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夏と秋の同居 百日紅(さるすべり)と柿

10月19日の今日、近所を歩いていて、ふと青空を見上げた。すると青い空に、赤い百日紅(さるすべり)と、熟し始めた柿のある柿の木が、仲良く並んで立っていた。


柿と百日紅(さるすべり)

それを観た時、あぁ~夏と秋が同居しているなぁ~と感じた。

柿を見ると、連鎖的に家にあった柿の木を想い出す。

■ 柿の木に登ったあの頃

私の富山の生家には、甘柿、渋柿、みずしま柿、富有柿など、合わせて10本の柿木があった。(今もある)
その他には、イチジク、葡萄、梅、栗、等があった。

子供の頃の当時は、家にお菓子はあまりなかったが、代わりに果実の木がいろいろあったので、おやつ代わりにその果実を「取り放題、食べ放題」で、一番食べごろのものを手で取って、木の上で食べた。

夏はイチジクの木に登って、その場で食べた。木からもぎ取って皮を剥き、10秒後には口にするのかだから、美味しいことこの上ない。
そんなわけで、本当の完熟の味しか知らなかったから、後年、東京の八百屋でイチジクを買って食べた時は、その不味さに驚き、「えっ、これが本当にイチジク?」と思った。イチジクは時間とともに鮮度がどんどん落ちるのである。

イチジクの木は、しなやかだからポキッとは折れないが、枝の付け根から裂けることがあるので、細い枝に体重を掛ける時は気を付けた。

葡萄は、父が葡萄棚を作ってくれていたので、背伸びすれば手でもぎ取れ、それを湧水で洗って食べた。

一番多いのが柿の木だった。秋には学校から帰ると丁度食べごろの柿の木に梯子を掛けて登った。
この時、気を付けなければならないことがあった。柿の木はボキッと折れやすいのである。だから幹の太いところに身をお置き、細い枝には体重を掛けないようにした。

陽当たりの良い場所の柿をもぎ取って食べようとすると、なかには、下からは見えない上部が、鳥に突っつかれて、空洞になっているものもあった。鳥もどれが食べごろなのかをよく知っている。 

そんな柿は、鳥にそのままプレゼントすることにして、私は隣にある食べごろの柿をもぎ取って食べる。まぁ2個か、せいぜい3個の食べると満腹になるので、あとの数十個は腰にぶら下げた魚籠ビク(籠)に入れて、木から降りた。
それを縁側に並べて、追熟させた。雨の日には、それを食べるのである。

渋柿は、母が皮をむいて、軒先に吊るし、晩秋の陽に当てて、甘みが出るまで待った。それは冬に食べるおやつになった。

柿を見ると、そんなことが走馬灯のように蘇る。
父さん、母さん、楽しい思い出ありがとう!

#柿

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