テレビデオの笑顔へ
昔のVHSが、押入れの引っ越しセンターの名前入りの段ボール箱から現れた。ケースにもテープにも何を録画したのか記入されてなかった。
なにが入っているのか気になったが、肝心のプレイヤーがもう無い。
諦めて放置して1週間。
知り合いから故障していてもいいのならとテレビデオ(当時流行ったテレビとビデオ一体型機)を借りることができた。
当時の機器は雑に扱うとすぐ機嫌が悪くなるのを知っているので、ゆっくり慎重にテープを入れてみた。
バン、キュルキュルキューと今ではまず聞くことのない異音とともにテレビにザ、ザーと砂嵐が流れた。
よし動いた。と感動したとき、ゆっくりと映像が映し出された。
若い、若すぎる自分が白い歯を見せて笑っていた。屈託のない笑顔だった。
35年前の20代の自分とテレビデオ越しに目が合った。
自分はこんな顔で笑うことができたんだな。 なんか恥ずかしかった。
当時はバブル全盛期で、カリフォルニアの夜景の綺麗なアパートメントに
住んで、その日その日が楽しければいいやと思っていた。
若いエネルギーが溢れているので、暇になれば何か楽しいことを探して仲間と騒いでいた記憶がよみがえった。
おい、浮かれるなよ。 これから多くの喜怒哀楽に出会うことになるぞ。
自己嫌悪になったり、誠実心を無理やりねじ伏せられたり、胸が苦しくなるほど人に裏切られたり。
愛する人を大切にすることを学んだり、子供が産まれて心の底から喜んだり、怒りで頭の血管が破裂しそうになったり、自分を大切にしてくれた人となんの恩返しもできずに死に別れたり。
と走馬灯のように35年の思い出が溢れてきてしまい、20代の自分に偉そうに伝えたくなった。
素粒子の世界まで小さくなり、何次元も先に行けば、テレビデオの中の若い自分にそれを教えることができるんじゃないだろうか。
その時、ふと自分は今、どんな顔をして笑うことができるだろうと思った。35年間のすべての記憶が自分の素粒子に刻まれている。過去の些細なことが一つでも違っていれば、今の自分は存在しない。だからこそ今の自分が
とても愛おしくなった。
お前はお前のままでいい。何も知らなくていい。これから経験すればいいよ。とテレビデオの中の笑顔に語りかけている自分に気が付いた。
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