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内山弘紀のラリー国際見聞録 全11話

これは、国際ラリー経験豊富な内山弘紀氏のラリー国際見聞録である。
時代は1970年代~1980年代で、日本人も海外のラリーに挑戦し始めた活気ある時だった。



第1回  即席ジェントルマンに大変身?1974年 英国 RACラリー


日産ワークスの若林監督が空を指さして言った。「見て見て! 日本人が出場するから今年から日の丸が加わったよ。うれしいことだなあ」

スタート地英国ヨーク市の競馬場にひるがえる各国旗の中に 鮮やかな日の丸が目立つ。そう、柑本寿一こうじもと じゅいちドライバーとナビの私は1974年11月WRC最終戦のRACラリーに日本人として初出場したのだ。

これまでトヨタや日産など日本のワークスチームは参戦していたが、外人選手だったため、日本国旗が掲揚されることがなかったのだ。
スタート台に車を進めた時に場内アナウンスが「日本人が、はるばる初参加してくれました」と紹介をしてくれたが、ワークスの競技車両とはあまりにもかけ離れた殆どノーマルのブルバード610型。しかも自費のプライベート参加だ。

柑本寿一・内山弘紀組のブルーバードU(610型)


柑本選手の目標はもちろん、ひたすら完走を目指すこと。
私は完走に加えて、ラリーを通じてその国の文化と生活を楽しむことにあった。

この目的にまさにぴったりの体験を到着後することができた。サポート隊長ジョージは 私の取引先の英国ラリーショップ経営者で、依頼したら快く無償のサポート隊編成を引き受けてくれた。さらに、英国での車の引きとり、メンテナンスのガレージ提供なども面倒見てくれたので 本当に大助かりだった。

着いて数日後に彼の知り合いが私らを昼食に招いてくれた。その場所に行って驚いた。ロンドン中央部の「ステアリングホイール」という小さなクラブで由緒ある会員制。壁にはジム・クラークなど往年のF1ドライバーのステアリングやスーツ 珍しい写真 世界各国の自動車クラブのカーバッジ(JAFはなかった!)などがぎっしりと並び、モータースポーツファンなら一日いてもあきないだろう。

そして招待してくれた知人ラッセル氏というのが、重厚な紳士でなんと伯爵。アストンマーチンや英国ダンロップなど多くの会社の重役でエリザベス女王の親戚。さらにRACの理事でもあった。
あとでジョージに聞いたところでは、彼がRACに推挙してくれたおかげで、無名で初出場の我々が「54番」という、信じられない若いゼッケン番号を貰えたのだそうだ。我々より若い番号のほとんどがワークスチームだった。

またジョージは7日間ほど私ら二人をあるリゾート地の貴族の館ホテルにぶち込んでくれた。広大な英国庭園には野鳥がさえずり、芝生でリスが飛び跳ね、池にはオシドリが悠々・・・絵はがきの世界で、日本でいえば箱根冨士屋ホテルといったところか。

カンパリやジントニックで食前酒を楽しみ、ドーバーソール(ドーバー海峡でとれるヒラメの料理で英国の名物) ローストビーフ、スモークサーモンなどお好みのディナー。夜食時にテーブルに着くのは少数の宿泊者と、あとは近隣の紳士淑女で、上品でそれもおしゃれな人ばかり。
私らは見よう見まねで、英国風のマナーや身のこなし方を何とか会得することができた。
こんな場所に7泊もする阿呆は私らだけで、全従業員とすっかり顔なじみとなり、暖かく親しみのあるもてなしをうけることとなった。

ある日メニューにない特別料理が黒板にチョークで書かれていた。崩し文字を何とか判読したが「E66」という意味がどうしてもわからない。ウエイターに「E66は何の料理か?」と聞くと、彼は黒板の文字を怪訝な顔で覗きこみ「EGG(卵)」と答え、口を押えて厨房に走り去った。そしてドアの向こうで思いっきり笑う声が響いてきた。
手書きのEGGは、私にはどう見てもE66としか読めなかったのだ。ウエイターはその後、卵に関しては「E66」と私らに告げるようになった。 

思い出しても愉快で楽しい7泊だった。この経験で私らはかなりの自信を持つことができた。以後、物おじせずにラリーを始め、英国生活に適切に対応することができたのは、これらの体験が大きく寄与したと思う。

ツインの部屋を一人づつ与えられ、ボリューム満点の英国式朝食がルームサービス。「サンキュー」と笑顔を見せていたが、プライベートチームとしては内心懐具合が気になって切なかった。でも請求金額は、ロンドン市中の価格にくらべれば、はるかに安いので逆に驚いた。

おりしもオイルショック以後「英国病」といわれるほど不況だったが、サービス隊の一人は2年も失職しているが平然としていた。車のメンテをしたガレージの親父は自宅に2頭の馬を持ち家族で乗馬を楽しんでいた。ジョージは築200年の家を買って自分で修復し浴室が3つもある快適な屋敷にしていた。

国は窮すれど民は豊かな英国。一方、国は豊かなれど民は貧に甘んじている日本との格差をいやというほど痛感した次第だ。



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