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『兵隊やくざ 殴り込み』(1967年9月15日・大映京都・田中徳三)

 シリーズ第7作『兵隊やくざ 殴り込み』(大映京都・田中徳三)が公開されたのは昭和42(1967)年9月15日。併映は宇津井健と本郷功次郎のアクション・シリーズ『海のGメン 太平洋の用心棒』(大映東京・田中重雄)だった。この週の各社の封切り作品は次の通り。日活は14日公開で、藤田まこと『喜劇 大風呂敷』(中平康)と渡哲也『錆びたペンダント』(江崎実生)。東映は、高倉健と藤純子『日本侠客伝 斬り込み』(東映京都・マキノ雅弘)と美川憲一のヒット曲をフィーチャーした梅宮辰夫『柳ヶ瀬ブルース』(東映東京・村山新治)。東宝は、夏木陽介の青春学園もの『でっかい太陽』(松森健)と石坂洋次郎原作・星由里子『颱風とざくろ』(須川栄三)。と、東宝をのぞいて各社とも男性向けのプログラムピクチャーばかり。

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 低迷するなかで安定の人気の「兵隊やくざ」シリーズもこれで7作目。有馬頼義の原作から自由脚色して、インテリ上等兵・有田(田村高廣)と浪花節語りからやくざになった一等兵・大宮貴三郎(勝新太郎)が、激戦の中国戦線で大暴れするコメディタッチの活劇として、昭和40年代の人気シリーズとなっていた。今回の脚本は、東宝で「社長シリーズ」などを手がけていたプログラムピクチャーの騎手・笠原良三と、のちにテレビ「新・座頭市」シリーズなどを手がける東條正年。おそらく構成を笠原がまとめて、東條がシナリオに仕上げたものだろう。それだけに、これまでの「兵隊やくざ」よりもギャグやエピソードが豊富で、しかもストレートな「軍隊喜劇」となっている。軍国主義や軍隊の非人間性に対するアゲインストよりも、軍隊を舞台にしたシチュエーション喜劇の話法である。

 今回も前作との明確なつながりが明示されず、大宮と有田が配属されている部隊も異なる。昭和20(1945)年初夏の満州。激戦が続き、八路軍、共産ゲリラと戦いながらも、大渕大佐(稲葉義男)率いる部隊で、大宮一等兵(勝新)は相変わらずのマイペース。黒磯一等兵(丸井太郎)とコンビを組んで、部隊裏の川に手榴弾を投げ込んで、川魚を収穫。物資の油を盗んできて、兵舎裏で「フライ作り」に余念がない。大映テレビ室「図々しい奴」(1963年)で人気者となった丸井太郎と勝新のユーモラスなコンビぶりも楽しい。だが、丸井太郎は本作公開の直前、9月6日に逝去。これが遺作となった。

 夕食の時に、大宮お手製の「魚フライ」を頬張る仲間たち。ところがその油が「ひまし油」だったために、その夜、全員トイレに駆け込む騒動となる。笠原良三脚本らしい「集団生活の食べ物ネタ」は、加山雄三の「若大将シリーズ」で御馴染みの「手」である。今回の大宮の天敵、私利私欲の塊の赤池曹長(南道郎)も、上官であることを振りかざして「フライ」を届けさせたためにトイレに駆け込む。こうして今回は「軍隊喜劇」のテイストで始まる。

 各部隊対抗の相撲大会で、大宮は、営倉看守の兵隊(橋本力)とガチンコ勝負。「大魔神」を演じた橋本力と勝新の格闘シーンは『悪名波止場』(1963年・森一生)でもあったが、今回は相撲。行司の赤池曹長がよそ見をしていて判例ミス。それを指摘したのは、部隊では唯一リベラル派の香月少尉(細川俊之)。その優しさに感激した大宮は、賞品の一升瓶を、香月少尉と酌み交わす。

 女郎屋で大宮の相方となったさつき(岩崎加根子)が文学少女で、大宮に「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」「君」って「与謝野鉄幹のこと?」などと質問攻め。読み書きもできないとは言えない大宮は「大学出」を自称。「何か詩を教えて」とせがまれ、朗々と「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来ると言う」とひとくさり。「それ誰の詩?」「紺屋高尾」と、調子っぱずれなのがおかしい。

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 もう一人のヒロインは、将校専用の娼婦・明美(野川由美子)。モダンガールの成れの果てというお嬢さんタイプで、影沼少佐(安部徹)のお気に入りだが、彼女は大宮にモーションをかける。濃厚なドラマはないが、岩崎加根子、野川由美子とタイプの違う女性を配して、身をひさぐ女の悲しみと強かさを描いている。

 しかし赤池曹長は、その女郎屋の親父・金村(水原浩一)から売上をピンハネして、娼婦たちの管理までしている。胸を患いお茶を引いてばかりの夕子(三木本賀代)に冷たく当たり、理屈っぽくて客が寄り付かない文学少女のさつきには、殴る蹴るの乱暴を働く。この赤池曹長は、上官の滝島准尉(小松方正)と結託して、二重帳簿を作って軍票を横領している相当なワル。さらにそれを黙認している影沼少佐(安部徹)も私服をこやしている。この三人が今回のワルである。

 この赤池曹長と滝島准尉は、大宮を目の敵にしていて、何かと大宮を庇う有田上等兵との仲を裂いてしまおうと画策。大卒の有田は、師団司令部の暗号教育プログラムに転属命令が下る。暗号兵となれば、戦況が把握できるというメリットがあるが、大宮とは離れ離れになる。有田は大宮に「何があっても脱走するな」と書き残して転属先へ。しかし読み書きができない大宮、大好きな上等兵殿が黙って去ってしまったのがショックで脱走。女郎屋に行きさつきに手紙を読んでもらおうとする。しかし、さつきは、売り上げが少ないと赤池曹長に暴行されアザだらけ。

 怒り心頭の有田は、その場にいた赤池をめちゃくちゃに殴る蹴るで、営倉入り。それも慣れているので全く懲りない。ならばと「減食と苦役」でいじめ抜く。腹が減ってフラフラの大宮、肥柄杓を担いで苦役中、上官たちに腹をたてて黄色い汚物を浴びせて、今度は重営倉入りとなる。大宮の処遇に見かねた香月少尉は、影沼少佐に「見せしめのために罰があるわけではありません」と直談判するが、それが生意気と怒りを買ってしまう。

 昭和20年7月8日、有田上等兵は予定より早く教育プログラムを終えて隊に復帰。これも大宮のために有田がいた方がいいと、香月少尉が裏で手を回してのことだった。

 こうした「戦時下の軍隊日記」的なエピソードの数々は、さすが笠原良三脚本だけに面白く、うまい。有田は大宮を赤池たちから守るために、暗号班の当番兵にする。再び大宮と有田のコンビが復活。いつもの「兵隊やくざ」のムードとなるが、戦況は余談を許さず、旗色は明らかに最悪になっていた。「もう日本も危ないな」と有田。日本人街の邦人たちは脱出、さつきも、明美も、街を去ることに。しかしトラックが出発する直前、夕子は自殺してしまう。大宮はさつき、明美に別れをつげ、一緒に逃げようとする女郎屋の親父・金山を脅かして止まらせて、夕子の弔いをする。大宮の優しさあふれる名シーンである。

 さて、軍司令部の命令で、軍旗を転進させることになり「軍旗護衛隊」を香月少尉が任され、危険な敵地を突破しなければならない。案の定、待ち構えていたゲリラの襲撃で香月隊は全滅の危機に瀕する。なんとか通信兵が戦況を報告するも、その時点で生存者はほとんどいなかった。その通信を聞いた大宮は、ひとり機関銃を抱いて走り出す。「香月少尉殿!今から行きます」突っ走る大宮。「おのれ、一世一代の殴り込みだ!」敵地でゲリラたちに機関銃を浴びせる大宮。孤軍奮闘、軍旗を取り戻しに八路軍の本拠地へ。

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 激しい銃撃戦の最中、赤ん坊が泣きながら這っている。母親は脚に被弾して歩けない。泣き叫ぶ母子。大宮は、両手をあげて、休戦を申し入れて、赤ん坊を助け、母親を安全なところへ連れて、傷の手当てをする。それには敵も驚く。「いい子だ。強くなれよ」と赤ん坊の頭を撫でて、再び銃を手にする大宮。「兵隊やくざ」シリーズで初めて、大宮が戦場でのヒーロー的な活躍を見せる。戦闘シーンのあまりないこのシリーズだが、本作は「戦争アクション」としても楽しめる。

 結局、敵を全滅させて、香月少尉の仇討ちに成功。「香月少尉の軍旗」を掲げて凱旋する。大宮にとっては「大元帥=天皇陛下の軍旗」ではなく、あくまでも「香月少尉の」なのである。誇らしげな大宮の表情。はじめて軍人らしい勲功をあげたことになるが、隊へ戻ると有田が「戦争は終わったよ、いやもう終わっていたんだよ」。すでに敗戦となっていたのだ。

 機密文書を次々と焼却する有田たち。大宮は「これで内地に帰れる」とニコニコだが、「あと一つ、やらなきゃならないことがある」と赤池曹長、滝島准尉、影沼少佐たちを成敗しにいく。これがまた爽快である。軍の金を横領して「これでしばらくは暮らせる」とワルの極みの三人に、またまた殴る蹴るの制裁を加える。「軍隊が無くなりゃ、上官も部下もないんだ!」「手前たちみたいなのがいるから、日本は負けるんだ」と、土下座をさせる。

 戦争が終わった解放感。大宮と有田のコンビもホッとした表情。「日本が負けたからって、俺たちが負けたわけじゃない」「大宮、これからは、お前が俺の上官だ」。夏の空はどこまでも青い。シリーズの大団円を思わせる爽快なラストシーンである。次作『兵隊やくざ 強奪』(1968年10月5日・田中徳三)では、敗戦直後の混乱の満州での物語となる。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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