだけど、トーキー移行期の作品だけに、サイレント演出の成熟に唸りっぱなし。山崎謙太のシナリオは、この時期の日活コメディの水準を想起させてくれるが、このアベレージが高い。トーキー時代にも日活で、杉狂児主演『ジャズ忠臣蔵』(1937年・伊賀山正徳)などを手掛け、岡譲二と大川平八郎主演『鉄腕都市』(1938年・渡辺邦男)を皮切りに東宝でも活躍。古川緑波主演『ロッパの大久保彦左衛門』(1939年・齋藤寅次郎)はじめ、東宝コメディのシナリオを執筆。特に柳家金語楼主演作は、座付作者のように続けて執筆していくことになる。そのモダンなテイストは、日活時代に培ったもの。

冒頭、いきなり車載カメラで、箱根の険しい道を疾走するクルマ。カッティングも小気味良く、そのクルマが事故を起こして、斜面を落下して大破! その事故現場を取材するべく、現地に派遣されたのが、社会部の新人記者・和田忠男(杉狂児)。しかし、現場に着いた時は、被害者は町の病院に搬送された後。この滑り出しがスピーディで楽しい。

なんの情報も掴めないまま、困ってしまった和田記者。通りがかったクルマを運転していた山中(宇留木浩)に「運転手と富小路子爵令嬢が病院に運ばれ、もう命がないかも」と揶揄われ、間に受けて、大誤報。それで社会部をクビになり、家庭欄に移動を命ぜられてしまう。記者になって一年、やることなすこと失敗ばかり。今度こそ頑張ろうと張り切るが、政治家の趣味訪問記事の取材で、いきなり門前払い。

ところが、同僚の女性記者・今井初子(如月玲子)が、その日のうちに取材、記事にしてしまう。今井記者は、ネクタイ、スーツに、丸メガネ。バリバリのキャリアウーマン。現実はともかく、この時代、映画や婦人雑誌の連載小説には、こうした職業婦人がカッコよく描かれている。こうした娯楽映画は、果たせぬ夢を具体的に実現してくれるトレンド・メディアだったのだ。 

ここまで観てきて、既視感に。藤原釜足と宇留木浩が新米家庭部記者を演じた『人生初年兵』(1935年12月11日・P.C.L.・矢倉茂雄)の前半にそっくり。清川虹子がやはり男まさりの女性記者を演じていた。

さて、今井女史にポイント稼がれて、憤懣やる方ない和田くん。猛烈に抗議をするや、その男らしさに、今井女史がメロメロとなり、ついにストーカーみたいに猛烈アタックを開始。彼女がトラブルメーカーとなり、その猛女ぶりに振り回される和田くん。これが映画の笑いを牽引していく。如月玲子は、入江たか子主演、内田吐夢監督『日本嬢 ミス・ニッポン』(1931年・日活太秦)などに脇役として出演。田村道美主演『海に散る花』(1932年・同・小林正)でダンサー役を演じているが、僕がその名を知ったのはレコードである。

杉狂児主演『拾った女』(1933年・日活太秦・伊奈精一)の同名主題歌を、杉狂児とデュエットで歌っていて、それを5枚組CD「日活100年101映画」(2012年・テイチク)に収録したことがある。調べると如月玲子は『拾った女』には出演していないようだが、同作のプロローグ・レコード「戀と拳闘」では本作でも共演した宇留木浩、杉狂児とともに出演している。

 というわけで、本作の収穫はなんといっても如月礼子演じる、今井女史である。男勝で自立していて、仕事もバリバリできる。しかも恋愛には積極的で、和田くんに惚れ込んだら、彼のハートを射止めるまで、連夜、アパートに押しかけるという積極の塊。まさに、当時の言葉で言うと「猛女」(失礼!)である。では、トラブルメーカーとして登場した彼女が、悪役かというとそうではない。むしろ、後半、その積極性、弁舌が立つ理論家ゆえに、主人公たちを幸福に導く。キーマンなのである。

 コメディとして楽しいのは、富小路子爵(田村邦男)の令嬢・静江(久松美津江)に一目惚れした和田くんが、今井女史のストーカー的純情を、とにかく迷惑がること。その表情やリアクションがいちいちおかしい。のちの「喜劇・旅行シリーズ」でフランキー堺の主人公が、惚れてもいない倍賞千恵子に追いかけられて迷惑そうな表情と、神経症的に追い詰められていく、あのパターンである。

久松美津江、田村邦男、如月玲子、杉狂児

 喜劇映画研究会の新野敏也さんが、杉狂児の動き、リアクションは、ハロルド・ロイドを意識していると、上映後のトークショーで具体的な素材とともに分析してくれたが、まさしく、和製ロイドである。杉狂児自身も意識していただろうが、作り手たちも「和製ロイド」をイメージしていたことは、映画を観ていると納得できる。余談だが、トーキー専門スタジオとして発足した寫眞科学研究所(翌年からP.C.L.撮影所)の第一作『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933年8月10日・木村荘十二)で主演デビューを果たした藤原釜足も、和製ロイドとして『只野凡児 人生勉強』(1934年1月5日・木村荘十二)では、まさにロイド眼鏡にカンカン帽スタイルのサラリーマンを演じることになる。もちろん麻生豊の原作「只野凡児」のスタイルを再現しているのだが、只野凡児がロイド・スタイルでもあるので。
 
 というわけで、この翌年、『エノケンの青春酔虎傳』(1934年5月3日)で映画進出を果たす榎本健一は、エディ・キャンター映画を意識しているし、サイレントからトーキーにかけてのニッポン・コメディは、ハリウッドのコメディ俳優とその出演作を意識していた。少し後になるが、吉本ショウでスポーツ漫才として一世を風靡、映画進出した永田キングは、和製グルーチョ・マルクスとして『かっぽれ人生』(1936年・P.C.L.・矢倉茂雄)などで怪演。アノネのオッサンこと高瀬實乗の容貌魁偉なオッサンメイクは、ペン・タービンやスナップ・ボラートを意識していると思われる。

 ともあれ、サイレント映画だけに、杉狂児のコメディ俳優としての身体の動き、ちょっとしたリアクション、表情を眺めているだけでも楽しい。大学出の新聞記者といえば、当時としてはかなりのセレブリティ、ハリウッド映画の主人公のようなイメージを観客が抱いていた。

 さて、和田くんは、深窓の令嬢・静江にゾッコンで、彼女のためならどんな苦労も厭わないと思っている。ある日、土砂降りの雨となり、和田くんがビルの軒先で雨宿りをしていると、やはり雨に濡れた静江とバッタリ。そこで和田くん、彼女のために円タクを呼んでくる。ずぶ濡れの和田くんをハンカチで拭いてあげる静江。ハンカチは「捨ててください」と言われて、捨てるフリをして背広のポケットへ。そんな細かい仕草がおかしい。

 円タクがビルの前に到着。しかし、クルマに乗るにはどうしても濡れてしまう。和田くん、そこへ通りかかった女学生の傘を借りて、静江をエスコート。自分もクルマに乗ったところで女学生に傘を返す。このあたりもサイレント喜劇ならではの笑い。富小路邸に着く頃には、雨も上がって、門の前まで静江を見送った和田くん。うっとりと彼女の後ろ姿を見つめている。クルマのステップに座ったまま、陶然としている。痺れを切らした運転手、クルマを発進させるが、和田くんはステップに座ったまま動き出す。これもアフタートークで、柳下美恵さんが指摘していたように『キートン将軍/キートンの大列車追跡』(1926年)を連想させてくれる。

 さて、静江は、父が決めた婚約者・山中(宇留木浩)との結婚がどうしても嫌で、それを子爵に聞き入れてもらえずに、悩みに悩んでいる。そのことを相談できるのは、和田記者だけ、ということで、静江は中外新聞社を訪ねる。喫茶店で、彼女の悩みを聞いていると、家庭部部長(大崎史郎)からの呼び出しがあり、静江はその夜、和田くんのアパートを訪ねることに。

 意中の彼女が訪問してくるので、部屋を綺麗に片付ける和田くん。ベッドルームに貼ってあるジーン・ハーロウのセクシーなピンナップの上に、ゲイリー・クーパーのピンナップを貼って誤魔化したり。なかなか楽しい。やがてドアをノックする音。静江かとドアを開けたら、なんと今井女史が押しかけてきて、一悶着。「帰らないなら、ぼくが出ていく」「帰ってくるまで待ってるわ」。どこまでも一途な今井女史。

 ここで、静江が訪ねてくることは、観客にも織り込み済みで、案の定、今井女史が女房然として応対。静江は傷ついてしまい、和田記者の名刺をビリビリに。そこに帰ってきた和田くんがとりなしても、静江はとりつく島もない。嗚呼! といったすれ違いはラブ・コメの常套。やがて、今井女史は、和田くんからの徹底抗議を受けて、彼の静江への気持ちを知り、諦める気はさらさらないけど、二人のために人肌脱ぐことにする。和田くんは、静江に電話をかけても、取り次いでもらえずブロークン・ハート。そんな部下を慰めようと、家庭部部長は、和田くんを待合へ誘う。

 部長を演じている大崎史郎は、日活大将軍から太秦で活躍、前述の内田吐夢監督『日本娘 ミス・ニッポン』(1931年)や稲垣浩・山中貞雄監督『関の弥太っぺ』(1935年・日活京都)などに出演。戦後は大映京都撮影所で、溝口健二監督『雨月物語』(1953年)や『近松物語』(1953年)や、東映京都で内田吐夢監督『宮本武蔵』(1961年)や『恋や恋なすな恋』(同年)などで、僕らにも馴染みのバイプレイヤーである。この部長は、上機嫌でお座敷芸を披露。芸者たちも辟易しているのがおかしい。和田くんは意気消沈したまま。

 隣の座敷では、恋敵・山中が芸者を揚げての放埒三昧。しかし山中は悪い男で、馴染みの芸者(近松里子)を甘言でたらし込んで妊娠までさせておきながら、静江との結婚を理由に彼女を捨てようとしている。しかし「そんなことはさせない」と、芸者は二人の結婚をめちゃくちゃにしてやろうと決意。待合の廊下でこの修羅場を目撃した和田くん。そのことを静江に電話で報告。しかし静江は「知り合いでもない人の告げ口はよして。なぜ、あなたはそんな場所にいるの?」と電話を切る。

 山中を演じている宇留木浩(本名・横田豊秋)は、もともと映画監督、脚本家として同期の山本嘉次郎とともにキャリアを重ねてきたが、同時に俳優として映画に出演していて、日活太秦撮影所長・池永浩久の鶴の一声で俳優に転向。二歳年下の妹は、新劇から映画女優となった細川ちか子。
 
 和田と行き違いになったまま、静江はイヤイヤながら、家を訪ねてきて「ドライブに行きましょう」との山中の誘いに乗って、ドライブへ。しかし、山中に恨み骨髄の愛人の芸者は、刃物を忍ばせて円タクに乗って、山中を追い詰める。半狂乱の芸者におそれをなした山中。静江は巻き込まれたくないと逃げ出す。ここで改めて和田くんが言っていたことが真実だと知る。このシークエンスから、静江の衣装がモダンガールの洋装となる。前半、親の決めた結婚に悩んでいるシーンでは和装だった彼女が、活動的な洋装となるのは「自分の幸福を自分で掴む」現代女性の象徴でもある。

 おかしいのは、和田くんの静江への気持ちを知った今井女史が、子爵邸を訪ねて、自由恋愛の大切さ、女性の地位向上、見合い結婚の不毛などを説く。子爵が「帰りなさい」と命じても「わかるまで説明する」と居直って、延々と演説をする。今井女史の面目躍如である。

 さて、芸者に追いかけられて逃げ惑う山中は、とある窯場の煙突に登って、芸者を振り切ろうとする。これは、この映画の三年前、神奈川県川崎市の紡績工場の労働争議で、6日間に渡って煙突の天辺に居座った男・田辺潔の「煙突男」事件のパロディでもある。山田洋次監督の『馬鹿まるだし』(1964年・松竹)で、桜井センリが労働争議の抗議で煙突男となり、ハナ肇が経営者の要請で説得にあたるドタバタがあったが、これもこの「煙突男」事件がモチーフになっている。

 クライマックス。警察や

報道陣が見守るなか、山中はへっぴりごしでハシゴにしがみつき、芸者は降りてきたら殺してやると刃物を構えている。で、おかしいのは途中、芸者がどこからかなめし革を出してきて、刃物を研ぎ始める! このナンセンスな感覚。

 「煙突男」の報を受けた和田くん、静江をともなって現場へ急行。観念して逮捕された芸者のコメント取材もできて、恋敵・山中も警察にしょっ引かれる。これで和田くんと静江の恋路の邪魔をするものは誰もいない。では、今井女史は? その猛烈ぶりが、子爵に気に入られて、洋行する子爵が秘書として雇用することになって、誰もが幸福なハッピーエンドとなる。

 スピーディな展開、緩急自在の演出、そして杉狂児のリアクションの良さ。隅々まで青山三郎監督の目が行き届いている。サイレント期の日本映画の成熟が、本当に良い形でフィルムに焼き付けられている。劇場では笑いが絶えず、柳下美恵さんの即興演奏も素晴らしく、楽しい映画体験を満喫した。

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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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