朝の小さな出来事・・・珈琲を淹れながら生姜茶を
私は生姜茶(しょうが茶)が好きだ。朝起きて熱い生姜茶を飲みながら、メールの返信を書いたり、天気予報をみたりしている。朝の小さな喜びの一時だ。
今日は、その後30分ほどのウォーキングを楽しみ、ちょっと仕事も一段落したので、朝食後ゆっくりと新聞でも読もうかと思った。
それで、食後にたまにはコーヒーでも飲もうかと思い、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れ、スイッチオンにした。ポタポタと落ちる音もなかなか心地よい。
新聞を広げ、政治やスキャンダル記事は見ないようにして、何か面白い記事はないかと目をクルクルと回す。すると一つあった。ふむふむと読んでいたら、コーヒーメーカーがチンと言って、コーヒーがはいったと合図してきた。
はいはい、と思ってコーヒーポット部を持って、カップに注ごうとして中をみた。
すると、既にカップの中に生姜茶の粉が入っているではないか! あれ、何でコーヒーを飲もうとしているのに、生姜茶の粉末が入っているの?? 誰が要れたんだ?? と思ったが、入れるのは自分しかいない。
それで、しかたなく別のカップを出してきた。
その珈琲をすすりながら、「こりゃ、認知症の始まりかな?」と思ったが、振り返ってみて、「これは認知症ではないな。習慣から来たものだ」と思った。
若い頃に実際あったことだが、通常右ハンドルの車に乗っているが、たまに左ハンドルの車に乗るとき、つい習慣的に右ドアを開けて「あれ、ハンドルが無い! あっそうか、この車は左ハンドルだったんだ」と、もう一度左ドアへ回り込んだことがあった。
さらに言えば、息子がまだ高校生の頃、「さぁ、助手席に乗って」というと、これと全く同じで、車のハンドルの位置がかわっているのに、運転席側のドアを開けた。
私が苦笑いしながら、「えっ、君が運転するのかい?」と言うと、彼も苦笑いして、助手席側へ回り込んだ。
ことほど左様に、習慣と言うものは身体に沁みついたものだから、反射的に身体が反応してしまう。
今回のように珈琲を入れながら、生姜茶の粉末を入れるくらいなら笑い話で済むが、車のように動くものは十分慣れてからでないと危ない。
何かが変わった時は、慣れるまでの動作を繰り返すことが必要と、改めて感じた。
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