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チャンスは練って待て?


私が学生時代に配膳のアルバイトで働いていたのが、帝国ホテルの宴会場でした。

時代は、1984(昭和59)年~1986(昭和61)年頃のことです。

当時、婚礼やパーティーで月に1~2回位の頻度で、村上総料理長(「帝国ホテル厨房物語」の著者)をお見かけしていました。

私と同じ学生アルバイトも大勢いましたけれども、村上さんはいつもニコニコされて気さくな感じで、私どもにも「ご苦労さん、ご苦労さん」と声をかけていただきました。

温厚な人柄で、誰とでも分け隔てなく接しておられる様子がうかがえました。

そんなことを思い出しながら本書「帝国ホテル厨房物語」を手に取ってみました。

最後に「チャンスは練って待て」の意味がわかります。


人生はフルコース


八十歳の私には、まだまだ求道者として、おいしいフランス料理を極め、伝道していく夢がある。将来、店を持ちたいという夢も捨てていない。

家でも講習のメモ作りや原稿執筆などの用事が多く、ぼんやりしている暇はあまりない。刀、書、機械いじりなどの趣味のほか、愛犬「コロ」の世話も私の役目だ。こうした時間をひねり出すのに頭を使い、体を動かしている。気をきかせて段取りを考え、精力的にこなしていく。これが十二歳で社会に出て、料理一筋の修行で心と体に染みついた行動原理なのだ。

はじめにー人生はフルコース

人は、やりたいことや夢があると年齢に関係なく、それに向かって元気に精力的に取り組めるものなのだなと感心しました。

私も、なんとなくやってみたいことや夢のイメージをより明確にして、これからの人生において実現できるように精進していきたいと思います。

そして、いろんなことに好奇心を持って精神的な若さを保っていくようにしたいです。

自分で「若い」と思っているうちは、若いままでいられる。気持ちが老け込むのが一番良くない。私は、何を始めるにも「もう遅い」と後ろ向きに考えたことはない。生涯現役を貫いて料理人のままで死にたい、生まれ変わっても、フランス料理を作り続けたい。これが今の心境だ。

はじめにー人生はフルコース

私が当時、帝国ホテルでお見かけしていた村上さんは、たぶん60歳台中頃のはずですが、いつも元気ハツラツという感じでした。

現在、私は60歳台に入りましたが、目標とか夢を持ち続けることが大切だということをあらためて感じました。

なにかを始めようと思い立ったときに、「いまさら」とか「もう遅い」という言葉を発しないようにして、自分を鼓舞していきたいと思います。

なにかを始めるのに遅すぎることなんてないのですから。

げんこつ禁止令、共用レシピをつくる

げんこつはもちろん、怒鳴るのも控えた。「同じ口から出る言葉なら、ほめよう」と思った。楽しく働けるのが一番だからだ。どうしてもしからなければならないことがあると、厨房の裏に呼ぶ。げんこつを見舞って仕事を教えるのではなく、言葉や態度で教える。そうすると教える本人にも勉強になる。私は中堅コックを集めて、「自分が知っている仕事は、若いコックにどんどん教えてくれ、その代わり、自分もどんどん勉強しなさい」と話した。

げんこつ禁止令、共用レシピをつくる

部下の成長には、上司の指導姿勢が大きな影響を及ぼすということだと思います。

人に教えることで自分も学び成長していく。

そうすることで職場の雰囲気が良くなり、楽しく働けるようになるという良循環が生まれるのだと思います。

自分の家庭や職場でも当てはまることだなと、自分も周りの人たちも一緒に向上していきたいと思います。

その口伝も、共用レシピの登場でわき役に回る。それまで帝国ホテルには共用のレシピはなかった。それぞれの料理人が持っていた秘蔵のレシピを集めて整理すると四百数十種類になったが、私もかなり貢献した。修業時代、ちびた鉛筆で帳面に書き込んだレシピは黄ばんでいた。こうした古い調理法を今風にアレンジするのも、我々料理長の役目だった。

げんこつ禁止令、共用レシピをつくる

先ほどのげんこつ禁止やレシピの共用は、村上さんが新館の料理長に抜擢された昭和33年当時のホテル業界では大きな変革だったようです。

レシピの公開・共用は、今の時代でいうとインターネットの進化に例えられるのかなと思います。

要するに閉ざされた空間(がらん・伽藍)から市場のように活気ある開かれたバザール空間に移行したイメージです。

個人の力に頼っていた厨房の世界の近代化を推し進めた村上さんの気概に感動しました。

エスカルゴで縁起をかつぐ


「婚礼にエスカルゴとは、どんなものかなあ」という声もいただいた。

私はすかさず、「じつは、わけがありまして」とご説明した。

「エスカルゴは、人生急がず、焦らず、うまずたゆまず、止まらずということでお出ししています。エスカルゴはゆっくり歩いていますが、慌てずにゆっくりと勉強しながら歩いている。そういう意味がございます」と話すと納得してくださった。

エスカルゴで縁起をかつぐ

シェフたる者は、料理のうんちくはもちろん、知識や教養、そして当意即妙の話術も必須なんだそうです。

さすがに人間味豊かな村上さんですね。

さて私も、うまずたゆまず、そしてあせらずに日頃の準備をおこたらず、自分を律して着実に進歩していきたいと思います。

1日1ミリでも進化できるよう、仕事やそれ以外のことにもアンテナを広げて知識や教養を深めていきたいと思います。

夢持ち続けて


私の座右の銘は「果報は寝て待て」をもじって「チャンスは練って待て」。コック人生は幸運の連続だった。人にも恵まれた。しかし、それは準備し、努力した結果でもある。新館料理長になって数年後から三十八年間、帰宅してから一日一時間、料理の勉強を欠かさない。八十歳の今も練って待つ夢があるのは幸せだと思う。

終わりにー夢持ち続けて

チャンスは練って待て」いいことばですね。

運も大切ですが、運だけではどうにもならないこともあると思います。

村上さんは、その運を引き寄せるだけの日頃の準備や努力があったからこそ、チャンスを活かして後世につながる立派な仕事をされたのだと思います。

「チャンスは通りすぎてしまったら、もうつかむことはできない」と聞いたことがあります。

私もいざチャンスがきたとき、そのチャンスをつかんで活かせるように、日々勉強を重ねていきたいと思います。

あらためて、いまこの時を大切にしていきたいものです。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

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