日本らしい”破壊しない”イノベーション
日本のイノベーションは長期的・段階的・包括的。誰も取りこぼさない。ついていけない人が出ないよう破壊的でなく、日本で暮らす人が皆幸せになれることを目指すイノベーション、って内容だそう。(注:ドイツ語読めないので、ソースはGoogle翻訳でしか見てないです苦笑)
「破壊的イノベーション」って呼ばれるものは、確かに飛躍的に世の中を便利にするかもしれないけど、”ついて来れん人はいらん!””これで既存の技術を駆逐するんだ!”っていうようなスパルタ的要素を含んでいるような気もして。Yes/Noの2元論的なというか、アメリカ的なというか。病気か健康かの2つで明確に区別して、病気を治すという発想も近い気が。それも西洋医学か。
でも、イノベーションの目指すところが”そもそも人を幸せにすること”とするならば、なんか「破壊的イノベーション」って持つもののニュアンスって違うなと。そもそも破壊しちゃってるし・笑。
これまで良いとされてきたものの中には少なからず良いものがあって、それを全部捨ててまで”破壊的に”新しい事をする必要はあるのかと。既存のいいところも大事にしながら、新しいものを融和させていく事も、多くの場合には必要なんじゃないかと。まさに和の心。全体最適。あやふやなものをよしとする日本文化。パキッっとしたバラじゃなく、ぼんやりした桜(cf.武士道)。グラデーション的に健康を捉える未病の概念。たくさんの混ぜ物で同時複数アプローチする漢方的発想。最近AIやビッグデータで見直されてきてる、要は複雑な因子が絡み合う捉え方。
そもそも何に対するイノベーションなんだって話もありますが、今行われているイノベーションって、多くが「効率的に~する」、ひいては「より稼ぐんだ」っていう方向を向いている気がして。でも、それって本当に”人を幸せにすること”なのかと。まだまだ非効率な分野や、稼げてない人(要は生命の危機があるような場所の人)にはその方向を目指したイノベーションでいいと思うんですが、もう日本は違うよなーとか。
もちろん、急激な外部変化には一足飛びな変化が必要なので「破壊的イノベーション」が必要ですが、徐々に外部変化に適応していくのが生物の常とすると、長期的・段階的・包括的なイノベーションも悪くないはず。そして、そこにはこの日本人らしいあやふや文化の強みを活かせるはず。
そんな考えに一部答えてくれるような記事な気がします。
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