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写真と日常 #18 【写真を撮り続ける理由】

(写真を撮り続ける理由)

 息子は18歳で上京して映像制作関係の専門学校に入学しました。
数年端折って、私はその学校の卒業式に出席したのですが、その際に学校の正門のところで、息子から友人と一緒の記念写真を撮ってほしいと、赤い小さなカメラを手渡されました。

 私は、「撮るよ~!」とか言いながらカメラを構えましたが、突然息子が「オヤジィ~! 違うよ!」と苦笑しながらこちらに駆け寄って来たのです。
「こうやって撮るんだよ、分かった⁉」 恥ずかしながら簡単なレクチャーを受けるはめに。

 私はあろうことか、カメラの背面を二人に向けて撮影しようとしていたのです。そうなんです、つまり自撮り状態なわけです。てっきりデジカメというものは液晶画面を向けて撮影するものだと勘違いしたのです(爆笑)
 当時の私はまだデジカメというものを良く知らなかったし、触ったこともありませんでした。

 それから暫くしてから、息子から小荷物が届きました。箱を開けてみると銀色に光るデジカメが入っていました。デジカメも知らない父親をなんだかなぁ~、とでも思ったのでしょうか。バイトで稼いだ大切なお金で買ってくれたであろうデジカメは(fujifilm finepix j10)という普及機でした。

 暫くは有難く喜んでそのコンデジを使っていましたが、三年過ぎた頃に突然不調になり故障してしまったのです。fujiのデジカメにありがちなレンズエラーからの液晶画面の故障です。
 困った私は別のデジカメを購入するべく、カメラのことを調べまくりました。やはり気軽に携帯出来るコンデジが良いと考え、知識を広げるうちに候補を二つに絞りました。

 その当時の人気機種は高級コンデジで、canon powershot s95 と pana lumix lx5 が特に評判が良かったので、早速某カメラ店に行ってみました。
 しかし、高級機はやはり私には高価で躊躇してしまい悩むことに。
店員さんに相談してみると、中古なら安く手に入るとの事でした。
よりスリムな canon s95 が第一候補だったので、すぐにネット検索してくれたのですが、あいにく良い状態の s95 が無かったのです。

 落胆している私に店員さんが lumix lx5 なら美品が有りますよと甘い囁き。
s95 より値段が上でしたが lx5 に決める事にしたのです。
F値もシャッタースピードもiso感度も何も知識が無かった私は、ひたすらAUTOで撮りまくりました。

 その数ヶ月後に息子が帰省し、私が撮りためた lx5 の写真を見て、その写りの良さに目を見張ったのです(注:決して私の腕が良いのではなく)
写真はカメラによって写りの良さが違うんだと、この時彼は初めて認識したようです。そして翌年、彼はミラーレス一眼を購入したのです。

 それからというもの彼はカメラにどっぷりとはまりました。そしてその七年後に、国内では最難関とも言われるフォトコンテストで最高賞となる文部科学大臣賞を受賞したのです。恵比寿にある東京都写真美術館で授賞式を行い、写真展が開催されている会場の正面に作品が展示されました。
 手前味噌になり大変恐縮ですが、親としては晴れがましく最高の親孝行をしてもらったと思っております。
 
 いま彼は、写真家・映像クリエイターとして、都会の荒波に揉まれながら何とか好きな道で生計を立て、ご飯を食べております。人生何があるか分からないもんだなと改めて感じました。

 随分前の事ですが、一つだけ息子と約束をした事がありまして。
『お互い表現者で居続けよう』というものです。
私が写真を撮り続ける理由はそういうことで、notoにこうして拙い文章と写真を投稿させてもらっているのはこういう理由からです。

 また長文になってしまいましたが、今日は息子の誕生日なので彼に関するエピソードを交えて、私が写真を撮る人になった理由を紹介させて頂きました。
 手前味噌と親バカの長文を御容赦願います。(黄昏人)


fujifilm finepix j10
カメラと写真に縁をしていなかった頃の妻と息子

fujifilm finepix j10
私自身カメラと写真の知識が全く無かった頃

lumix dmc lx5
カメラと写真の知識を急速に深めていった頃の息子

sony a 900
この頃は既にカメラと写真に対する知識が豊富だったようです

sony dsc w300
磯の香りに誘われて海岸に寄り道したときの様子です
その日の午後に彼は全く別の写真を撮りました
その写真が受賞作品となりました




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