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『北国の旅情』(1967年・西河克己)

 『北国の街』(1965年・柳瀬観)で初主演以来、日活のドル箱スターとして数々の映画に主演してきた舟木一夫。1966(昭和41)年9月に公開された芸術祭参加作品『絶唱』(西河克己)は、舟木自らが企画して映画化を日活に申し入れ、難色を示す日活トップを説得し、文字通り体当たりの演技を見せた。映画はもちろん大ヒット、主題歌「絶唱」は、その年のレコード大賞歌唱賞を獲得。舟木一夫の評価は、青春歌謡のスターからビッグアーチストへと大きく変わりつつあった。

 歌手としても多忙を極めていた1966年11月。日活は翌1967(昭和42)年の正月映画を企画。それがこの『北国の旅情』だった。しかし、急遽の企画のため、舟木自身の撮影スケジュールを調整するのが難しく、最終的に舟木一夫が出演できるのは8日程度、しかもステージやテレビ出演の終わる夜間のみという、厳しい状況でクランクインを迎えることとなった。

 とはいえ、監督は1966年『哀愁の夜』『友を送る歌』『絶唱』と、立続けに日活舟木一夫映画を撮って来たベテラン西河克己。舟木との信頼関係も抜群で、相性のピッタリの監督だけに、その難しい条件のなか、青春映画の佳作を見事にものしている。

 原作は「若い人」「青い山脈」「陽のあたる坂道」など日活でも数多く映画化されている作家・石坂洋次郎が朝日新聞に連載した明朗青春小説。脚本は日活で、数々の青春作品やムードアクション、文芸作など良質的な映画を数多く手がけて来た山田信夫と、『学園広場』(1963年・山崎徳次郎)、『北国の街』(1965年・柳瀬観)など舟木一夫映画では常連の倉本聰。

 この『北国の旅情』は、確かな原作、脚本、演出を得て、日活らしい明朗快活な青春ドラマの佳作となっている。舟木一夫の役は、卒論を抱えている大学四年生の上村英吉。同じキャンパスで四年間、ともに勉強をしてきたガールフレンド、金井由子に縁談が持ち上がり婚約すると手紙で告げられる。異性として意識して交際していたわけではないが、そのことが気がかりとなり、冬休みを利用して北国の街にある金井由子(十朱幸代)の実家を訪ねる。

 古いモラルに縛られている旧家では、突然のボーイフレンドの来訪にあたふたとする。そのあたりの喜劇的状況がおもしろおかしく描かれている。由子の実家は銭湯。父親・金井半蔵に江戸家猫八、母・テツ子に初井言栄、そしてお祖母ちゃん・はなに北林谷栄といったベテランに混ざって、まだ若かりし頃の長山藍子が、お手伝いのちえをコメディリリーフ的に演じている。日本映画でお婆ちゃんを演じさせたら右に出るものはいない北林谷栄の、役者としての姿勢に、若き舟木一夫は大いに影響を受けたという。

 由子の妹・妙子を演じた小橋玲子もキュートな魅力を振りまいている。その妙子が、事なかれ主義の大人たちに反発するサイドストーリーが描かれるが、これも石坂洋次郎らしい展開。

 さらに、由子の縁談の相手、造り酒屋の息子・河原健二に、舟木映画ではレギュラーの山内賢。気弱で何をやっても駄目な青年で、明朗で頭も切れる英吉と対照的に演じている。その二人の間で「本当の幸せとは何か?」ついて由子が悩む姿が、この映画のテーマでもある。

 その建二の父親・吉之助に東野英治郎。映画の後半、英吉と吉之助が対峙をする場面があるが、この時、舟木一夫はベテランの東野から多くの事を学んだとインタビューで語っている。ここで舟木が東野のリクエストで歌う「刈干し切り唄」のシーンは名場面。また、英吉が卒論を書く場面で、監督の要望により舟木は初めてタバコを吸う事になり、それがきっかけでヘビースモーカーになったという。

 主題歌「北国の旅情」は松尾健司の作曲だが、作詞は西河克己監督。急遽の作品のためコロムビアが主題歌を用意する時間がなく、舟木の要請を受けて監督自らが作詞したという。由子の実家の銭湯で歌うのが「高校生音頭」(作詞:丘灯至夫 作曲:遠藤実)、「おやすみ恋人よ」(作詞:丘灯至夫 作曲:山路進一)は由子の実家の二階で英吉によって歌われる。

日活公式サイト

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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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