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「鎌倉彫」【鎌倉ぐらし/日々雑感】

きっかけは 「コロナ断捨離」中に出てきた1冊のノート。
上京前、21歳のときに書いた人生の設計図。

その日は苦笑いしながら「捨てるモノ」箱に放り投げたけれど、ずっと心に引っかかっていた。

“40代で鎌倉ぐらし”

あれから4年。
全然、20代の頃に思い描いた自分ではなかったけれど、ある日、ふと思いついた。
(今じゃないか?)

これまで、どうしても迷ったときは「やらぬ後悔より、やって後悔」で「やる」ことを心がけてきた。
(迷ったときは一歩前へ)

“思いつきと思いきり”

令和6年(2024)7月、諸々の態勢を立て直すべく、東京から鎌倉へ引っ越した。

“鎌倉ぐらし”の記録として、SNSに投稿した【日々の雑感】をnoteに残していく。

鎌倉ぐらし/日々雑感

「鎌倉彫」

鎌倉市長谷にある「光則寺」で開山750年を記念して特別公開された、本堂内陣格天井の“龍”の「鎌倉彫」を見学。

鎌倉時代、中国大陸の宋との交流から改めて「禅宗」が伝えられ、鎌倉には多くの禅宗寺院が建立された。禅宗文化とともにもたらされた美術工芸品の中に「彫漆器」があり、鎌倉で仏像や仏具の制作に携わっていた仏師たちが「彫漆器」を“木彫漆塗”の技法で模造したのが「鎌倉彫」の始まりだという。

“彫漆”が木製の器胎の上に色漆を幾重にも塗り、その上から文様を彫り出す技法であるのに対し、“木彫漆塗”は木製の器胎そのものに花鳥文や屈輪文などの中国風の文様を彫って、その上から漆をかける。制作に手間がかかる“彫漆”に比べると“木彫漆塗”の方が簡易な技法であることから、やがて「彫漆器」の代替として「鎌倉彫」が重宝されるようになったのだとか。

なお、現時点において「鎌倉彫」に関する鎌倉時代の作品や史料は見られない。ただ、室町時代後期の公家・三条西実隆の日記『実隆公記』にある「堆紅盆 鎌倉物 一枚」「盆 香合 鎌倉物」「居盆 鎌倉物」の「鎌倉物」は「鎌倉彫」ではないかと考えられ、少なくとも室町時代には贈答品として珍重されていたのだろうといわれている。

令和6年(2024)10月21日のFacebookより
※本堂内撮影不可

【撮影日】
令和6年(2024)10月19日

以上

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水谷俊樹
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