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「男体山」(2,486m)【深田久弥の「日本百名山」を歩く】

『男の隠れ家デジタル』で「山と景色と歴史の話」という記事を書いてから、著者略歴(プロフィール)の欄に余白があれば【趣味の登山は2006年8月の「富士山」登頂以降、日本百名山にも挑戦中】と入れるようになった。

とはいえ、自由にスケジュールを調整できそうでできないのがフリーランス 。

公共の交通機関では登山口までのアクセスが不便だったり、宿泊を要する山が多い百名山へはなかなか行けない。
実際によく歩いているのは、ぽっと空いた1日に日帰りで行ける奥多摩、埼玉県の奥武蔵と秩父、神奈川県の丹沢、山梨県の郡内地方の山々だ。

そんななか、昨秋(2022年10月8日)、百名山の1つである「瑞牆山」(2,230m)を歩いているときに、ふと気になった。

(これで何座目だっけ?)

帰宅して調べたところ、2006年8月の「富士山」、2013年10月の「日光白根山」、2013年11月の「筑波山」の3座の画像は見つからなかったものの、4座目の「蔵王山」以降は辛うじて残っていた。

日本百名山の山行記録として、これまでSNSに投稿した情報や画像を紹介していく。

深田久弥の「日本百名山」を歩く

「男体山」(2,486m)|2018年9月23日/16座目

2006年8月、富士山登頂を機に始めた、日本百名山巡り。

今回は、栃木県は奥日光の霊峰「男体山」(なんたいさん/2,486m)。

行程を10合に仕切ってあり、7合目から頂上付近にかけてガレ場がつづき、登り甲斐のある山だった。

ただ、さすがは国内トップクラスの観光地・日光。

この日は、まだ紅葉には早かったものの、下山後の路線バスが渋滞につかまり、中禅寺湖畔→いろは坂→日光駅まで通常約1時間のところ、その倍の2時間・・・。

ある意味、登山より疲れた。

平成30年(2018)10月5日のFacebookより

【撮影日】
平成30年(2018)9月23日

【所在地】
栃木県日光市中宮祠

【メモ/雑学】
・日光火山群の主峰で二荒山神社の神体山。
・古くから「補陀洛山」「二荒山」「黒髪山」「日光山」などとも呼ばれる。
・奈良時代後期、延歴元年(782)に勝道上人が開いた山岳信仰の霊地で、山頂には二荒山神社の奥宮、南麓湖畔には中宮祠が祀られている。
・江戸時代後期、文化年間(1804~1818)に幕命を受けた水戸藩が藩士(漢学者)・小宮山楓軒に命じて編纂させた『水府志料』の頃藤村の項に「高倉村境にあり。登る事一里十八町、嶺に白き石あり。土人男体権現と云。此村より登るは至て嶮也」とある。
・江戸時代後期から明治時代にかけて編纂された常陸国の総合地誌『新編常陸国誌』には「水戸領地理志云、久慈郡高倉村ニアリ、高一里二十六町山頂ニ大石アリ、コレヲ神体トシ、男体権現ト称ス、険岨ニシテ風景尤奇絶ナリ、毎年二月十五日祭日、婦人ノ頂ニ登ルコトヲ禁ズ」とみえる。
・山腹各所に“薙(なぎ)”と呼ばれる山崩れの跡がみられ、南東部に「大薙」、南西部に「古薙」、北部に「御真仏薙」、南部に「観音薙」などがある。
・南側の麓に中禅寺湖、西側の麓に戦場ケ原がある。

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水谷俊樹
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