古《いにしえ》にタイムスリップ・・・古民家探訪
ちょっと時間があったので、ふらりと散歩していたら、立派な古民家が綺麗に手入れされて佇《たたづ》んでいるのが目に入った。
ここは東京の郊外、福生市。駅から歩いて7分のところにあるこの「旧ヤマジュウ田村家住宅」。明治35年(1902年)に建てられたものだ。
地元の田村酒造の分家であり、3代に亘り生活をしてきた建物とのことだ。土蔵も2つあり、往時の雰囲気が漂っている。
富山にある私の実家もこのような建築手法による建物であり、土蔵もある。だからどことなく懐かしさを感じ、入ってみた。
家の三方向を廻り廊下が囲み込む配置で、座敷から見る日本庭園は綺麗だ。縁側に腰掛けて日向ぼっこをしていると、心は一気に120年前にタイムスリップする。
建物は登録有形文化財(文化庁)になっており、福生市が管理している。
そこを掃除している管理人のおばちゃんと「私の実家も似たようなものだったのですよ。玄関は土間だったし、土蔵には米を貯蔵していて、土蔵の2階に上がる階段は、まさに同じ造りです」と世間話をして、往時の生活を偲んだ。
このような家は、家の中でも季節感が溢れる。だから天気の良い日はよいが、寒い日は大変だろうなぁーと、昔を思い出した。
だからやっぱり、住むなら「表は古民家、中は現代の住まい」そんな家がいいなぁー
■井戸塀代議士を連想
ここに敷地の入り口のすぐ右手に、井戸があった。
それを見て、連想するのは「井戸塀代議士」である。
その意味は、政治家が政治や選挙に自己の財産をつぎ込んで貧しくなり、井戸と塀しか残らないということだ。
藤山愛一郎は最後の井戸塀代議士と呼ばれたが、有名なのは、もう少し前の明治の政治家の田中正造である。
田中正造は栃木県の足尾銅山から流失する鉱毒事件を追及し、大正2年(1923年)に亡くなるまで、鉱毒問題の解決に一生を捧げた人である。
銅の採掘で出た鉱毒を渡良瀬川に流し、下流の農地や家畜にも被害が出て、その被害は埼玉、東京、千葉にも及んだ。
田中は環境を守るため、農民たちと一緒に住み、一緒になって命がけで政府と戦った。田中氏が死んだときには、持ち物は信玄袋(弁当を入れる巾着袋のようなもの)だけだったと言われている。
そして井戸塀代議士には、もう一つ意味があるという。それは井戸と塀しか残らないのだから、代議士は一代限りで、世襲など出来ないということだ。
だから戦前は世襲代議士がほとんどいない。
でも、どうだろう。現代はあっちを見ても、こっちを見ても、世襲議員だらけである。
ということは、井戸も塀も残り、さらには蓄財をしたということだろう。
正当な方法での蓄財は悪いことではないが、とにかく「こんな裕福な坊ちゃんや、お嬢ちゃんに、庶民の気持ちがわかるのかな???」と思う。
さらには、志を立て「世の為人の為、深慮遠謀のもとに世界の情勢を見て、日本を、そして世界をより良い方向に導こう」という本心があるのかと、いつも疑問に思う。
古民家の井戸と塀を見て、そんなことが頭を巡った。
■陽だまりの縁側で・・・
NHKの番組「チコちゃんに叱られる」では、最後のコーナーで、陽だまりの縁側に、出演者の岡村さんとチコちゃんが座り、江戸川慕情を唄うカラスのキヨエちゃんが突っ込みを入れている。まぁなんとも微笑ましい日本の情緒を感じる。
私はそんな光景が好きだ。この古民家の庭にも、鳥が遊びにくる。
餌をついばむ鳥と会話し、陽だまりの縁側で寝ている猫を撫で、そんな時間を過ごしたいと夢想している。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?