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巨星 堕(お)つ。ラリー界のスーパースター篠塚建次郎氏を偲んで・後編
日本人初のWRC2年連続優勝、そしてパリダカ優勝
既報の前編、中編で記したように、篠塚建次郎は世界のラリードライバーとして頭角を現し、世界のケンジロウとして、活躍の場は地球規模となって行った。
そして特筆すべきは、1991年と続く1992年にWRC(世界ラリー選手権)のアイボリーコーストラリー(アフリカ西海岸)で、日本人初の総合優勝を果たしたこと、さらには1997年にパリ~ダカールラリーで総合優勝を果たしたことだろう。
それはまさに快挙と言えるものだった。
後年、三菱自動車の社長は「篠塚健次郎は、三菱の宝です」と言ったのが印象的だった。
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アフリカ西海岸のコートジボワール。
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篠塚選手、日本人初優勝
パリダカのエピソード
パリ~ダカールラリー(通称パリダカ)では、こんなエピソードもある。
古くからのラリー仲間であるRAC・Sの大塚巖氏が、いすゞチームのサービス隊長としてアフリカに出向いた。
いすゞは有力チームとみなされていなかったから、その他大勢の中の一チームだった。だがケンジロウは、すでに同ラリーで優勝もしているスーパースターだから誰しもが注目している。
そんなケンジロウが、1日の行程を終えてゴールすると、「ねぇ~大塚さん・・」と言って、大塚さんのところに来る。
それを見た関係者は、「えっ・・・?」と、驚いた。
それはそうだろう、アフリカの、そしてラリー界のスーパースターが、自ら何回もその人を訪ねれば、誰だって、ビックリするだろう。
それ以後、大塚さんを見る関係者の目が変わったという。
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篠塚建次郎氏と、大塚巖氏は、永年の友人でもある。
音無しの風のように走り去ったケンジロウ
後年、私が「日本のモータースポーツ」の本を著しているとき、福島で行われた全日本ラリーの会場で、篠塚建次郎氏にインタビューをしたこともあった。
さらにその後、長野県の蓼科方面で開催されたレジェンドラリーで、彼の走りを見ていて、ゴール後の立ち話で、私は次のように言った。
「多くの人は、ドドド・・・と走行音を出して走って行ったが、貴方はまるで音無しの風のように静かに通り抜けて行ったように感じた」
すると彼は一呼吸置いて「それって、私のことを褒めてくれているのかい」と言ったので、「そうですよ」と私が言ったらにっこり微笑んで「有難う」と嬉しそうな顔をした。
それが篠塚建次郎と直接会話した最後となってしまった。
生あるものはいつかは滅び、世は無常というが、最初の育ての親だった山崎氏も亡くなった。そして二人目の育ての親だった木全氏も亡くなった。そして篠塚建次郎氏も亡くなった。
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息の長い競技選手を続けられるラリー競技
身体的能力を競うスポーツの中で、わりと息の長い間行えるスポーツは、乗馬とモータースポーツである。なぜなら走るのは馬であり、自動車だからだ。
乗り手は、その乗り物の性能を最大限引き出し、良い成績を収めようとするから、わりと年齢が高くても現役選手として行える。
現に、馬術競技では、1988年ソウルオリンピックに63歳で出場した井上喜久子選手、71歳でロンドンオリンピックの馬術競技に参加した法華津寛氏などの例がある。
これは、水泳やスキー、体操では考えられないことだ。
だが、いかに馬術やラリーは年齢が高くても出来るとはいえ、短い時間の馬術競技ならいざ知らず、ラリーは長丁場で過酷である。
そのラリー競技を、70歳になっても一流選手としてやり続けた篠塚健次郎氏に心からの拍手を贈りたい。
アマチュアは自分が楽しめれば良い。でもプロは違う。勝たなくてはならない。プロでやる以上、売れない演歌歌手と勝てないドライバーほどみじめなものは無い。
篠塚建次郎はその中で、いつの時代も勝てるドライバーとして生涯を貫いた。
まさに、「ラリードライバー職人」だったと思う。
彼の家族は、山梨県の清里高原でペンションを営んでいる。その地は八ヶ岳の南麓にあり、星の綺麗な地である。
篠塚建次郎というラリー界の巨星は堕ちたけれども、再び天に昇り、八ヶ岳の夜空から、我々を見守っていてくれているように思う。
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#ラリー #篠塚建次郎 #ケンジロウ #シノケン #三菱 #木全巖 #山崎英一